第2話 ヒトラーとチャップリンと青島幸男、そして・・・
すでに取り壊されていますが、かつて岡山市中区浜には、RSK(山陽放送)が運営する「メディアコム」という施設がありました。ここには最新のオーディオ機器を展示して体験できる施設がありまして、そこで私はよく、CDやビデオ、LD(レーザーディスク)を観ていました。
LDで観た映画の中には、チャップリンの作品もいくつかありまして、その中の一つが、この「独裁者」です。さてこのLDソフト、副音声が入っておりまして、そこでは青島幸男氏がどなたかとトークしつつ解説されておりました。
この作品の、最初のほうに、こんな言葉が解説として紹介されました。
うんざりするほど不愉快な、ちびの、ユダヤ人軽業師
これは、ヒトラーがチャップリンを評して言った言葉だそうです。そしてこれに対して、チャップリンが怒ってか怒らずか、それまで嫌っていたトーキーの機能を最大限に駆使したあの大作「独裁者」をつくりあげたのだ、とかなんとか。
他にどんなことを言っていたかはほとんど覚えていませんが、これだけは、なぜか、強烈に覚えていました。
それから時が経つこと14年、2001年6月、母からすれば初孫となる異父妹の娘が生まれました。ということで、その年の夏、私はバスと船を乗り継いで、日生諸島のとある島まで母とその孫(私からすれば姪)に会いに行きました。
とはいえ、前日は夜遅くまで大酒を飲んでいて、学生時代から通っていたとあるスナックで夜中の3時過ぎまで大いに歌いまくって飲みまくっておりました。確か、どう見ても似合いもしないのに(わっはっは)ジュリーの「勝手にしやがれ」とか、夏場なのにアリスの「冬の稲妻」とか、これまたお団子頭のおねえさんの星と亀の親戚みたような奴ぐらいの差は歴然とあるとは思うけど、マッチこと近藤真彦の「スニーカーぶるーす」とか、そんなこんなの歌を酎ハイのライムを散々飲みながら歌いまくっておりました。はい。
それで、うちに帰り着いたのは4時ごろ。そこから帰って寝ること約4時間、慌てて起きだしてカメラ一式を持出して岡山駅から宇野バスで日生の港まで移動、そこから、日生諸島行の船に乗って出向いた次第。確か、日生の港あたりで迎え酒的にビールを1本買って飲んだ気もしないではない(苦笑)。
さてさて、目的の島に着くと、当時50代半ばのとある女性がおりまして、私を迎えに来られておいででございました。
何やら話しかけられたのですが、はて、この人、誰だっけ?
誰かを思い出す前に、何と、ある言葉が思い浮かびました。
岩崎・渡辺コレクションに出てくる、明治時代の寒漁村民
われながら、さえているなぁ、と思いました(苦笑)。そうそう、あの時メディアコムで観たチャップリンの独裁者の解説だ、あの言葉だ!
あの言葉が、私にこの言葉を導いてくれたのだ!
そんなさえた言葉が出てきた割には、その目の前の相手が誰なのかがわからんというのは、どういうことなのか、ようわからんけどさ。
さて、この「岩崎・渡辺コレクション」というのは何かと申しますと、明治時代の鉄道写真集でして、現在埼玉県の鉄道博物館に保存されているもの。なかには確か、列車が走っている写真もあったはずです。別にここで名前の出ている「岩崎さん」や「渡辺さん」が撮影したわけではなく、お抱えの写真師がおられて、その方が撮られたものだとのことですが、今となれば、一級品の資料であることは言うまでもないでしょう。その、明治時代のどこぞの漁村あたりを「汽車」が走っていて、その沿線に立っている「おばあさん」ってところかと(苦笑)。
さて、歩いて家までたどり着くまでに2分ほど、さえているはずの頭をフル回転させてしっかり考えておりましたが、到着寸前になって、ようやく、気づきました。
「あ、母上様じゃ。わし、生まれる前から知っとる人じゃ(わっはっは)」
ちなみに私、顔つきは母親に似ていると、昔から言われております(苦笑)。
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