その九、若女将

「持ってきてくださったんですよ、占い屋の旦那が」

雨粒を大きくして、あたたかく何かを閉じ込めたような水晶が、宿の至るところ――主に、角の五ヶ所――に置かれていた。大女将である母に聞いても何も答えはなく、かわりに番頭に尋ねるとすんなり、いきさつを話してくれた。また助けられてしまった、と私は思った。


直接顔を合わせ、一言・二言交わしたときですら、あの方は自分のことをほとんど話さなかった。今回の、この水晶のことも。唯一知りえることとすれば、あの方のいる占いの店には、“主人(マスター)”と呼ばれる人と、女の子が二人いるということ。それ以外のことは、指先程度にしかわからない。


私の勝手な憶測、妄想でしかないことは重々承知しているつもりだ。

あの方は、きっと、目の前にいる人が何を求めているのかがよくわかるのだろう。そうしてさりげなく、余計な風が立たないように。解決に向かう種を蒔いて、芽が伸び始めたところで。するりと離れて、去っていくのだ。


まるで、樹木の枝のような人。近くに来た者を静かに見つめ、必要とわかると自ら止まり木になる。いずれ自分が枯れ行くことすらも知っていて、それでも笑っている、やさしい人。落ち着いた空気をまとい、体現しながらも、どこか近寄ることをためらってしまいそうになる。

一点を見つめて動かない視線が、揺れて流れていく時間のなかにいるその姿が、あまりにも美しいからだ。


有り様が、少しだけ父に似ている。私の父――宿の大旦那でもあった――は、もともと神社の家系だった。私の母が束ねる宗家に、婿入りしてきたようだ。新参ながらも、薬学や調理、結界術に才を持つ父は、宿にとってなくてはならない、柱のような存在となった。


幼いころから、将来宿を継ぐ者として教育を受けた私にとっては、一番身近な先生でもあった。


私が母に叱られて、調理場の裏手のほうでべそをかいていると。“私もよく怒られるよ”と苦笑いしながら、その手に手製の小さな生菓子を携えて、見つけにきてくれた。崩れかけていた宿を、内と外の両方から変え、私に繋いで残した人だった。

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