第28話 キャラメルはかすかな塩味で
どこか遠いところから声は響いていた。呼びかけるような声に、
ここはどこだろう。ふと考え込んでいた。
そうだ、ここはあの原っぱだ。小学校の帰りにいつも遊んでいる、山を登った途中にあるあの原っぱ。
やっと答えをみつけて、目の前に広がる草むらをじっと見つめる。どこからか小川のせせらぎが聞こえる。
ふと泣き声が聞こえた。
すぐに目の前で泣いている少女が一人。年の頃は十を越すか越さないかというところだろうか。いまの洋自身とほぼ同じ年頃だが、おそらくは一つ二つは下だろうか。
「泣くなよ、お前」
泣いている少女に、洋はぶっきらぼうに言う。どうして泣いているのかもわからない。彼女を見つけた時、もうすでにわんわんと一人大声で泣いていたから。
「……だって」
少女は言葉にならない声で、ただ泣きながら告げていた。何を言おうとしているのか、洋には全く想像もつかない。
不意に少女の目の前で段ボールに入れられた仔猫がうずくまっているのが見えた。
いや、うずくまっているんじゃない。死んでいるんだとすぐに気付く。仔猫はぴくりとも動こうとしないのだから。
「……だって」
仔猫はもう完全に冷たくなっていた。がりがりにやせ細った仔猫は、ろくに何も食べていなかったのだろうと思う。
親猫はそばにいない。それもその筈だ。恐らくこの子は捨てられたのだから。まだ目を開いてもいなかったに違いない仔猫。母親のミルクを飲んで過ごすはずの仔猫が、こんなところに捨てられて生きていられる訳がない。
「お墓、作らないとな」
洋は淡々とつぶやく。それ以外にしてあげられる事を思いつかなかった。
「やだ……つれていかないで……」
少女は段ボールの上に覆い被さると、ただわんわんと泣き続けた。
「でも。お別れしてやらないと、そいつがかわいそうだろ」
「かわい……そう」
洋の言葉に、初めて少女は顔を上げる。涙で目を赤く変え顔をぐちゃぐちゃにして。
「だってこのままじゃ天国にいけないだろ。ちゃんとお墓作って祈ってやんなきゃ」
洋は舌を噛みながらも、なんとかそう告げる。子供なりに必死で考えた言葉だった。
「お墓……天国……」
少女は再びじわりと涙を溜めだしていたが、それでも何か思うところがあったのか、ぐっと
「お墓……作る……」
ぽつりと呟き、じっと洋を見つめていた。
「どこ……」
「ん。ああ、お墓を作る場所か。うんと、そうだ。木の下! 大きな木の下にしよう」
洋は言ってきょろきょろと辺りを見回す。やや離れた小川の傍に、大きな木が立っているのが見てとれた。あそこにしようと告げると、少女は声もなくこくりとうなづく。
しばらくは無言のまま、洋は木の根本を掘り続けた。やがて仔猫を入れられるくらいの穴がやっと開く。
「ここに埋めるよ。この木がお墓の印になるから、きっとこの子は天国にいける」
洋の言葉に、少女は無言のままうなづく。少し涙目ではあったが、それでもなんとか納得したのか、じっとそのまま穴を見つめていた。
仔猫を横たわらせる。少しずつ土を掛けていく。完全に姿が見えなくなるまで。
「と、名前。名前を書かなきゃな。この子の名前は」
そこまでいって洋ははたと気が付いた。たぶん埋葬した仔猫に名前なんてないだろう。
置いてあった段ボールの汚れかげんや、中にいた仔猫の様子でわかる。少女はついさっき仔猫を見つけただけなのだと。
だとしたら名前なんて有るわけがない。案の定、少女も首を傾げている。何と答えていいのか分らないのだ。
「……名前……」
少女はぽつりとつぶやく。必死で考えているのかもしれない。もうすでに死んでしまっている仔猫の名前を。
少し時間が流れる。しかし少女はふと思いついたのか、ぽつりと答えた。
「……みゅう」
「え?」
「猫は、みゅうみゅうなくから……みゅう」
「猫ならにゃーにゃーだろ」
「……ふぇ」
他愛もない洋のつっこみに、少女は再び涙目になる。
「わわわっ。いや、みゅう。うん、いいんじゃないか」
慌てて肯定すると、少女も満足気にこくりとうなづいていた。
「うん。みゅう……可愛い」
自分のつけた名前が気に入ったのか、もう一度うんとうなづく。やっと少し涙が乾いてきていた。
「よし。名前を刻むぞ。みゅう、と」
石を使って木の表面を削っていく。子供の力ではあまり上手くは彫れはしなかったが、何とか判断出来る程度には削る事が出来た。
「よし。出来た」
「……みゅう。天国、いける?」
「ああ、いけるさ」
洋は自信満々に答える。子供ながらに、やれるだけの事をしたという満足感はあった。
「名前……教えて」
「え?」
少女の台詞に洋は思わず訊ね返す。名前なら今決めて彫りつけたばかりだ。
「貴方の……名前」
「あ、ああ。そっか、僕のか。僕はひろし。しんどうひろしだよ。海のような大きく広い心をもった人になれっていう意味なんだ」
「……ゆあ」
「え?」
「私の……名前」
少女――幼い頃の
「あ、そっか」
洋はぽりぽりと頭を
「なぁ、そろそろ帰らないとお母さんにしかられるんじゃないか」
洋の問いに、しかし結愛は無言のまま何も答えようとしない。困って何か声をかけようとした瞬間。ぐぅと結愛のお腹が鳴った。
「なんだ。お腹すいてるのか」
洋の問いに結愛は無言でこくりとうなづく。
「うーん。でも、食べ物はなぁ。あ、そうだ。確かポケットに」
思いついてがさごそとポケットをあさる。
「あったあった。ほら、これでも食えよ」
そう言って差し出したのは、小さなキャラメルが一つ。
「うん」
こくりともういちどうなづいて結愛はキャラメルを受け取っていた。ゆっくりとした動作で包装紙を外して口に運ぶ。
「……甘い……」
「キャラメルだからな」
「……美味しい」
「ああ、それはよかった」
「でも……ちょっとしょっぱい」
「それはお前の涙の味だろ」
「でも美味しい」
結愛はもう一度ぽつりとつぶやいて、そしてその瞬間、小さく涙をこぼした。
洋はぎょっと目を見開いて、結愛を見つめていたが、どうすればいいかも分からない。
「帰りたくない……」
結愛は淡々とつぶやくと、そっと顔を伏せる。
「帰り……たくない」
何があったのかもわからない。でも、ただ悲しさを携えた瞳で、寂しそうにつぶやく。
「うーん。でもお母さん心配するよ?」
「……お母さんいない……お父さんも」
「え?」
思ってもいない台詞に思わず訊ね返していた。しかし結愛は何も答えはしない。
「じゃあ、僕んちくる?」
子供なりに精一杯考えた言葉だった。
結愛はしばらく何か考えていたようだが、しかしやがてこくりとうなづいた。
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