第6話 反省会
「消えた!?」
目を疑うが、確かに彼等の姿はもうどこにもない。そもそもこの居間から外に出るには洋が立っているこの扉を抜けるか、奥にある台所へ向かう扉を開けるしかない。
しかし洋の隣を通り過ぎるには狭すぎたし、奥の扉が開いたような様子も無かった。消えたとしか言い様がない。あぜんとして二人のいた場所を見つめていた、その時。
「みゅーーーーー!」
叫び声が大きく響く。
「どうした!?」
今度はなんだ、と声には出さずに続けて廊下に向かう。廊下に出ると同時に何者かが洋の顔にばんっと飛びついた。水に濡れた感触が気持ち悪い。
「うわっ」
思わず声を上げてしまうが、冷静になってみれば何の事はない。先程拾った仔猫が飛びついてきただけだ。
「みゅーっ!」
仔猫は再び声を張り上げると、そのまま洋の肩へと回り、爪を立てしがみつく。
「こらー、みゅう。まちなさーい」
声にふと顔を上げると、その向こうからバスタオルだけにくるまった結愛が駆け寄ってきているのが目に入る。隙間から胸元や素足がちらりと覗いていた。
「あ、
何事も無いように、結愛はにこりと微笑むとじっと洋を見つめる。
「『あ、洋さん』じゃない! なんて格好してんだ。服きろ、服!」
慌てて顔を反らして、その顔を真っ赤に染めた。しかしそれでも時々ちらちらと思わず視線を移してしまっていたが、その辺りはやはり洋も若い男だと言う事だろう。
「ふぇ?」
結愛はいつも通り首をひねる。そして身体ごとそのまま傾けようとしていた。
「わわわ。バカ、
バスタオルの上から僅かに覗く膨らみが目に入り、洋の胸が強く鼓動する。
「ふぇ? あ、でもまだみゅうを乾かしている最中なんです。それなのに、みゅうったら駆け足で逃げちゃうんですよ。ドライヤーの音が怖いみたい。だから、みゅうを渡してくださーい」
「みゅう? ああ、この猫か」
洋は肩の後ろに隠れている猫に手を伸ばす。しかしよほど嫌だったのか、がっしりと捕まって離れようとはしない。
「あ、そうですよ。みゅーみゅーなくから、みゅう。ダメですか?」
「いや、お前が拾った猫だから好きにつけたらいいけど。こいつ乾かすの嫌がってるみたいだぞ」
「ふぇ。でも、ちゃんと乾かさないと風邪ひいちゃいますよー。ね、みゅう」
結愛がみゅうを覗き込もうとするが、みゅうは結愛を避けるように洋の背中を動く。
「いてて。こら、爪たてるな」
「ほら、洋さんも痛がってるからっ。はやくおいで、みゅう」
結愛はみゅうを捕まえると、ぐっと力を入れて引っ張る。しかしみゅうもそれに耐えるように思いっきり爪を立てて対抗していた。
「こらっお前ら、いてっ、やめろ、ててっ」
洋の背中で激しい攻防戦が繰り広げられていたが、さすがに仔猫の力では敵わないのか、ふっと洋にしがみついていた力が抜ける。
洋が息をついて振り返ったその瞬間。
はら、と結愛のバスタオルがはだけていた。一瞬の事ではあったが、確かにその肌と膨らみが目に入ったような気もする。
「きゃっ」
結愛は小さく声を立てると、慌ててバスタオルを押さえていた。
ぷるぷると洋の肩が震え、
「……さっさと服きてこい!」
大きく叫んでいた。
「ふぇ。なんで私はこうしているのでしょうか」
「みゅーっ」
結愛とみゅうは客間で仲良く正座させられていた。もっとも実際に正座しているのは結愛だけではあったが。
結愛はすでに着替えも済ませており、洋のジーンズとシャツを着込んでいる。サイズが合わずにだぼだぼで、ジーンズの裾など何重にも折り曲げられていたが。
ただ色紐の髪飾りだけは、髪も洗った後のようなのにしっかり結びつけられていた。よほど気に入っているのだろうか。僅かに気になるが、いまさら結愛のやる事を気にしても仕方ないという気もしなくもない。
「反省会だ。ついでに聞きたい事も山ほどあるしな」
「反省会。ふぇ~」
結愛は驚いたとも理解出来ていないともとれる声を漏らすと、いつも通り首を傾げる。
「……わかってないな。こいつ」
洋はなかば諦めも含めた声で呟くと、軽く溜息をこぼす。
「まぁそれはいいとして、それよりだ。さっき居間で
先ほど現れた二人を思いだして、眉を寄せる。二人は確かに消えたように思えた。あれは何だったのだろう。目の錯覚だったのだろうか。
あの時は突然現れたバスタオル姿の結愛に意識を奪われていたが、思えば今でも信じられない。
「ふぇ? 綾ちんと冴人くん。何の用だろ? うーん。あ、わかった! そろそろご飯だからお腹がすいたんだ、きっと」
「違う! 絶対違う!」
「ふぇ。結愛の手料理じゃだめですか? 料理得意なのに、私」
「あああ。そうじゃねぇ。ってか、それはいいとしてだ」
結愛のずれた台詞に洋は律儀にいちいちつっこむ。そんな様子にみゅうは退屈そうに大きくあくびを漏らしていた。
「あいつら候補生って言ってた。何だ、候補生っていうのは。俺には智添は務まらないとも、だ。なんだ、それは」
考え出すと分からない事は、本当に山ほどあった。そもそも結愛自身が何者なのかもわからないのだから。
「あいつら何なんだ。そしてお前は何者なんだ」
洋はまっすぐに結愛を見つめる。あまりにもわからない事が多すぎた。天真爛漫な結愛の振るまいに、気にしないでいられた事も今は強く胸の中に訴えかけてくる。
「ふぇ。私はゆあですよ」
「名前じゃなくて、お前の素性を訊ねてるんだ!」
洋は思わず叫んでしまってから、疲れる問答になりそうだと再び溜息をつく。しかし結愛のこの性格があるからこそ、今ひとつ現実味がなくてさほど驚かずにいられたのかもしれない。
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