第8話 袋の鼠

 僕は足早にアカスリコーナーへ向かった。幸い、伊香保さんの手が空いている状態だった。


「さっきの子ね。メニューは何にするの?」


「10分間のリンパマッサージ体験コースで……」


「じゃあそこの寝台にうつ伏せになって」


 施術開始。さすがにこの時間中に話を聞くぐらいなら許してくれるだろうと祈った。


「ちょっと聞きたいことがあって。僕は2階で起きた殺人事件に関する調査をしています。オーナーさんから聞いているでしょう?」


「あら? それなら早くそう言えばよかったのに。オーナーからは聞いているわ。調査に疲れてマッサージでも受けにきたわけ?」


 なんなんだこの人は。ろくに話も聞いてくれなかったのにこの言いっぷり。さすがの僕でも怒りそうになった。ひとまず深呼吸をして、切れかかった堪忍袋の緒を新調して会話に入った。


「そういうわけじゃないんですけど…… 伊香保さんは今日12時から14時までの時間はフロントで勤務していたと聞きました。出前の注文を取ったりしました?」


 伊香保さんが共犯者で出前を注文した線もあるが、呑気に客をマイペースに翻弄しつつダラダラ働いている彼女が犯人はないだろうと考え、思い切って踏み込んだ。誰かを殺したという緊迫感がこの人からは感じられない。


「あー、それなら私の前に黒川ってスタッフがフロントに入ってたんだけど、引き継ぎの時に出前についてこう言われたよ。『岩盤浴のボイラールームにいる指宿さんから出前の注文を受けました。本当にあの人は人使い荒いですよね〜。注文は済ませているので、昼頃出前の方がきたら直接ボイラールームの方までお通ししてください。館内マップは出前の方にデータで送ってあるので通すだけで平気です』ってね。それで実際、13時過ぎに水上って出前のやつが来たから2階の方へ通したよ。こんなどうでもよさそうな事聞いてくるけど、黒川がヤった感じ?」


 この聞き込みが決定打となった。間違いなく共犯者は黒川という人だ。そして犯人は出前に来ていた人だ。


「今の話を聞いていた限り恐らくそうかと。黒川という人物と出前に来た人物の共犯の線が濃厚でしょう」


「黒川、ヤっちゃったんだ。あいつ指宿からパワハラ受けてたからヤりそうな気はしてたわ。この前も指宿の業務日誌を盗んで困らせてたけど、そんなイタズラじゃ気が済まずヤっちまうとはねぇ。ま、指宿も自業自得ってやつだけど」


「指宿さんの業務日誌を盗むイタズラを黒川が?」


「そうそう。ただ黒川も抜け目だらけだね。嫌がらせのつもりでやるなら提出日に近い日にすればいいのに」


「と言うと?」


「ウチじゃ業務日誌をオーナーに15日と月の最終日にまとめて提出する決まりなの。黒川のやつ、何を考えているのか2日に盗んでたんだよ。困らせるなら14日に盗んで15日の提出に間に合わせなくさせればいいのに。あっさり新規作成されて指宿はなんも痛い目に遭わなかったよ」


「伊香保さんも中々悪どい思考ですね……」


 伊香保さんの思考回路には苦笑いしか出てこない。この人、今回の犯人ではないけど相当な悪人なんだろうなぁ。


 それからは事件に関することは聞くこともなく、他愛も無い会話を挟みつつ施術をとりあえず最後まで受けた。伊香保さんの発言ひとつひとつに毒を感じたが、マッサージ自体はとても気持ちの良い物だった。さすがプロのエステティシャンなだけある。


「ほら、終わったよ。気持ちいいだろ?」


「はい。気持ちよかったです。ありがとうございました。おかげで事件が解決できそうです」


「あ、ちなみに事件の捜査のためと言えどお代はちゃんともらうからね。1500円。退館時にフロントでまとめて精算だからよろしく」


 思わぬ負債を抱えることとなってしまったが、事件が解決できると思えば安いものだ。


 男湯の前でかなみょんが律儀に待ってくれていた。


「遅い。遅すぎるわ。そんな遅いんじゃレディも事件も逃げていくわよ」


「ごめんごめん。まあ、そのレディも逃げてなかったし事件も逃さず解決に至りそうだし許してよ」


「私の忍耐に感謝することね。2階へ上がる前に待たせた詫びとして、そこのフードコートでタピオカミルクティーでもご馳走してもらうわ」


「はいはい。ご馳走しますよ〜。じゃあその代わりに僕の愚痴、聞いてよ」


「しょうがないわね」


 かなみょんにタピオカミルクティーをご馳走し、伊香保さんの態度の悪さをたっぷりと愚痴った後に2階へ上がることにした。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「お待たせ〜」


「遅かったじゃねえか!」


「そうよ、遅かったのよ。月岡蓮太郎が遅かったの。遅かったからお茶をご馳走になったわ」


「てめぇやっぱり抜け駆けじゃねえか!」


「いや僕も自ら望んでご馳走したわけじゃないんだけどなあ…… まあ事件の全てが分かったよ。まずオーナーさん。黒川が共犯者、出前の人物が犯人で間違いないでしょう。すぐに黒川を呼んでください。」


「畏まりました。すぐに呼び出しましょう」


「それから出前で来た人は水上という人物だそうです。山代さん、このエリアで昼頃に勤務していた水上という人物について、出前のデマちゃんの本社へ問い合わせてもらえますか?」


「はい! お任せください!」


 しばらくして2人共連絡が済んだ。


「月岡さん、デマちゃん本社によると、水上はまだこのエリアで勤務中のようです」


「それは好都合です。再び此処名義で注文を取りましょう。犯人も共犯者も一度に此処に招集させられます」


 黒川、水上共に2階への呼び出しをすると、まずは黒川と思しき人物がやってきて、それから暫くすると水上と思しき人物が上がってきた。2人は会合した瞬間、全てを察しただろう、今回の殺人事件が全て看破されていることを。酷く恐怖に慄いている。そんな事もお構いなく、僕の推理ショーが始まる。


「それでは皆さん。犯人の面々も出揃ったので事件の全貌をお話し致しましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る