第29話 僕にも魔法が使えたら
「ほら、ここが僕んちだよ」
「ただいま」
玄関を潜り扉を開ける。しかし中には誰もいない。一人きりの家。昼間は毎日ホームヘルパーさんがきてくれる。しかし夕方を過ぎるとこの家には誰もいない。洋が一人ここにいるだけ。
母親はすでにこの世にいない。父親は仕事の為に夜はいつも遅い。そんな生活が始まったのは一年ほど前の事だったかもしれない。
この生活は洋が強く望んだ事だった。母親を失った時、洋を親戚の家に預ける、そんな話がなかった訳ではない。
しかし洋は頑としてこの家から出ようとはしなかったのだ。それでも最初は近所に住む叔母の家に預けられた。だが洋は一人でこの家に帰ってきた。母親のいたこの家に。
『ぼくはいえにかえります』
そう書き置きを残して。
その後、いろいろとすったもんだを繰り返したあげく、ちょくちょく叔母が見に来ると言う事でなんとか話はまとまっていた。
そうして洋はこの家で一人で過ごす事になった。時々は父親の職場、大学の研究室で寝泊まりする事もあったが、基本はこの家に一人だ。
でもまだ十になったばかりの洋には一人、この家にいるのはやっぱり寂しかったのかもしれない。こうして結愛を連れ帰ったのは。
「僕の部屋、こっちだから」
洋の言葉に、結愛はこくりとうなづく。しかし実際に部屋に案内する前に、ふと結愛はその口を開いていた。
「……お母さんとお父さんは?」
「お父さんは仕事いってる。お母さんは……天国にいってると思う」
「……そっか……私と、一緒だね」
結愛は淡々と呟く。
「私と、一緒」
同じ台詞を繰り返して、わずかに涙目になる。
「うん。でも大丈夫だよ。この背中には翼があるから」
「つばさ?」
洋の不思議な台詞に、興味を引かれたのか結愛がきょとんと首を傾げる。
「うん。人は誰でも翼を持っているんだって。見えないだけで、この背に大きな翼があるって。だからいつか空に飛んでいけるって。この間よんだお話に書いてあったから」
洋はこの話を読んで子供心に「いつか空にいる母に会いにいけるんだ」。そう信じていた。その言葉はもっと抽象的な意味だとは気付かずに。
だけどこの台詞は、確かに目の前の少女に届いていた。
「そっ、か」
つぶやいて。そして小さく微笑んでいた。わずかに悲しみを含んだ、だけど強さのある笑みで。
「これ、あげる」
結愛がそう言った瞬間。彼女の手の中から、何の前触れもなく小さな花が現れていた。
「え。それ、どこから」
「召還術……。私、まだ大した事出来ないけど……」
「しょ……? よくわからないや。うんと、つまりは魔法って事?」
少し悩んだあと、洋は子供なりに考えた台詞をゆっくりとつぶやく。
「……うん。まほー」
「わ、すごいね。それ僕にも出来るかな」
素直に感心して、目の前の花を見つめる。
「……たぶん、出来ない」
「そっかぁ。僕にも魔法が使えたらな」
洋はじっと自分の手を見つめていた。もしも魔法が使えたら、とても楽しい事が出来そうなのに、と。
「……うんと、まほーは使えないと思うけど、まほーの力は沢山あるみたい……私、あんまり無いから……二人いっしょだったら、いろいろできるかも」
「そっか。じゃあ、二人でパートナーになれば大丈夫だね」
「……うん」
結愛は時をおいて。静かにうなづいていた。
「ぱーとなー……。じゃあ、いつか私のぱーとなーになってくれるって約束してくれる?」
「もちろんだよ」
そう言って洋はゆっくりと右手の小指を差し出した。その指を、結愛は自分の小指でとってそっとつなぐ。
「うん。……約束。ゆびきり」
結愛はつぶやいて、結んだ指を優しく切る。
「うん、何かあったら。僕が力になってあげるよ。がんばるから」
「私……も。私のまほーで、がんばって守るから」
「ばかだなぁ。僕はこー見えても強いから、守る必要なんてぜんぜんないよ。最近、空手の道場に通ってるしっ」
軽く構えをとって、ていっ、と正拳突きを繰り出してみせる。まだ習い立ての力ない子供のパンチではあったが、それなりにきちんとした技にはなっていた。
「うん。でも……私はまほーが使えるから」
「ふぅん。まぁ、いいや。じゃあ、約束な」
指切った小指を結愛へと向ける。結愛はこくりとうなづき、そして静かに時間が流れた。
「……そういえばひろしさんにも、使えるまほー。一つだけ、あるかも」
不意に結愛はぽつりとつぶやく。洋の顔を子供らしく、じっと見つめていた。
「一つだけ? それってどんな魔法?」
「うつつのじゅつ。こうして、こうしてね。集中して、一生懸命すれば……ほら」
結愛は手のひらを握ったり開いたりして、最後にぐっと強く握りしめる。
その瞬間、手の中にぽぅっと小さな光が浮かんでいた。
「わ。すごい。これ、僕にも出来る?」
「うん。出来る。でもちょっとこつがいるから難しい……手を出して」
「あ、うん。これでいい?」
洋は手の平を上にむけて差し出すと、結愛は手を広げて洋の手と重ね合わせる。
「私が力を出すから、その流れを少しずつ感じてみて。そしたら、それと同じように自分の中から力を出すのを想像するの」
結愛の手がぽぅっと光る。その瞬間、わずかな温もりを感じていたが、嫌な感じは全くしない。
なんとなく手の中に水が注ぎ込まれているような、そんな感覚が走る。くすぐったいような心地よいような不可思議な震えが洋の手を伝わっていく。
その方向に向けて力が流れていく様子を思い浮かべる。しかしなかなか力は表面に現れない。
「だめだ。出来ないよ」
「大丈夫。簡単な術だから、しばらく練習すれば出来るようになる。力いっぱいあるから大丈夫」
結愛はうんと軽くうなづいて、もう一度力を浮かべると、洋の腕の中に伝わってくる。
その向きにあわせて、洋はなんどもなんども力を放出しようとしていた。
やがて結愛にも疲れが浮かんでくる。やや顔色が青くすら感じられた。
「顔色、悪いよ。ごめん、疲れちゃった? やっぱり僕には出来ないのかな」
洋は顔をうつむけて、やや泣きそうな顔を浮かべていた。自分が出来ない事のふがいなさにも、結愛に無理をさせてしまった事実にも。
「大丈夫。必ず出来る。もう少しだよ、絶対だよ。大丈夫だから、絶対」
大丈夫、と何度も同じ台詞を繰り返す。今まであまり喋らなかったのに、洋をなんとか励まそうとしているのかもしれない。
「大丈夫だよ、大丈夫だよ。だからもう一回がんばる。がんばれ。がんばろ」
何度も言葉を繰り返して、そして再び洋に手のひらを合わせる。ずっと力を出しっぱなしだったせいか、とても手のひらが熱い。
「うん。わかった。もう一回やってみる」
洋は合わせられた手に、もういちどだけ力を込める。結愛から伝う鼓動が、はっきりと感じられた。
今までにないほど強く力が回っていく。
手の中が沸騰するように熱い。痛みが強く走った。
「いたっ。いたい、なんかすごくいたいよ」
「大丈夫。力が出ようとしてる証拠。がんばる、です」
結愛の言葉に、洋はぐっと歯を食いしばる。結愛も洋の為にがんばってくれている。ならここで引き下がる訳にはいかない。
「くぅ。光れ。光れー」
洋は大声で叫びながら力を解き放つ。その瞬間、ぱぁっと
「ほら、出来た」
「ほんとだっ。ぼくにも魔法が使えたっ」
洋はもうおおはしゃぎで、自身の手を見つめていた。確かにうっすらとした光が洋を包んでいる。
結愛の手をとって大きく上下に振るって「ありがとう」と笑顔で答えていた。
「……えへへ」
微かにだけど、確かに笑っていた。ずっと落ち込んだ顔のままだった結愛が、確かに微笑んでいた。
洋の胸がきゅっと締め付けられる。なんだか不意に胸がいっぱいに変わっていた。
その瞬間だった。
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