二.探し物と迷いと裏切りの中

第14話 天守の役割

「おはようございます。ご飯、もう出来てますよ」


 結愛ゆあがエプロン姿で洋へと声を掛けてくる。


「おわ。お前、いたのか?」


 思ってもいなかった攻撃に、ひろしは大きく声を上げる。誰もいないと思って寝ぼけ眼のまますごい格好で降りてきていた。


「ふぇ。ひどいですひどいです。ちゃんと昨日、一緒に暮らすって事で決まったのに。だから初日くらい、ちゃーんと早起きしてごはん用意して待ってたのに。待ってたのに。ひどいです。ひどいです。いじわるですーっ」


 しくしくと泣き真似をしながら騒いでいた。実際に泣いているようには全く見えなかったが、しかしそれでも悲しんでいるのは本当のようだ。


「洋さん、前からそうでしたけど、やっぱりいじわるです。ひどいです。そんなにひどいと雪人ゆきとに訴えますよ。大変な事になりますよ。それでもいいんですか、洋さん」


「あー、かまわん。雪うさぎだか雪だるまだか知らないが、好きにしてくれ」


 そう言えば以前にもそんな名前を言っていたな、とふと思い出す。そいつが何者なのか気にならなくもなかったが、恐らく訊いても答えは戻ってこないのだろう。


「洋さん、やっぱりいじわるです。私にそんな事出来ないの知ってて言うんですね」


 くすんくすん、と泣き真似を続けながら言うが、洋はとりあえず無視する事にしてテーブルにつく。目の前でほかほかと用意された食事が湯気を立てていた。


「ま、とにかく飯にしよう。暖かいうちに食べないとな」


「はいっ」


 洋の飯の言葉に一気に機嫌を直すと、ごっはんごはん♪ あさのごはんはほかほか炊き立て、とーふの味噌汁♪ と謎の歌を歌いながら、ご飯をよそっている。切り替えの早い奴だな、とも思う。


「はい、沢山食べてくださいね」


「ああ」


 ご飯を受け取ると、そのまま箸を手にとろうとする。


「あ、だめです、洋さん。ご飯をたべる時は『いただきます』ですよ」


「ん? ああ。いただきます」


「はい、めしあがれー」


 にこにこと笑みを浮かべながら、結愛はじっと洋の顔を見つめていた。


(ご飯を食べる時はいただきます、か。そんな事を言われたのは、いつ以来だか)


 ふと考えを巡らせていた。幼い頃に亡くした母親から言われた言葉。今でもはっきりと思い出す事が出来る。


 いつも一人きりだった食卓。こんな感覚は忘れていたな、と思いながら、そっとご飯を口へと運んだ。


「なぁ、結愛。お前達はいったい何者なんだ。天守ってなんなんだ」


 洋は、ふと疑問を口にしていた。突然にいろいろな事が起きすぎて今でもどこか現実感がなかった。しかしいま確かに結愛は目の前にいて、笑顔を振りまいている。


 奇妙な術。異様な姿の化け物。洋が今まで知っていた現実がまるで嘘だったかのように、それは一気に洋の中に入り込んできて常識を消し去ってしまった。それなのにどこか絵空事のように洋の中に染み込もうとしない。


「そっか。そうですよね。洋さんは天守てんもりじゃないから。わからない事ばかりですよね。ごめんなさい。じゃあ説明しますね、えっと。天守とは」


 結愛はゆっくりと話し始めていた。


「うーんと、簡単に言えば正義の味方です!」


 結愛は自信満々に胸を張って答える。


「で、その正義の味方は、どんな事をするんだ。悪人を退治するのか」


 洋はなかば投げやりになって溜息を吐く。まともな答えが返ってくるのは期待してはいなかったが、こうも的はずれだとやはり疲れる。


「うんと。そうですね。私達、天守は只人ただびとには使えない術が使えます。でも天守でなくても術を使える人達っていうのはいるんです」


 結愛はゆっくりと、少しずつ語り始めていた。思っていたよりもずっとまともな答えに、洋はやや姿勢を正す。


「でもその中には悪い人もいます。鬼を呼び出して誰かを殺めるのに使ったりとか」


「なるほど。そういうのを取り締まるのが天守だと? なら魔法の世界の警察みたいなものか」


 結愛の言葉に洋はふと言葉を返す。なんとなく天守の役目が分かったような気がする。


 しかしてっきりと頷くと思っていた結愛は、静かに首を振っていた。


「ちょっと違います。それだけなら私達天守は手を出しません。人の世界の事ですから」


 どこか悲しそうな、あるいは寂しそうな瞳で、ただゆっくりと答える。


 こんな風な顔をした結愛を洋見た事がなかった。思わず抱きしめてあげたくなるような、そんな眼差しをした結愛は。


「私達、天守は隠れ里に住んでいます。地図にはない、誰も知らない場所。そこで天を守って生きているんです」


 結愛は空を見つめる。空とは言っても、ここは室内だし、天井しか見えはしないのだが、しかしそれでも結愛は空を見ている。洋にはそんな気がしていた。


「見えないけど、天には沢山の者達が住んでいます。たぶんそれは人が神と呼ぶもの。


 洋さん、ぷちおに。見ましたよね。あれは国津神くにつかみの一種。地の底の住む者です。


 同じように天にも住んでいる者がいます。天津神あまつかみ。例えば天使、あるいは精霊、神と呼ばれる者たち。彼等は時に中津国なかつくに――私達が住むこの世界に現れます。


 彼等の力は、まさに神と呼ぶに足るものです。でも彼等は決して人にとって善なるものではない。現れるのは、中津国を得んとするため。すなわち人を滅ぼす為です。


 私達、天守は天からこの中津国を守る為にいるんです」


 いつよりも真摯な眼差しで。結愛は一気に言い放った。


 洋の背中に、なぜか冷たいものが走った。もしもこれが本当だとするならば、結愛達は人知れずこの世界を守っているという事なのだろうか。永遠に闘い続ける運命を背負い。


 そして洋は天守である結愛を助ける為に選ばれたというのだろうか。自分にそんな事が出来るだろうか。ふと思う。


 重い役目だ。一介の高校生には、重すぎる役目。「貴方には智添ちぞえをこなすのは無理です」そう言った冴人の言葉が、頭をよぎる。


 自分には無理かもしれない。ふと不安に囚われて口を開こうとした。その瞬間。


「……と、言っても実際には天から何かやってくるなんて事、千年に一度とか、そーいう話なんですけどね。


 基本的にはその兆候が無いか調べたり、何か原因があるなら取り除いたり。あるいは天津神の力を手にいれよーとする悪人を退治するのが天守の役割ですっ」


 結愛は急に雰囲気を戻して、明るく告げていた。


「つまりは正義の味方ですっ。ぶぃ!」


 結愛はきゃいきゃいと笑いながら、ピースサインをしてみせる。


 その様子に、なんだか洋は可笑しくなって、ぽんと結愛の頭に手を載せていた。


 えへへ、と結愛は軽く笑っていた。

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