第11話 洋さんは塩味ですか?

「でも貴方では智添ちぞえを努めるのは無理です。少なくとも私達には敵いませんね」


 その言葉はさきまでとは違い本当に凍るようなつぶやきだった。ぞくとひろしの背が震える。


 しかしそれでも洋は顔を背けようとはしなかった。冴人さいとを睨むように強い視線を送る。


「少しは骨があるようですね。しかし、もしも足をひっばる事があれば、私が。殺します」


 冴人はほんの少しだけ口元を緩ませて、はっきりと言い放っていた。殺す、と。


 その言葉はどこか遠くて洋は一瞬、理解する事も出来なかった。あまりにもさらりと言われた台詞には現実感がまるでなくて、それなのに冷たさだけが背の中に伝う。


 しかしその瞬間、みゅうが声を立てると洋の肩から首を伸ばした。


「みゅうっ」


「どうした、みゅう」


 洋が声をかけるがみゅうは何も答えない。じっとある一点を見つめ続けているだけだ。


 しかし先程の様にみゅうは強い警戒をみせておらず、むしろ期待に満ちた瞳で見つめ続けている。


「やれやれ。困ったものですね。あの人は」


 冴人がつぶやくと同時に風がつむじを巻いた。ふぅと風は姿を失い、そして洋の前に突如、彼女が現れていた。


「洋さんっ。大丈夫ですかっ。洋さんっ、洋さんっ、洋さんっ」


 洋の名を呼んで、結愛ゆあは思いっきり飛びついていく。一瞬、バランスを崩しそうになって洋はわずかにたたらを踏んだ。


「ごめんなさい、私の。私のせいでっ。洋さんが、洋さんが、洋さんが」


 洋の胸にすがりつくようにして、その顔を見上げて。


「薄焼きせんべいになってしまうところでした。うう~。ぱりぱりして美味しいんです」


 相変わらず訳の分からない事を言い放つ。


「あのな。なんだ、その薄焼きせんべいっていうのは。俺は食べ物か、食べ物なのか?」


 洋は思わず叫ぶと胸元にいる結愛をじっと見つめる。呆れて言葉も出てこない。


 さっきまでの冷たい空気が一気に消え去っていた。暖かい温もりが辺りを綺麗に包む。


「ふぇ。洋さんは食べ物だったのですか? 美味しいですか? 何味ですか? あ、わかった、きっと塩味ですねっ」


 私、でも醤油味が好きです。と続けて、結愛はそれから首をかしげる。


「でもどうしてそんな話になったんでしたっけ?」


「あのな。俺が薄焼き煎餅になるってお前が騒いだんだろ」


「ふぇ~」


 首をかしげたまま、結愛は頬に伸ばした人差し指を当てる。それから不意に、ぽんっと柏手を打つと、うんうんとうなづいた。


「そうでした。そうです。そうですよーっ、えっと洋さん、大丈夫でしたか?」


「ん。ああ、まぁ平気だ」


 洋は言葉を濁しながら答えると、ちらりと冴人へと視線を送る。冴人はふん、と鼻を鳴らすが、しかし何も告げようとはしなかった。


「よかったぁ」


 安堵の息をついて、再びうんうんと頷く。


「洋さんがぷちおにに食べられたらどうしようかと。頭からぱりぱりと……。洋さん塩味だからきっと美味しいでしょうし、食べがいあるし」


 結愛がむーと眉を寄せる。


 しかし軽く言われた結愛のその台詞に、洋の背中にぞっと冷たいものが走った。あそこで冴人が現れなかったら、確かにそうなっていたのかもしれない、と。


「俺はいつから塩味に決まったんだよ」


 内心感じた恐怖を悟られないように軽口を叩く。しかしそれに答えるものはもちろん誰もいなかった。


「落ちこぼれに力の無い只人ただびとの取り合わせですか。お似合いではありますが、これ以上はつきあっていられませんね。くだらない。導卦紐どうけひもを使わなければ術も使えないような人が、私達と張り合うだなんて無理もいいところです。いいですか、早く天送珠てんそうじゅをみつけださねば、天正てんしょうの門が開くのですよ。そうなれば最悪の場合この中津国なかつくにが滅ぶ事だってありえるのです。悠長に構えている場合ではありませんよ」


 冴人は一気に言い放つと、軽く鼻で笑うように台詞をつなぐ。


「もっとも私と綾音あやねさんがいる限りは、そのような事にはなりませんけどね。まぁせいぜい貴方達も全力をつくしてください。ほんの少しくらいなら、役にも立たないとは限りませんから」


 明らかな嘲笑を浮かべて、冴人は冷たく言い放つ。ふん、と声を漏らしてくると背を向けようとする。


「ふ、ふぇっ」


 冴人の台詞に結愛が大きく声を上げる。それはこんな事を言われれば、いくら結愛でも頭にくるなり、悲しむなりするだろう。洋が結愛をかばうように冴人をにらみつけた瞬間。


「冴人くん。いつからここにいたの? 私、びっくり」


 結愛は驚愕の色を浮かべて、ぼけた事を言っていた。ぜんぜん怒っても泣いてもいなかった。


「気付いてなかったんですか!?」


「うんっ」


「そこで力一杯うなづかないでください。そもそも貴方、また一般人の前で術を使ったでしょう。それはいけないとあれほど口をすっばくして言っているというのに」


 冴人は大声で叫んでいた。さすがの冴人も、結愛にかかっては自分のペースでいられないらしい。思わず洋は笑みを浮かべていた。


「ふぇ。ごめんね、冴人くん。でもでもでもでもでもでも、大丈夫だよ。ちゃんとバスのお金、置いてきたし。乗り逃げしてないよ、してない。してない。うん、してない」


 こくこくこく、と何度もうなづいて、そしてゆっくりと笑う。


「結愛さん。そういう事が問題な訳じゃないんですよ……と、貴方にこれ以上いっても無駄でしょうね」


 冴人は呆れた声で答えると、ふぅと溜息をついた。


「みゅぅ」


 ふとみゅうがうなづくように鳴く。その様子をみて冴人がわずかに顔を歪める。どうやら内心何か思うところがあったらしいが、さすがに猫相手に文句を言うつもりもないようだ。


「ふぇ~。ごめんなさい」


 結愛はよくはわかっていないようではあったが、それでも思い切り頭を下げていた。

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