第19話 その唇は…

「あ、の……殿下……」

「……そう、だな。確かにそれは事実だ」

「あぁ…やっぱり……」


 思わず頭を抱えたくなったけれど、それは何とか押しとどめて。

 それでも恥ずかしさに赤くなったであろう顔を隠すために、手で覆ってさらに俯く。


 なぜ、私がこんな風になっているかというと……。


 それは昨日初めて聞かされた、殿下との結婚式の内容のせいだった。


「婚姻の式を直接拝見できるのは、基本的に貴族のみですからね。その後の顔見せしかご存じないのであれば、致し方ない事です」

「そうだったな。私は兄上の……国王陛下の婚姻式を知っているから、あまりそこは深く考えていなかったが…」

「うぅ~~……。平民が教会で式を挙げる時は、そんなことしないんですよぉ……もっと簡略化されてるんですぅ……」


 確かに王族の式ともなれば、もはや本当の儀式の一つに近いわけで。それならたくさんの手順があって、形式ばった物になるのは仕方ないとは思うけれども。


 だからって……!

 だからって…!!


「カリーナ?私との口づけは嫌か?」

「そっ…!!そういう事じゃないんです…!!」


 そう。

 どうやら本来の式の内容には、誓いのキスというものがあるらしくて。


 でも、その……。

 それはものすごい数の人たちに見られながら、しなきゃいけなくて……。

 しかもおでことか頬っぺたとか手とかじゃなくて、その……。

 く……口と口で、って…………言われた、から……。


「は……恥ずかしいんです~~……」


 そもそも今だって殿下とキスしたことないのに…!!

 大勢の前で、しかも初めてなのに見られるとか…!!

 やだ…!!耐えられない…!!


「ふむ……」

「貴族女性の中には、そこに憧れている方も多くいらっしゃいますが……」

「それは小さい時から知ってるからですよ…!!この年になって初めて知って、それがいついつの事ですって聞かされた時の衝撃を考えて下さい…!!」


 知らなかった。本当に、何も知らなかった。

 それ以外の流れの部分は、特に問題はなかったけれど。


 あ、いや…その、えっと……。

 婚姻式と長時間の顔見せなんかが終わったら、今度はその後のためにすぐまた磨かれるって言われたけど…。

 そっちはそっちで、その……違う意味で、ものすごく緊張する……。


 …………いや……いや、違う…!!今はそういう話じゃなくて…!!


「……要するに、慣れぬ事だから緊張するのだ」

「…………はい……?」


 私が一人で混乱していることには気づいているだろうけれど、そこには一切触れない代わりに殿下は真っ直ぐこちらを見ながらそう言いだして。

 意味が分からなくて、私はただ首を傾げてその淡い色の瞳を見上げる。


「そもそも考えてみれば、婚約者らしい事はあまりしていなかったな」

「え?いえ、あの……毎日こうしてお茶の時間を楽しむのは、婚約者らしい事に含まれないんですか…?」

「それは婚約者相手でなくとも出来ることだろう?」

「そう、ですが……。で、でも…!!時折殿下のお部屋にお邪魔させていただいたり…!!」

「それすら、ほぼほぼレシピの改善に関してではないか」

「……そう、です、が……」


 言われてみれば、確かにそうだ。


 ここでこうして同じ時間を過ごすことは、婚約者になる前から変わらなかったし。一緒にお茶を楽しむのは、前だって時折セルジオ様も加わっていたし。

 王宮の殿下のお部屋に伺う時だって、ただゆっくり一緒に過ごしましょう、なんて……そう言えば、今までしたことがない。


 それ以前に、用事もないのに私が王宮に行く勇気がないっていうのもあるけれども。


「市井では、婚約者となる前に恋人としての期間があるのだろう?」

「え?あ、はい」

「その間に相手の様々なことを知り、色々な場所へ行くのではないか?」

「まぁ、はい……そう、だと…思います…」


 私は恋人なんていたことがないので、たぶんそうじゃないかなとしか言えないけれど。


 まぁでも、合ってるとは思う。

 なんでそんなことを殿下が知っているのかは、ものすごく謎だけど。


「では、私達もこの婚約期間中に恋人らしい事をすれば良いのではないか?」

「え、っと……つまり…?」


 お互いに相手のことを好きな状態だから、確かに恋人らしいことをするのはおかしなことじゃないけれど……。


 じゃあ具体的に何をするのかが、全く思いつかない。


 そもそも婚約者になる前から、割とお互いのこと知ってきていたし。殿下は簡単にどこかに出かけられる身分じゃないから。

 そんなに簡単に言ってるけれど、じゃあ何をするのか、と。


 そう思った私に、殿下は当然のように言い放ったのだ。


「慣れぬと言うのであれば、慣れるまで口づけをすれば良い」


 と。


「…………は……?え……くっ…!?」

「何。回数を重ねれば、その内慣れるだろう?」

「なっ…!!」


 なんてことを言い出すのか…!!この王弟殿下は…!!


 いや、それ以前に…!!


「今からでも遅くはない。カリーナが慣れるまで、私は何度でも付き合おう」

「ちょ、まっ…!!セルジオ様…!!殿下を止めてください…!!」


 なんでそんなすぐに迫ってくるんですか…!?

 ソファの端まで来てるので、これ以上は下がれないんですよ…!?


 自分一人ではどうにもできないと早々に悟った私は、唯一この部屋の中にいるセルジオ様に助けを求めたのに。

 その相手は私と目が合うと、それはそれは綺麗に笑って。


「私がこのままいてはお邪魔になりそうですので、休憩時間が終わる頃に戻ってまいります」


 なんて、優雅に一礼をして素早く出て行ってしまった。


「ふむ…。流石セルジオだな。良く分かっている」

「なっ……なっ…」


 なんで二人っきりにするんですか!?!?

 この状況で、この会話の後に二人っきりにするとか、何考えてるんですか!!貴族の常識はどこへ!?!?


「カリーナ、余所見をしている場合ではないぞ?私を見ずに考え事をしていては、その柔らかそうな唇などすぐに奪ってしまえる」

「ぁ……は、ぅ……」


 殿下の言葉通り、他のことに気を取られている場合じゃなかった。

 言いながら私の唇に優しく指を這わせてきた殿下が、普段以上に近い位置に顔を寄せてきたから。


「カリーナ……目を瞑って…」

「ぅ…………んっ……」


 強い言葉なんかじゃないのに、囁かれれば従うしかなくて。

 どう考えても赤くなっているであろう顔を隠すことも出来ないまま、私は強く目をつぶって体を強張らせる。



 緊張しすぎて……これ以上、動けない…………



 そんな私を見かねたのか、殿下の手が優しく髪をなでて。


「そう硬くならずとも良い。…それとも……私が、恐ろしいか?」

「ち…ちがっ…!!」

「であれば、もっと力を抜いていい。そこまで硬くなられていては、流石に私とて何も出来ぬ」


 ふっと笑った殿下が、そのまま私を抱き寄せて。その腕で緊張しきっている私を優しく包み込んでくれる。

 頬に添えられた手に促されるまま上を向けば、優しく微笑む顔と柔らかく細められた淡い瞳。


「カリーナ…」

「……は……ぁ……」


 名前を呼びながら、親指でゆっくりと私の唇をなぞるから。

 思わずその動きと同じように、ゆっくりとため息が零れる。


 まるで、魔法にでもかけられたかのようで。


「私の最愛……ほら…目を、瞑って?」

「……は…い…」


 不思議な熱に浮かされたまま、私はその言葉に素直に従う。

 今度は変に緊張することもなく、体を強張らせるわけでもなく。


 ただ、自然に。


 眠る時と同じくらいに落ち着いた気持ちで、ゆっくりと瞼をおろせば。



 ふわり、と。


 羽が触れたのかと思うほど軽く、やわらかく。


 けれど確実に、優しい口づけが降ってきて。



「で、んか……」

「カリーナ?二人きりの時は?」

「……アルフレッド、さま…」

「そうだ」


 一度目の口づけで、思わず目を開けて呼びかければ。

 途端、訂正される呼び名。


 けれど私が名前を呼べば、本当に嬉しそうに。この上なく幸せそうに。

 その顔はとろけるような笑みを浮かべるから。


「カリーナ…」

「アルフレッド様……」


 その表情に見惚れていた私は、近づいてきた顔に自然に目を閉じて。

 二度目の口づけを、受け入れていた。



 その唇は…


 まるで羽のような優しさなのに、とても暖かくて。


 紡がれる言葉も自分の名前も、全て魔法がかかっているかのよう。



 でもそれがまさか。

 セルジオ様がいる前でも降ってくるようになるなんて、想像もしていなかったし。


 二人きりになると、途端深い口づけに変わる、なんて。



 そんな未来がこの先待っていることを、この時の私は知る由もなかった。



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