第21話 四角いお砂糖は罠でした

「あ、れ……?」


 それに気づいたのは、偶然じゃなかった。


 毎日のようにこのワゴンに乗せられた茶葉の中から、今日のお茶菓子に最適なものを選んでいるから。同じ並びを覚えてしまうほどに見ていたからこそ、すぐに違和感に気づけた。

 でも、それだけじゃなくて。

 前にも同じような違和感を覚えたことがあったからこそ、今回は警戒できた。


「カリーナ嬢?どうかなさいましたか?」

「セルジオ様……この入れ物は、何でしょうか…?」


 決して触れることなく、置かれている見慣れない入れ物を指さす。

 白くつるりとした表面は、見た感じだとカップやポットと同じ素材で作られているように見えるけれど。


 何があるか分からないものに、不用意に触れない。


 それが私が令嬢教育で、王弟妃教育で教わったことでもあり。

 何よりこの執務室で、実際に体験して学んだことでもあった。


「……こんなものを乗せるよう指示した覚えはありませんね…。失礼」


 険しい顔でそれを手に取って、少し離れた場所で中身を確認しているセルジオ様。手に取る前に少しだけ手を翳していたようにも見えたので、一応容器そのものに毒が塗られていないことは確認済みなんだろう。


「…………なるほど……。カリーナ嬢、これを手に取らなくて正解でしたね。下手をすれば、以前と同じ事になっていたかもしれません」

「……と、いう事は…」

「また媚薬か。懲りないものだな」


 僅かにふたを開けて匂いを確かめたセルジオ様の言葉に、まだ側仕えでしかなかった頃の出来事を思い出していたら。静かに成り行きを見守ってくれていた殿下がそう言いながら、私の肩を抱き寄せて。


「あの……殿下……?」

「もう一度セルジオが詳細に調べ終えるまで、カリーナはワゴンの上のものを触ってはならぬ」

「あ…はい……」


 その顔は思っていた以上に険しくて。

 だからそのままソファに促されているのを分かっていて、それでも何一つ抵抗することなく連れられて行けば。そのままいつも以上に近い位置で、肩を抱かれたまま並んでソファに腰を下ろすことになって。


「え、っと……今回は私、何もなかったので大丈夫ですよ…?」

「分かっている。だが私の気持ちの問題だ」

「……そう、ですか…」


 大丈夫と伝えても、そう言われてしまえば何も言い返せなくて。

 前回のことがあるから、過剰に心配されるのは仕方がないのかもしれない。確か私には媚薬に対する耐性がないから、殿下やセルジオ様に比べて効きやすいらしいし。

 今回は匂いを確かめたりしていないし、何より触れてもいないけれど。殿下を不安にさせてしまうよりは、今のこの状態で安心してくれるというのであればそれでいい。


 …………若干、恥ずかしいとは……思うけれど…


 でも確かに私では、他が安全かどうかが分からないから。

 素直に殿下の言葉に従って、セルジオ様が調べ終わるのを待つしかない。


「でも、どうして今更……」

「今だからこそ、だ。もしも今君に何事かがあれば、王弟妃候補の座がまた空席になる。そこに入り込みたいどこぞの貴族による、愚かな行為だ」

「いえ、でも……だからこそ、どうして今更媚薬なのかな、と……」


 そもそも私や殿下に媚薬が効いてしまったとして。それで困る事といえば、私の名誉くらいなものだろう。

 でも逆に考えれば、オルランディ家からしたら我が家の娘に手を出した責任を取れと、いくら王族とはいえ迫ることが出来る。

 それは果たして、媚薬を仕込んだ人の思惑通りなんだろうか……?


「そうではない。既成事実の有無ではなく、もっと感情的な部分に訴えかけようとしたのだろうな」

「感情的な部分…?」


 意味が分からなくて私が首を傾げていたら。


「殿下の仰る通りでしょうね。こちらはどうやら砂糖入れだったようなのですが…」


 一通り調べ終わったらしいセルジオ様が、先ほどの容器をテーブルの上の少し離れた場所に置いてからふたを開ける。

 ギリギリ中身が見える位置からそっと覗き込めば、中にあるのは四角くて白い塊たち。


「これが……お砂糖…?」

「蜜で砂糖を固めたものです。おそらくはその蜜の中に、媚薬を混ぜていたのではないかと思うのですが…。流石にこの先は、もっと詳細に調べてみないと分からない部分ですので」

「でもそれと感情的な部分というのは、どうつながるんですか…?」


 お砂糖はお砂糖。そこは変わらない。

 なのにそれをわざわざセルジオ様が見せてきたという事は、これがその答えだという事なのだろうけれども。

 正直、私にはさっぱり分からない。


「殿下は紅茶に砂糖など入れることのない方なので、そもそもこれに手を付けることなどあり得ません。ですが、一般的に甘いものが好きな女性であれば……どうでしょうか?」

「……人によっては、喜んで紅茶に入れるかもしれませんね…」

「そうです。そしてこのワゴンの上に乗せられているものは、この執務室の中でしか使われることがありません」

「…………つまり……殿下ではなく、明らかに私が狙われていた、ということでしょうか…?」

「まず間違いなく」


 私に……媚薬…?

 それこそ本当に意味が分からない。


 一応前回倒れた時のことは、外には一切漏れていないそうだから。私が媚薬の香りにすら弱いという事は、誰にも知られていないそうだけれど。

 だからこそ余計に、わざわざ私を狙うのにこれを選んだ理由が分からなくて。


「カリーナ。貴族の令嬢とは、淑やかであることが求められる」

「そう、ですね」

「だが媚薬を盛られた令嬢が、男を前にしてその淑やかさを保てると思うか?」

「…………無理、じゃないですかね……?たぶん……分からないですけれど……」


 媚薬を盛られたこともなければ、盛られた人物を見たこともないので。実際のところどうなるのかは分からない。

 ただ普通に考えて、慣れているはずのお二人でさえ警戒するような物だから。普通の貴族令嬢なんかが相手なら、まず間違いなく何らかの問題が起きるんだろう。


「無理だろうな。だがそれが薬のせいであろうがなかろうが、失態であることに違いはない」

「つまり……殿下の前で失態をさらした私が、婚約を破棄するように仕向けられたと…?」

「そうなれば一番だと思っている可能性は高いが、それ以上に私がカリーナに向ける感情に負の部分が生まれればと思ったのだろうな」

「……え、っと…」

「淑やかな令嬢しか知らぬような、何も知らぬ王弟だと侮られたとも取れるが。まぁ、それは今はどうでも良い」


 いい、のかなぁ…?それ……。

 殿下が侮られていることの方が、よっぽど問題だと思うんですけれど…?


 とはいえものすごく真剣な表情をして話している殿下の横から、口を挟むような真似はしたくなくて。

 表情は隠していないので分かっているのかもしれないけれど、あえて言葉にはしないままその続きを聞く体制を取る。


「問題は目の前で淑やかさからかけ離れた状態のカリーナを見て、私が嫌悪するようになればと浅はかにも考えた者がいるという事だな」

「嫌悪、ですか……?」

「あぁ」

「本当に何も知らない貴族男性からすれば、目の前の女性が突然自分に襲い掛かってきて乱れる姿は……確かに衝撃でしょうからね」


 最後は苦笑しながらも、口にしにくい事をあっさりと言葉にするセルジオ様は。あえて殿下の口からそれを言わせないようにしていたようにも見えて。

 その内容も確かにすごかったけれど、それ以上にセルジオ様のその王族の従者としての有り様の方に、私はつい感心してしまった。


 そう、だから。

 ついつい、気を抜いてしまっていたのは、事実だけれど。


「だが、まぁ……その時はその時で、私は構わぬがな。カリーナから迫られるのであれば、折角だ。その状況を受け入れて楽しむしかあるまい」

「え……え…!?」

「君に襲われるのであれば、それはそれで本望だ。存分に襲ってくれて構わぬし、乱れてくれて結構」

「なっ…!?」


 まさかこんな場面で、殿下がそんなことを言いだすなんて。

 婚約してから大胆になったとはいえ、そんなことをこんなにもハッキリと言われたのは初めてで。


「なっ…何言ってるんですか!!殿下!!!!」

「ははっ!!」


 楽しそうに笑う殿下に、からかわれていたのだという事をすぐに悟ったけれど。


 用意した相手の意図した形では、全くなかったとは思う。

 思う、けれど……。



 確かに、四角いお砂糖は罠でした。



 ただし。

 かかる獲物は私でも、仕掛けられた罠を最終的に自分のものにしたのは。


 他の誰でもない、もう一人の罠に掛けたかったであろう人物。


 殿下本人、だったけれど。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る