4-5

 気持ちがどん底まで沈んでいく。どこかで、少なくとも一勝はできると思っていた。

 テレビ棋戦の予選。中継などは一切されないが、僕のようなフリークラスの棋士にとってはとても重要な意味を持つ。もちろん全部勝って本戦に出る、というのも目標だが、できるだけ勝ちを積み上げておく必要があった。フリークラス脱出には、勝率をよくしなければならないのだ。

 それなのに。ベテランの先生相手に、いいところなく押し切られてしまった。ただ、黒星だけが積みあがった。

 あまりにも情けなくて、控室で突っ伏している。デビュー戦でうまくいきすぎて、調子に乗っていたのだろうか。

「ああ、加島君! よかった。あれ、対局は?」

「終わりました……」

 大きな声を出しながら入ってきたのは、大木九段。

「時間ある?」

「ありますけど」

「いやあ、今お客さんが来てるんだけども、ちょっと予想外で。手伝ってくれないかな」

「いいですけど、どうしたんですか」

「研修会の説明をしてたんだけど、付き添いがおじさんで」

「おじさん?」

「鷹昇龍」

「え?」

「おじさんの元横綱、鷹昇龍さんが保護者として来たんだ。僕も他の仕事があるからね、ちょっと相手を頼むよ」

「え? は?」

 なんだか意味が分からないけれど、時間があると言ってしまった手前今更断れなかった。

「じゃあちょっと来て」

「はい……」



 本当に鷹昇龍がいた。とても大きい。現役は引退しているけれど、とんでもないオーラを感じる。

「お待たせしました。今売り出し中の加島四段です」

「おお、どうも」

「は、はいいつもお世話になっています。加島衛です」

「ぜひ将棋を指してみたいとおっしゃって。加島君、お願いできるかな」

「は、はい? えっと」

「甥っ子を預けるんだからね、俺もその世界を知っておきたくてね」

 細い目が、僕のことを見据えている。怖い。

「こ、駒落ちでいいですか?」

「もちろんプロだからね、わかってるよ。でも俺もそんなに弱くないよ?」

 知っている。この人はめきめきと詰将棋を解くのが早くなっている。

「では、指してみましょう……」

 どういうわけか僕は、対局に負けた直後に元横綱と将棋を指すことになってしまったのであった。

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