5-5
「あっ」
「あ」
電車を降りると、目が合った。隣の車両に乗っていたようだ。
「お疲れ様です。臺先生も来られたんですね」
「本当は昨日から来たかったけど、収録があったからね」
そういえば、例の目隠し早指しトーナメントは生放送ではないとのことだったから、きっとそれだろう。
「休む間もなく、なんですね」
「加島君こそ、自腹じゃないのかな」
「いやあ、なんか見に来なくちゃいけない気がして」
地下のホームから、地上へと出る。周囲に高い建物がなくて、遠くには緑が見える。初めて来たけれど、いきなり雰囲気があって驚いた。
「一緒にタクシーで行こうか」
「え、いいんですか。ありがとうございます」
歩いて駅から25分ぐらい、ということでどうするのか迷っていたのだ。運が良かった。二人で、タクシーの後部座席乗り込んだ。
「いつも福田さんがお世話になっているようだし」
「いえ、僕の方こそいろいろ叱咤激励されたりして」
「普段は生意気みたいでね、ちょっと想像がつかないんだけど」
「そうなんですか」
「まだ私に慣れていないところがあるみたいで。将棋以外のことはよそよそしい気がするんだ」
もともと福田さんを教えていたのは次郎丸六段だ。引退しているが、規定上師匠になれないわけではない。けれども福田さんは、臺九段に弟子入りした。複雑な関係、だとしても不思議ではない。
「そうなんですか」
「あまり同年代と仲良くするとかもなくてね。でも、加島君とはうまくやっていけてるみたいで、安心しているんだよ」
うまくやっていけているのかはわからないけれど、最近は昔ほど敵意を向けられることもないし、本当に妹がもう一人増えたように感じることもある。ロコロもそう呼ばれていたけれど、彼女にはお兄ちゃんが必要なのかもしれない。
「鹿がいるね」
「本当ですね。いっぱいいるんですね」
話には聞いていたけれど、市街地からちょっとのところに鹿がいっぱいいた。堂々と道を横断しているのもいる。
「もうすぐ着くね」
いよいよ、現地だ。タイトル戦最終局は、お寺で行われているのである。
「あ、来たねえ。いつもありがとうございます」
「いえいえこちらこそいつもお世話になってます」
控室に入ると、新里七段が立ち上がって深々と頭を下げたので、僕もさらに頭を下げることになった。アルパカの詰将棋担当者である新里さんは、地元奈良の出身なのである。
「一人で来たの?」
「駅までは。たまたま駅で臺九段と一緒になりました」
「師匠、来てくれたんだ」
「はい。ただ、緊張してまだ入れないって、境内を見てから来るらしいです」
「弟子の鬼勝負だもんね」
パソコンに、局面が映し出されていた。電車で見ていたところから、二手しか進んでいなかった。
「まだ何とも言えない局面ですね」
「これは時間かかるよ。ちょうどよかった、新作ができたから解いてみて」
「えっ」
新里さんは、とんでもないスピードで盤面に詰将棋の問題を並べた。速いのは解くだけではなかったのだ。しかも、とても盤上の駒が多い問題だ。
「プロならそう難しくないと思うけど、これ、使えるかな?」
「え、えーと。とりあえず解いてみます」
盤の前に腰かけ、問題をにらむ。くらくらするような配置だった。
十五分後。
「と、解けたような気がします……」
返事はなかった。
「新里君なら解説会に行ったよ」
ぎょっとして振り返ると、臺先生が来ていた。詰将棋に苦戦しすぎて、人の出入りに全く気付いていなかったのだ。
「なんか新作を解くことになってました」
「難しそうなのだったよねえ。それより、見て」
臺先生が、モニターを指さす。駒が、ぶつかっていた。予想より早い開戦だ。
「福田さん、焦ってないといいけどなあ」
本当に心配そうな声だった。しばらく二人で、無言で局面を見つめていた。
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