その二十七、家臣

その場しのぎの一時の戯言……『嘘』は、いつしか土のように固まっていく。誰にも底を知られてはならないと、常に周囲を警戒し・逃げるように立ち回るうち、『嘘』は心の壁に張り付いて、古い土壁のように風化していく。


――崩れはじめたと気付いたときには、もう遅い。必死に固めていたはずの、強いはずの『嘘』は、ぼろぼろと虚しい残骸に成り果てていくのだ。


……忘れもしない。気にくわない領主の元に、忍の一族から少女が嫁いできた後だった。我らの領地の端で、他領の将が精鋭の家臣を率いて、戦を仕掛けてきた――


味方、と呼ばれる他の家臣らは、ただでさえまとまりの薄い・個々の強い面々が揃っている。とりわけ『鬼』と例えられた、とある男の家門もそのひとつに含まれるのだろうが、“皆と共に先陣を”という領主の説得には断固として応じなかった。


戦で活躍し、誉を上げ、家門の名を轟かせる……武将としてこれ以上ない武勲・何者にも屈しない強き覚悟の姿であろう。しかし、男は領主への忠義を示すことも、他の者たちを助太刀するわけでもなかった。

無論、領地内で不満と疑惑が生まれるのも致し方なく、軍議や戦の場で冷たい声が聞こえることも珍しくなかった。


「でも、戦に“出陣”はしてる。あの人たちが本当の鬼なら、ただ座ってるだけじゃないはず。……あたし、行ってみる」

「……っ、おひいさま!!いくらご自分も戦えるからと、過信してはいけませぬ」

軍議の最中、すくっと立ち上がった領主の妻――少女のことを、年長者の家臣が真っ先に止めにかかる。一方、参謀の男やそれ以外の家臣たちは、じっと領主の方へと視線を向け、采配を待っているようにも見えた。


「あの人たちが今立ってるところにすら辿り着けないのなら、何年かかっても、本当のことは聞き出せないよ」

少女の言葉は、的確に鋭く、家臣たちを射抜いた。鬼の隣に並び立てないのならば、それこそが実力の差・もとい視野の狭さ故のこと……と言われても致し方なかった。


「……まかせても良いか。情けないが、俺では駄目だ」

「うん。待っててね、殿」

そうして領主からの頼みを受けて、少女は確かに頷いた。今後事態がどう転ぶか、誰にも予想はつかない。


……

小さく小柄な娘が、自分よりも遥かに大柄な男の上に馬乗りになった。太い首筋に細身の鋭いクナイを据え置き、男を牽制することも忘れない。……そうして一瞬の静寂を確かめてから、冷たさを圧し殺すような声で命じた。


「もしも今、ここが自分の散り際だと思わないのなら。あたしの言うことを聞きなさい」

「っ、貴様!!」

「優れた武人ならば、引き際をわきまえなさい。敵方の思惑にまんまとはまりこんで、孤立した挙げ句消え失せたいの?」

娘は半ば一方的に、無作法とも言える毒を浴びせ、鬼と呼ばれる男に命じ続けた。


「人の気持ちと同じぐらい、思い通りにはならないものがあるでしょ……自分の体だよ」

自分よりも一回りも幼い少女にそう言われて、男は黙る他なかった。

そうして、もう、とうに限界を超えていたであろう体に、薬や包帯の治療が施されたのだ。


ここからは、あたしの勝手なお喋りだから聞き流していい。……男に処置をする間、娘は実に低く・弱く感情を顕にした。

「……私は、父上に認められたかったわけでもない、すぐに死にたかったわけでもない。兄上に矛先が向くぐらいなら、喜んで戦に身を投じてきた。……兄上は道具なんかじゃない。力に溺れてこの世の本当が見えなくなる、その恐ろしさを知っていたから。決して無下に刀を取ることはなかった」


「これは、あたしの罪。ずっとずっと、ついて回る影。だから、逃げちゃ駄目なの。例え戦えない体になったとしても、いくらだって、何回だって、心で叩いて動かす」

嫁入りの日、娘は妙に持ち物が少なかった。化粧道具も、上等な着物もなかった。その身ひとつと、背中に抱える大きな綴箱――娘曰く、貴重な薬草や使い慣れた医療道具が入っている――だけだった。

娘は、己の身体が動くならば特別なものを何ひとつ必要とせず、欲しなかったのだ。


「奇襲する側なら、手負いから囲むのも至極当然よね」

そこら中の木々の上、まだ見えぬ森の奥地、頭上。続々と集まった敵の気配を確かめ、はーっ……と白い息を吐いた。辺りは霧も立ち込めていて、視界も悪い状況――ここを切り抜けなければ、娘も男も救済の道はない。


「……兄上の隣には、もう居られないの。あたしが居たら、兄上は今よりももっと苦しい思いをする」

娘が、明らかに目の色を変えた。

「……なぜ、そうも自分ばかりを責め立てる。救いを求めるように、自ら手を汚し続ける……?」

「何でかな。ずっとそうしてきたせいで、わからなくなっちゃった」

薄い笑みを浮かべた後、娘は何も語らなくなった。


ただ、自分に向かってくる敵の群衆の、鉄武器を叩き落とし、森の木々に身体をぶつけ、影が動かなくなるまで戦い続けた。


「いつものうのうと笑い、縁側で茶を点てているような若侍、俺は理解できん。……だが、あなたは。奥方として家に残るのとは違う、家門の名だたる家臣たちと連なって戦場に立つ――あなたの気持ちだけは、何があっても踏みにじることのないようにしたい……そう、思う」

空を夕暮れが包む頃。娘は、自分が鬼の男に抱えられ屋敷へ帰還した旨を他から聞き、至極驚いたようだ。




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