第27話 狭間の向こう側

「もうどこにいったかなんて、誰にもわかんないから連れ戻す事なんて出来ないよ。運がよければ戻ってこられる人もいるみたいだけど、大抵はそのまま飲み込まれちゃうしー。いわゆる神隠しってやつ」


「くそっ。結愛ゆあ、どこだ」


 もはやさぎりの事なんて気にも止めずに、ただ浮かんでいる映像の中に結愛の姿がないか探し初めていた。


 しかし無数に浮か幻覚の中から、どこにいるかもわからない結愛の姿をみつけだす事なんて不可能とほぼ等しい。そして見つけだしたとしても、ひろしにはどうすればいいのかもわからない。


 そもそもさぎりが嘘をついているかもしれなかったが、しかしこの場所に結愛がいない以上は彼女の言葉を信じる他にはなかった。


 どうして自分は何も知らないのだろう。そしてなぜ自分はこんなにも必死に結愛を探しているのだろう。

 まだ出会ってから十日も経たない知らない少女に過ぎない彼女を。騙されていたのかもしれないというのに。


「話の途中だったからな。すっきりしないだけだ」


 洋はその手をぎゅっと握りしめてうそぶく。もう完全にさぎりの事など忘れ去っていた。

 しかし彼女はそれを許さない。


 ぞくっと背中が震え、その瞬間、洋は一気に後へと飛びすざっていた。目の前を雪風が通り抜けていく。


「君も無視するんだ。だめだよー。遊んでくれなきゃ。門が開くまでにはもーちょっと時間があるもん。結界とかいうのもあるし。あの図体ばかり大きな鬼は呼び出せたけど、ぜーんぜん話にもならなかったし。私、寂しいんだよー、遊んでよー」


 さぎりは右手を突き出して、くすくすっと笑みをもらしていた。まだ右手からはそよそよと冷気が漂っている。

 座敷童あるいは雪女。さぎりは自分の事をそう名乗っていたが、それが嘘ではないという証拠をみせるかのように。


「門がひらけばね。天津国あまつくにからたくさん仲間がくるからさー。それまででいいんだよ。でももしかしたら、そのせいでいっぱい人が死んじゃうかもしれないけど、君は殺さないように頼んであげるからさー」


 さぎりは楽しそうな顔を崩さずに、伸ばしていた右手の手のひらを洋へと向ける。その手をとるように指し示す。


「ふざけるな。門だかなんだか知らないが、勝手な事をいうな」


「むー。つまんないー。あの図体ばっかり大きな鬼は、呼び出してもぜんぜん遊び相手にはならなかったしさー。あの子は結界とか作って、門を封じ込めようとするし。ま、君がきてくれたおかげで隙をつけたけどねー。感謝、だよー」


 さぎりは再び、くすっと口元に笑みを浮かべていた。嫌らしい笑みを。

 洋は思わず声を失う。結愛が狭間はざまとかいう場所に飛ばされたのは、洋自身のせいだというのだろうか。洋が現れた事で結愛の集中が解けたと。


「門が開いたら、せめて話し相手になる奴らが現れると思うんだよねー。珍しく今回は天送珠てんそうじゅが現れてから、天守てんもりがくるまでに時間かかったしさ。だから天送珠を隠しておいたのに、なんでそれでも天守はみつけられるのかなー」


 さぎりはむーと眉を寄せていた。同時に再び着物が真っ赤に染まっていく。


「そうか。あの時、天針盤てんしんばんがきかなくなったのは、お前の仕業だったんだな」


 考えれば得心とくしんがいく事もあった。結愛は綾音達が隠したのじゃないかといっていたが、あのとき綾音達はまだ天送珠をみつけてはいなかった。


 結愛が天針盤を使うのを失敗した訳ではなく、たまたまさぎりが天送珠をみつけて隠していた瞬間と重なっていただけ。


「そーかな。そーかも。でも結局、みつけられたんじゃ一緒だよねー」


 さぎりがつぶやいた瞬間、ふわと着物の裾が舞い上がる 風が辺りに巻いていた。


「で、君もその様子じゃ遊んでくれないんだよね。じゃあ、いいや。いらなーい」


 冷たい空気が、風が、やがて凝結するように雪へと姿を替えていく。


「ばいばい、お兄ちゃん」


 雪は強く洋を打ち付けてくる。しかし風に耐えるのが精一杯で身じろぎ一つできやしない。


「くそっ。負けるか。俺は、あいつからまだ答えをもらっちゃいないんだ」


 強く高く叫ぶ。

 風は洋を捉えていた。洋は光を強く集める。


 うつつの術。ただ自らの力を解き放つだけの簡易な術。しかしそれだけに純粋な力は全てのものに抗う力がある。


 ばんっ。


 何かが張り裂けるような音が響いて、そして強い一撃を放つ。


 風が、雪が消え去っていた。洋の拳の光だけが辺りを皓々と照らしていた。


「え、ええっ。私の術がきかない? 天守にだって負けなかった私の術が」


 結愛を吹き飛ばしたのと同じ力なのだろう。さぎりはがっくりと肩を落としていた。


「さぎり。俺は天守じゃないから門がどうとかとか、世界がどうとかなんてことはよくわからない。

 でも俺は答えが欲しいんだ。あいつから答えをもらうために、あいつを救いだすんだ。だからその邪魔をするな。いますぐここから立ち去ってくれ」


 洋は拳をさぎりに突きつけて、さぎりへとにらむような眼差しを向ける。

 はっきりと決意した心。どこか迷っていた洋の心は、しかしいま確かな形をとってここにある。


「むぅ。でも、私だってもうひとりぼっちはいやだ。だから仲間を呼ぶんだ。だから君には邪魔されない。邪魔するなら、死んじゃえばいいんだっ」


 さぎりは強く叫ぶ。さっきまでの余裕のあった顔がどこか張りつめるような声と化して、そのまま真下へとうなだれる。


「……一人がいやなのか」


 なんとなくその顔に毒気を抜かれて、思わず訊ねかけていた。


「そうだよっ。だって、もうずっと一人だったんだよ。昔みたいに中津国なかつくにには他には妖怪もいなくなったし。天津国あまつくにになら、まだたくさんいるはずだもん。だから、門を開くんだっ」


 さぎりは語尾を強めて、そして再び風を吹き付けようとして洋を見上げる。

 だが、その瞬間。洋がもう身構えていないのに気がついて、驚いて顔を向ける。


「私の邪魔するんじゃなかったのっ。わかった。油断させて殺すつもりだろー。へへん、そんな手にはのらないからねー」


 さぎりはもういちど風を送ろうとして、力を集める。だがそれでも洋は力を使おうとはしなかった。さぎりの顔に動揺が走る。


「なぁ、お前は一人が寂しいだけなのか。だから門を開こうとしているのか。それなら、俺が友達になってやる。だからもうやめにしないか。俺はただ結愛と話がしたいだけなんだ」


「ほん、とに? いや、嘘だっ。人間はすぐにそうやって嘘をつくから。ふんだ、だまされないからねー」


 さぎりは声を荒げて、そして風を洋へと打ち付けていた。

 しかし洋はそれを拳で払う。もはや完全に現の術を使いこなしていた。


 元々空手を習っていたから動きの機微には精通している。そして洋には霊力だけは存分にあった。これしきの術では通用しない。


 さぎりは恐らく妖怪としては力の強い方ではないのだろう。もちろん小鬼のような低俗な存在よりはずっと力強いのだろうが、やはり精神的にはまだ幼いのだ。だから今うけた風の力も、最初に受けた時よりもずっと弱々しい力しか放たれていなかった。


 迷っているのだ。彼女はただ寂しいだけの子供なのだから。


「嘘じゃない。俺にはお前をどうとかする理由なんてないだろ。俺はただあいつを結愛から話を聞きたいだけなんだ。あいつに会いたいんだ。だからその方法を知っているなら教えてくれ。頼む」


 洋は真摯な瞳をまっすぐに向けて、ただ想いを素直に投げつけていた。

 目の前の少女は自分を妖怪だと名乗った。確かに不思議な力があるのも目にしていた。それでも彼女が自分と違うものだとは思えなかった。

 さぎりはどこか怯えるような顔で、静かに洋へと問いかける。


「ほんとにほんと?」

「ああ。嘘じゃない」

「ほんとにほんとにほんと?」

「ああ。本当だ」


「なら……教えてもいい。でも約束だからね。もしも嘘だったら絶対殺してやるからっ」


 さぎりの言葉に洋はかすかに苦笑を漏らす。嘘をつくつもりは全くなかったが、彼女と友達としてやっていくのはいろいろ大変かもしれないな、とは思った。


 しかしそれでも、これで結愛に会える。はっきり白黒つける事が出来る。そう思えば少しくらいの苦労は背負ってもいいかとも考えていた。

 さぎりがすぅと手を上にあげる。その瞬間、浮かんでいた映像がさぁと切り替わっていく。どこかで見たことのある風景に。


「これは、俺の過去――か」


 洋は驚きを隠さずに、あちこちに浮かんだ幻を目でおいかけていく。


 中学生の頃、小学生の頃。さまざまな思い出がいくつも浮かんでは消えていく。

 中にはあまり覚えていなかった記憶が浮かぶ事もあり、懐かしさと、そして何か得体の知れない恐怖が胸の中に浮かぶ。


「これは君の流れてきた時間だからねー。あの子とどこかで出会えていたなら、もういちど出会えば見つける事が出来るはずだよ。あの子の事を強く思っていれば。

 でも……この中に入り込めば、君の心も過去に戻ろうとするよ。だからちゃんと意識を保っていなければ、君もこの過去の中に囚われてしまうよー」


 さぎりは一心に映像を見つめていた。どこか寂しそうで、そして微かに期待を浮かべた顔で。


「私は君をこの狭間に送るよ。でも中津国と繋ぐためにこの紐をつけておくから。だから彼女を見つけたら、紐をひっぱるんだよー。そしたら私がここに連れ戻すよ」


「ああ。わかった」


 洋はベルトにさぎりの手渡した紐をくくりつける。長さはあまりなかったが、そもそ心がどこか違う世界に向かうのなら、これで十分なのかもしれない。


 洋は狭間と呼ばれる世界にいってみる事に決めていた。もしかしたらこれは少女の嘘なのかもしれない。

 そのまま狭間に送り込めば、洋を労もなく葬り去る事が出来る。


 一瞬、浮かんだ考えにしかし洋は内心で首を振るう。あの悲しい目は嘘じゃないと信じていたから。


「準備はいいぞ。初めてくれ」

「じゃあ、いくよ。送り込むから」


 さぎりは紐を手にしたまま、ふわと手を挙げる。その瞬間、映像がじわっと歪み。そして一気に吸い込まれていく。


 身体が強く引き延ばされるような急激な感覚。自身がどこかに向かっている事がはっきりと感じられた。


 探しにいく。あいつを必ずみつけてみせる。


「ゆあ」


 結愛の事を深く心の中で抱く。

 必ず助けてみせる。そう心に決めた瞬間。


「え?」


 さぎりの驚いた声が、どこかで響いたような気がした。

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