明治時代の寒漁村民様と大正時代の酔っ払いさん
与方藤士朗
第1話 実力粉砕
2001年5月X日 岡山市の某学習塾にて
その日の塾の業務を終えた22時過ぎ、米河氏の運営している塾の教室に、電話がかかってきた。彼の実の母親からだった。彼は父方の叔父に引取られて後、大学に合格した直後まで母には会っていなかったが、父親の親友だったという備前市議会議員のK氏の知人を介して再開することができていた。その後母親とは連絡も行き来もないわけではない。母からしてみれば、なんとか、息子に結婚して家庭を持ってほしいとかねて思っていた。それを父方の叔父である佳治氏も話は聞いてみればいいと言ってはいたのだが、米河清治氏は一切、そのような演壇に関わる気はなかった。
実母は、言う。
「実は、私が若い頃勤めていたS病院の奥さんが、あんたに縁談を持ってきてくれてなぁ、備前市内のとある家の一人娘で、ぜひ婿養子で来てほしいって。田舎じゃけど、クルマの免許もこの際とったらええとか、財産はやるし、大事にするから、となぁ・・・」
米河氏は、その話を黙って聞いていた。だが、単に黙って聞いていたわけではない。密かに、反撃の機会をうかがっていたのである。
「私もその子に会ったことがあるけど、ええ子じゃ。O大を出て、県庁の職員になっとる。生活も安定しとるから、ええと思うがなぁ・・・」
しばらく黙って聞いていたのは、相手が実母であるからそれなりに「敬意を払って」聞いていたということもある。だが、それもいよいよ、臨界点に達しようとしていた。
話を聞くだけ聞いた彼は、溜めていた怒りを爆発させた。
わしゃあ、乞食じゃねえ!
そんな話を聞くぐらいなら、米軍の捕虜服を着て巣鴨プリズン13番刑場で、12月23日午前0時2分をもって、大日本帝国万歳、天皇陛下万歳三唱して、A級戦犯として絞首刑になった方が、よほどましや!
実母は、息子の並々ならぬ怒りに直面して、思わずひるんだ。
ここまでの怒りを示すというのは、なぜなのか?
この子の父方の祖母が手放さなかったが故に幼少期に関われなかったことを親としては悔やんでいるが、しかしなぜ、そこまでの怒りをこの子は示すのか? 親らしいことをしたのかと一言言われたら、自分は確かにできていない。それはどう言い訳しても償えるものでないこともわかっている。だが何も、そこまで言わなくても、という思いもある。
一方の息子は息子で、自らの人生を自ら切り開いてきた自負がある。彼は、結婚がどうのこうのという話以前の問題として、家族とか家庭とか、そういうものに対して根本的な不信感を持っている。それはどこから生まれたものか? 一般にはそれは幼い時から両親の手元で育っていないことが原因だろうと思うのが普通だろう。だったら、自分の「家庭」とやらを築けばいいではないかと彼に指摘する人もいた。しかし米河氏は、その人をこのように「論破」した。相手は、唖然として何も言い返せなかったという。
私が問題にしているのはね、自分の家庭とか何とか、そういうことではない! 私は家族とか家庭という、ずばりそのものに不信感と異議を持っておる。日本国憲法の幸福追求権には、家族を持つべきであるとかないとか、そんなことは書かれておらん。ソ連や中国の社会主義に問題があることを指摘された日本の社会主義を標榜する御仁らが、それは本来の社会主義ではないから、自分たちが真の社会主義を作るのだなどとのたまっておるようであるが、あなたのその理屈は、それと一緒でね、その「社会主義」自体を問題とされていることに気付かないか、気づいていないふりをしている人たちの論調と一緒で、物事の本質が全く理解できていない論調以外の何物でもない。
くだらん「家制度」ベースの寝言など、聞くには及ばん。私は協産党や勤労党筋の人らの考えはもともと好かんが、家制度は不倶戴天の敵である。これをつぶすためには、少なくとも、この私にその影響を受けさせようとする者がおれば、徹底的に叩きのめす。そのためには、悪魔とでも手を結ぶ。そうそう、旧民法の家制度に則っても、私の父方の祖父母の養子となって追って、その両方とも故人であるから、私自身が世帯主、つまり「戸主」である。つまり、その「戸主権」では、独身にて自らを立てて生きるべく決めてそうしておるのであるから、そこに婿養子になどという舐めた口を利く者は、旧制度化においても「戸主権の侵害者」ということになりますわな。二度と、私に対してそんな低次元の論理でものを言わないように願いたい。
こんな言動を人前でする者が、婿養子の縁談など聞く耳を持つはずもなかろう。
結局、この後の米河氏と実母の言い合いは、小競り合い程度のもので終わった。
だが数日後、また、母は電話をかけてきた。その恩人たる人物が、ぜひ、お会いしたいと言っているのだとか。やむなく彼は、その数日後、母の生まれ故郷で自分自身も生まれた地であるH町に出向いた。
出向いた先は、病院であった。そこには、かつて米河氏の父親が若い頃仕事をした「痕跡」が、残っていた。母とは、ここで出会ったとのこと。
この日の話は、基本的に、和やかに終わった。しかし、辞去するにあたって、その恩人の女性は、泣き落としのようなことを彼に対して述べた。
この家には、何匹もの猫がいた。ペルシャ猫もいて、彼女は、米河氏を見て、いかにも胡散臭げな奴が来たニャ、といった顔をしていた。しかし、猫たちのうちの1匹は、妙に、人懐こかった。その猫さんは、飼い主のS夫人や顔見知りであろう実母の膝に何度も乗っては飛び降りた。彼女たちに各自3回飛び乗るのに対し、そのうち1回は、なんと、初対面であるはずの米河氏にも飛び乗ってきた。
その猫さんには、彼はそう胡散臭い人間とは思えなかったのだろうか。あるいは、隣の人物と親子であることが直感的にわかっていたのかもしれない。
結局、縁談がそれ以上進むことはなかった。後に彼は、母に電話をかけて、破壊力はあったか、と聞いた。母は、あきれ果てながら答えた。
「破壊力? あり過ぎたわぁ・・・」
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