第14話 愛らしい私の婚約者 -王弟殿下視点-

 それはカリーナが無事成人を迎え、私との婚約発表も済ませてしばらく経った頃。

 あまり開くことのない城での夜会に、初めて二人で参加した時のことだった。


 私が所用で呼ばれ、僅かに席を外している隙に。私の婚約者は端の方に用意していた椅子に腰かけたまま、二人の男に話しかけられていた。

 その手に持っているのは、会場を抜ける前に私が渡したものとは違う強い酒で。

 どう見ても、男たちに勧められたとしか思えなかった。


 何の意図があって近づいたのかと、少々腹立たしさを覚えながら近づけば。

 私に気づいたカリーナが顔をこちらに向けて、一瞬ホッとしたような吐息を零してから令嬢らしく微笑んでみせる。


 だが。


「殿下ぁ…」

「っ…」


 顔を赤くして、潤んだ瞳で見上げてくる。


 濡れたヴェレッツァアイが、妙に艶かしくて。


「カリーナ、立てるか?」

「は、い……ぁっ…」


 ふらりと、酒のせいで覚束無くなった足元がもつれたのか、私に倒れ込んでくる。何の計算もないままのその行動は、ひたすらに私の理性を煽ってくるものばかりで。


「す、すみませんっ…」


 それなのに、慌てて私から離れようとするから。


 その肩を掴んで、今度はこちらから引き寄せる。


「いや、いい。むしろ一人の方が危ない。冷たい果実水を用意させるから、しばらく別室で休め」

「…はい……」

「悪いが、このまま私たちは失礼する」

「は、はいっ…!!」

「あぁ、それと」


 一応、釘だけは刺しておかねばな。


「成人したばかりの、しかも婚約者のいる女性に必要以上に酒を勧めるのは、あまり感心しないな」

「っ…!!し、失礼いたしました…!!」

「以後、気を付けますので…!!」

「そうしてくれ」


 下心が、なかったわけではないのだろう。それがカリーナ本人に対してなのか、それとも王弟殿下わたしの婚約者に対してなのか。はたまた私自身に対する何らかの情報が欲しかったのか。

 どれだったのかは分からないが、まぁ知る必要もない。今後カリーナには一切近づけるつもりはないからな。


「殿下……すみません…。お手を、煩わせてしまって……」


 これを好機と思わない辺り、本当に普通の令嬢たちとは違う。

 まぁ、既に婚約者という立場にあるのだから、そんな必要もないのだろうが。


「構わぬ。それよりも平気か?気分は悪くないか?」

「大丈夫です。ただ、ちょっと……体が、熱くて……」

「…………」


 その言葉の選択は、正しいようで間違っているぞ、カリーナ。

 少なくとも自分に気のある男の前で、していい発言ではない。


 そういうことを教えていかねばならないなと思う一方で、このままでもいいかと邪なことを考えてしまう自分が情けない。

 所詮私も、ただの男だったというわけだ。


「あとなんだか…ふわふわします……」

「……そうか…」


 そう答える以外、どうしろと?


 少なくとも私にはそれ以外の言葉が思いつかなかった。

 なのに。


「ふふっ…」

「どうした?」

「あぁ、いえ…すみません…。こんな状況なのに、殿下と二人でお話出来ることが嬉しくて…」

「…っ……!!」


 はにかんでそうすり寄ってくる姿の、何と愛らしいことか。

 いっそこのまま…と思ってしまう私は、男としては悪くないのだろうが立場的に非常にまずい。


「殿下!こちらです!」


 湧き上がる熱を抑えるのに必死な私の耳に、聞き慣れた声が届いて。そちらに目を向ければ、控えの間の前で扉を開いて待っているセルジオの姿。


「既に冷たい果実水は中に用意させてあります。念のため氷とただの水も保冷庫の中に入れておきましたので」

「あぁ。……セルジオ、お前も来い」


 僅かな逡巡の後、躊躇いもなくそう告げる。


「……へ…?あ、いえっ…!流石に折角のお二人の時間を邪魔をするわけには…」

「いいから来い。婚約者とはいえ、未婚のしかも妙齢の女性と部屋に二人きりにさせるつもりか?」


 今まで散々二人きりにさせてきたというのに、今更そんなことを口にする。

 だが今回に関しては、このままでは明らかに不味い。


 主に、私の理性が。


「……なったらなったで、いいではありませんか」

「いいわけがないだろう。明日になったら記憶がないかもしれない状態の女性に手を出すなど、私の矜持が許さない」

「殿下……」


 感心しているところ悪いが、すぐに理由が分かるであろうセルジオには今のうちに本音を告げておく。


「だが、この状態のカリーナは少々……いや、大分…無意識に男を煽りに来るのだ。それも計算も打算も一つもないまま」

「それは、また……恐ろしい方ですね…」


 普段とは違い、甘えるように私に擦り寄るカリーナを確認して。セルジオはどこか深刻そうにそう口にした。

 どうやら状況が理解できたらしい。


「承知いたしました。私もご一緒いたしましょう」

「あぁ。……助かる」


 最後に漏れた本音に、僅かにセルジオは苦笑した。



 だが、大変だったのはここからで。



「でんかぁ…」

「カリーナ……飲み過ぎではないか?」

「はいぃ…のみすぎましたぁ……」

「……認めるあたり、素直ではあるのだな…」


 努めて冷静を保ちながら呟くが、内心この状況を打破する方法が思いつかずに焦っていた。


 素直なのは、カリーナ本来の性格なのだろう。それは知っている。

 だからこそ、自分の酔いを認めている姿は違和感など欠片もないのだが。


 問題は、その体が完全に力を抜いて。

 私に抱き着いているという所だ。


「…………カリーナ嬢は……酔うと、その……大胆に、なられます、ね…?」


 どこか言いにくそうに。しかも直視できないのか少し視線を逸らしながら。

 困ったようにそういうセルジオは、何もできずに果実水の乗った盆を持って立ち尽くしている。


「そうだな。随分と甘えてくる――」

「はいっ。いまはでんかに、甘えたいきぶんです!」

「っ……そうか…」


 若干舌ったらずな喋り方をしているのは、大変可愛らしいのだが。

 内容はどうしてこうも、私を煽るような言葉の選択をしているのか。


「だって、でんかとのなれそめとか…ふだんどんな会話をしているのかとか、きかれるんですよ…?」


 それはおそらく、つい先ほどの出来事なのだろう。

 なるほど。他愛もない会話をしていたようで、その実何かを探ろうとしていた可能性はあるな。


「こたえたくないので、笑ってごまかしましたけどっ…!」

「ふむ。それは良い手を取ったな。よくやった、カリーナ」

「えへへ~…」


 酔いは回っていたのだろうが、口が軽くならなかったのは幸いだった。

 思わず褒めて頭を撫でれば、それはそれは嬉しそうに顔を緩ませる。


 何ともまぁ、愛らしいものだ。


 そう思いながらセルジオに目配せして、盆に乗った冷えた果実水を手に取る。

 今なら素直に受け取って飲むだろうと期待して、カリーナの目の前にそれを差し出した。


「良くできた褒美だ、カリーナ。先ほど熱いと言っていただろう?冷えた果実水で、喉を潤すといい」

「わぁっ…!ありがとうございます、でんかっ!」


 何の疑いもせず、本当に嬉しそうに受け取ったかと思えば。

 そのまま素直に口元へ持っていき、こくこくと果実水を喉の奥へ流し込む。


 可愛らしい仕草、の…はずなのに。

 その姿にまで煽られているように感じている私は私で、酔っているのかもしれない。


 酒にではなく、この状態のカリーナに。


「ん、はぁ……おいしいです」

「っ…そうか。それは良かった」


 だが何事もなかったかのように、素直に飲み干したらしい空のグラスを受け取って。そのままさり気なく、控えているセルジオに渡す。

 視線を向けずとも意図を完璧に察して動くあたり、やはりセルジオは優秀な従者だ。


「でも、でんかでんかって、あの人たちがいうので……すごくでんかに会いたくなりました…」

「ここにいるではないか。私の腕の中にいるだけでは不満か?」

「いいえ!すごくだいまんぞくです!!」


 パッと輝くほど満面の笑みを浮かべて見上げてきたかと思えば、次の瞬間には嬉しそうに頬擦りしてくる。

 その姿は本当に愛らしく。



 そう、本当に。


 私を狂わせそうなほど、愛らしさが溢れ出ていて……



「殿下……今後カリーナ嬢にお渡しする酒類は、強すぎないものをお選びしますね……」

「あぁ……そうしてくれ…」


 セルジオの声で、何とか理性が飛ぶ前に自分を律することが出来た。


 本当に、連れてきて正解だったな…。


「まさかここまでとは思っていなかった…」

「耐性がないのでしょうね。カリーナ嬢が過ごしていたのは、教会に併設された孤児院でしたし」

「そうか。つまり酒の入った食事も菓子も、一切口にしたことがなかったのかもしれぬな」


 ある程度言いたい事を言って満足したのか、いつの間にやら静かな寝息を立て始めているカリーナの顔を覗き込んで。僅かにかかる髪を、起こさないようにそっと払う。


「まずはそういった物から慣れていただく必要がありそうですね」

「あぁ。今日の夜会に、確かコラードは出席していなかったが……事情を話せば、オルランディ家も協力してくれるだろう」

「後ほど使いを出しましょう。ですが、その前に」

「カリーナが公爵家へ帰れるかどうか、か」

「はい。このままでは、流石に問題かと……」


 眠ってしまっている令嬢を、使用人が起こすわけにもいかないだろう。

 だからと言って、眠ったまま馬車に乗せるというのも危ない。


「……不測の事態…で、間違いはないのだが、な…」


 果たしてこの状態のカリーナを、婚約者である私が城に泊めるというのは許されるのかどうか。

 カリーナ専用の部屋はあるので、そこは問題ないのだが。


「オルランディ家の者と、陛下にも確認をいたしましょうか」

「それが良いだろうな。一先ずカリーナを寝かせて……」

「うむぅ……ゃぁ…」

「っ…!?」

「っ…!!」


 眠っていたはずのカリーナが、小声で交わしていた会話に入ってきたかと思えば。

 私の首に腕をまわして、まるで行かせないとでも言うようにしっかりと抱き着いてきてしまった。


「…………」

「…………」


 しばし、セルジオと二人視線を交わし。

 体勢が崩れそうになったカリーナを慌てて抱き込んで支えてから、ハッと我に返る。


「……セルジオ……」

「…はい……」

「…私は…………何か、試されているのか……?」


 そんなことを真剣に聞きたくなってしまう位、この状況は予想外過ぎて。


 それなのに。


「そう、かも…しれませんね……」


 返ってきたセルジオの言葉も、明らかに対処しきれていないようなものだった。



 どうやら愛らしい私の婚約者は、無自覚で男を惑わせる存在だったようだ。



 私の腕の中で、満足そうな顔をしてすやすやと眠る温かさを感じながら。


 早急に酒への耐性をつけさせるべきだろうと、どこか的外れな事を決意していたのだった。



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