第10話 猫は不快な生き物
「キキィ」
しかしもちろん、その程度で倒れるような相手でもなかった。
しかし小鬼はそれを許そうとはしない。キキィと甲高い声を上げて、洋の背中へと飛びかかった。
だが、それは洋も予想していた攻撃だ。飛び込んでくる小鬼をすんでのところで左に避けると、すれ違いざまに蹴りを食らわす。
ガン、と強い衝撃が走った。まるで金属の固まりのような堅さだった。
再び背中に冷たいものが走る。もしもこんな奴に捕まったら、洋の身体などそれこそ紙切れのように引き裂けるだろう。
もっとも小鬼も蹴りの衝撃でバランスを崩していた。幸い蹴り足にはそれなりに痛みが走ったものの、走れない程には影響はない。
しかしこのまま小鬼のいる方向へ走り抜けるのは無謀に思えた。仕方なく側にあった路地へと入る。
「ち、遠回りになる」
思わずつぶやくが、しかし文句もそうは言ってはいられなかった。後を振り返れば、小鬼の姿はもうすぐ後まで追いついてきている。
逃げ切れるか。洋はぎゅっと眉根を寄せた。スポーツは得意な方だ。子供の頃に空手の道場に通った事もあるし、才能があったのか黒帯も持っている。しかしそれだけだ。化け物と戦うには、とてもじゃないが事足りるとは思えなかった。
「くそっ」
このままでは家まで無事に辿り着けるとは思えない。
「みゅーっ」
突然、みゅうが心配そうに鳴いた。
「だいじょうぶだ、みゅう。そう簡単にやられてたまるか」
みゅうに答えたその瞬間。ふと洋の頭にある事が浮かぶ。
「そうだ。この近くに確か」
建築中の建物があった。そこになら、何か武器になる資材があるかもしれない。
洋はとにかく走り続けた。そして小鬼が追いつくよりも早く、目的の資材置き場へと飛び込んでいた。
何かめぼしいものは。洋はあちこちを見回して焦りを感じる。
資材置き場には木材や鉄筋がいくつも置かれてはいたが、さすがに持ち上げる事は出来ない。もう少し手軽なものはないかと視線を巡らせる。
「キィ!」
小鬼の声がすぐ後ろに迫っていた。
何か、何かないか。口の中でつぶやくが、しかしこれというものが見あたらない。
「みゅっ」
その瞬間、みゅーが小さく鳴いた。思わず振り返ると、その先に鉄パイプが積み重ねてあったのに気付く。
「よし。こいつなら何とか闘えるか」
置いてあった鉄パイプを手にして、洋はもう目前に迫っている小鬼へと振り返る。
「キキィ!」
叫びを上げ小鬼は洋へと飛びかかった。
「うおおお」
しかし洋も鉄パイプを突くように小鬼へと差し出す。ガンと強い衝撃がその手に走る。
「キキィ?」
小鬼は今までと少し違う悲鳴を上げて地面へと倒れ込む。
「よし、効いてる。なんとかこいつで……」
倒せれば。そう思った瞬間だった。
「無理ですね」
ふとその声は響く。
洋は声のした方向へと振り返る。積み重ねられた資材の上に彼は座っていた。確か人のこたつでみかんを食べていた二人組の片割れの男で、
「鬼をそんなもので倒せるはずがない。所詮、
冷たい声で言い放つと、冴人はじっと洋を見つめていた。
「なんだと」
「やれやれ。助けにきてあげたというのにご挨拶ですね」
冴人が告げた瞬間、小鬼も彼に気付いたのか、きょろきょろと二人を見回す。
そしてその牙の矛先を冴人へと向け飛びかかっていた。
「愚かな。小鬼程度が、この僕に向かってくるとは」
冴人はすっと立ち上がり、そして近付いてくる小鬼へと向き直った。
「
一文字ずつはっきりとつぶやき、そして合わせた両手の形を少しずつ変えていく。
「
冴人が叫ぶと同時に突き出した三本の指のうち、唯一その指先同士が触れる薬指の先から、一筋の雷撃が走る。
「キキィ!」
雷に打たれ小鬼の動きがぴたりと止まる。そして次の瞬間やはり小鬼は紙へと姿を戻し、そして燃え尽きていた。
冴人は一歩も動く事もなく。
「あっけないものです」
呟いて、そしてくるりと振り返り洋へと顔を向ける。
「この程度の鬼も一人で退治出来ない男を、なぜ
言い放って資材の上から飛び降りる。それからつかつかと洋の目の前まで歩み寄って、じっとその顔を見つめた。
「貴方には
ふん、と冴人は冷たく声を漏らす。
洋はむっとして顔を向けると、目の前でぐっと拳を握る。
だが言い返す事は出来なかった。確かに洋には力がなく何も出来はしない。結愛や目の前の冴人のように術式を使う事が出来る訳でもない。
「言い返さないのですね。少しは身の程を知っているという事ですか」
冴人は指先で眼鏡の位置を直すと、小さく笑い声を漏らす。
その瞬間だった。洋の肩にしがみついていたみゅうがフー、と威嚇の声を鋭くあげる。
「う、わわっ。ね、ねこ?」
冴人は叫ぶと一歩後ろへと飛びのいていた。突然の事に洋は何も反応出来ない。
「みゅうっ」
みゅうが勝ち誇った声を上げると、冴人はあからさまに不機嫌な顔で洋を睨みつける。
「なんですか。その不快な生き物は。全くそんなものと一緒に歩いているだなんて、本当に不愉快極まりないですね。ただでさえ貴方は私の気に触るというのに」
どこか洋を遠巻きにしながら、冴人は眉間を寄せた。
「……お前、もしかして猫苦手なのか」
「何を言うんです。この僕が、そんな小動物風情が苦手な訳ないでしょう」
ずれた眼鏡の位置を直しながらはっきりと、しかしどこか視線を反らしつつ告げる。
「そうか。じゃあ、ほら」
「みゅう?」
みゅうを肩からつまみ上げると、冴人へとさっと差し出した。みるみるうちに冴人の顔色が変わる。
「わ、わわっ。く、くるなっ」
慌てて後ずさると、洋から、というかみゅうから距離を置いていた。
「やっぱり猫苦手なんじゃないか」
「……いちいち
完全に顔を背け冴人はふんと声を漏らす。
「別にそーいうつもりじゃないけどな」
ただ別世界の人間のように思えた冴人も、力はあっても普通の人なんだと思えただけで。
「まぁ、いいでしょう。今日のところは私は退散する事にしましょう」
再び洋へと視線を戻し、そしてふんと鼻息を漏らした。
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