第15話 小さくて大きな変化 ~またの名を二人称代名詞の変化~
「殿下」
「どうした?」
午後の殿下の休憩時間に、ずっと疑問に思っていたことを思い切って問いかけてみることにした。
「最近殿下が私を名前以外で呼ぶときに、前とは違う呼び方をされるようになりましたよね?」
ただの側仕えとして傍にいた頃は、確かセルジオ様に対する時と同じように「お前」と呼ばれていたはずなのに。
最近はなぜか「君」と呼ばれるようになっていて。
「婚約のお話が出るより前からだったと思うのですが、何か理由があるのですか?」
何か違いがあるのかな~?なんて、気付いた時にふと疑問に思いはしたのだけれど。
そういえばずっと聞いていなかったなと思い出してから、なんだか無性に気になってしまって。
「ふむ…」
いつから変わったのか、正確には覚えていないけれど。
ただ本当に、忘れてしまうほどのちょっとした疑問で。
だから、その……
そんなに見つめられなきゃいけないほど、何か重要な理由があるんですか…!?
呟いたっきり、ちょっと難しそうな顔をしてるのはなんでなんですかね…!?
「あ、あの……殿下……?」
不安になって声をかけてみたら、考え事をしていたのだろう顔がふっと緩む。
「あぁ、いや。改めて問われると、体面的な理由だけではなかったなと思っただけだ」
「体面的な理由、ですか…?」
それはたぶん、王弟殿下として、という事なのだろうけれど。
それがどうして私に対する呼び方と結びつくのか。
「従者や側仕えに対しては、誰から見ても関係性が明らかでなければならないからな。それは貴族であろうとも同じであろう?」
「はい。そうですね」
一緒にいる相手が同性とは限らない以上、下手に勘繰られたりしないように主従関係を明らかにしておく必要がある。
基本は女性には女性の、男性には男性の使用人が付くものだけれど。例外というものは結構あるので、そういう場合におかしな噂を立てられないよう、関係性をしっかりと提示しておく必要があるのだと教わった。
貴族って、そういう所が本当に面倒くさいんだなと思ったのは……流石に口にはしなかったけれど。
「私や陛下の場合は、そこにさらに王族という責任もある。自国の貴族相手ですら、関係性を明らかにしておかねばならないのだ」
「……確かに、そうですね。王族の方にとっては、貴族も従者も等しく臣下ですからね」
「あぁ。だからこそ、名を呼ばぬ場合は誰であろうとも同じように"お前"と呼ぶようにしているのだ。基本は」
「基本、は…?」
最後にそれを付け足す意味が分からなくて首を傾げれば、殿下はほんの僅かに苦笑してみせる。
それがこれから口にする内容に対してだったのか、それとも私の言動に対してだったのかは分からなかったけれど。
あるいは、その両方だったのかもしれない。
「基本は、だな。確かに貴族は皆等しく臣下として扱わねばならないが、女性に対しては少しだけ話が変わってくる」
「女性だけ、ですか?」
「あぁ。基本的に女性は
「そう、ですね」
「だが同時に、貴族令嬢というのは誰もが王族に嫁ぐ可能性を持っている」
そこまで言われて、ようやく少しずつ分かってきた気がする。
そして自分が思っていたよりも、呼び方が変わった理由が重要だったことにも。
「それが例えば王位継承者に嫁ぐ、王妃となり国母となる相手であったとすれば……流石に私も敬意を払わなければならないだろう?」
「そうですね。でも……それが誰になるのかは、最後まで確定していないし分からない、と。そういう事なんですね?」
「そうだ。だからこそ、女性。特に未婚の令嬢に対しては、ある程度の敬意を払って"君"と呼ぶようにしている。これに関しては、流石の陛下も同じだ」
たとえ既に王妃様がいらっしゃったとしても、歴史上側室が居なかったわけではない。
やむを得ない事情で、別の令嬢を娶らなければならなかった事もあるのだ。
だからこそ、いつ何時誰がどうなるのかも分からないので、ある程度の敬意だけは常に払わなければいけないという事なのだろう。
それに、他国の王族に嫁がないとも限らない。
そういう場合も考えているからこそ、陛下もまた同じように令嬢に対しては"君"と呼ぶようにしているのだろうし。
「一度嫁いだとて、その後どうなるのかは分からない場合もある」
「逸話だけなら、色々と聞いたことがありますが……確かにそう考えると、女性と男性では随分と違ってきますね」
どこの国の話かは知らないけれど、ある女性は嫁いだ後に紆余曲折を経て他国の王族に嫁いだこともあるし。またある女性は、一方的に婚約を破棄された後にそれよりも上の家格の家に嫁ぐことになったこともある。
人生何が起こるか分からないものなんだなぁなんて、その時は呑気に考えていたけれど。
考えてみたら、私だって割とその何が起こるか分からない人生を送った人たちの仲間入りをしている気が……しなくもない、かな…?
「だからこそ、カリーナがオルランディ家の娘だと判明した時点で、令嬢として扱う必要が出てきたというわけだ」
「なるほど…」
「……というのが、体面的な理由だな」
「…………はい……?」
納得しかけた私に、なぜか殿下はそう言うけれど。
それだと否定になってしまうんですが…?
これはどう受け取るべきなんだろうと、混乱しかけた頭で考えていたのが殿下には伝わったんだろう。
少しだけ困ったように苦笑してみせたのに、なぜかその手は優しく私の頬に添えられたから。
思わず、その手に擦り寄ってしまう。
「対外的にはそうだが、私個人としてはただ……君を、手に入れたくなってしまったのだ」
その言葉に驚いて殿下を見上げれば、先ほどの苦笑とは違って今度は柔らかく淡い瞳が細められて。
甘く甘く、その顔は微笑む。
「私が、カリーナを妃にと望んだ。血の奇跡であれば、それが容易であると理解した上で」
対外的に見れば、通例通りの呼び方だったそれは。
実際には、とても大きな意味を持っていて。
「誰にも渡すまいと決めた。だからこそ、君が戻ってきたその時には既に、私は呼び方を変えていたのだ」
二人称代名詞と呼ばれるそれが。
殿下から私への呼び方が変わった、それ自体が。
小さく見えて実は大きな変化だったのだと。
今、ようやく理解した。
「殿下……」
「逃がさぬよ?私の妃となるのは、カリーナただ一人だ。他の令嬢など、私は望まぬ。その事を、ゆめゆめ覚えていておくれ?」
添えられていた手の親指が、一度だけするりと優しく頬を撫でるから。
思わずその手に私自身の手を重ねて、先ほど以上に擦り寄ってみせて。
「はい…殿下……」
その温かさに目を閉じて幸せを感じながら、私は頷いた。
「お話も区切りがいいようですし、そろそろお時間ですので」
その瞬間聞こえてきた声に、ハッとしてそちらを見れば。
普段通りのセルジオ様が、そこにいた。
「っ…!!!!」
途端真っ赤になる私の顔は、きっと殿下にもセルジオ様にもよく見えただろう。
というか…!!!!
なんでセルジオ様がいることを忘れてたかな!?私!!
いつもだったら忘れる事なんてないのに…!!
「セルジオ……お前はもう少し、雰囲気というものを読めないのか…?」
「むしろお二人が仲睦まじくいられるようにと、ずっと気配を殺していたのですが…?かなり読んでいた方だと自負しておりますよ?」
「では何故、それがもう少しだけ続かなかったのか……」
「流石に執務の時間を押すわけには参りませんので。これでも私としてはかなり心苦しい思いをしつつ、お声がけをしたのです」
「その割にはハッキリと告げていたがな」
ふぅ、と小さくため息を吐く殿下。
その手が離れて行くのを心の中で寂しいと思いながら、理性では恥ずかしさのあまり自分の手を素早く離して、とにかく俯く。
「名残惜しいと思っているのは、私だけなのか…?」
それなのに…!!
そんな風に寂しそうに、耳元で囁かないで下さい殿下…!!
「そ、んな、こと、は……」
「ではこの続きは、またいつか」
「ぅっ…」
さっきのあの雰囲気を予告されるって、それはそれで心臓に悪いですってば…!!
いつそれが来るのか覚悟しておかないといけないってことなんですよ!?
なんてことしてくれるんですか!!
「カリーナ?返事は?」
「ぅっ、ぁ……は、い……」
「うむ。良い子だ」
うああぁぁぁぁぁ~~~~~…………
は……恥ずかしすぎるっ…!!!!
こんな姿を、あろうことかすっかりいることを忘れていたセルジオ様に見られていたなんて…!!
今度からはちゃんと忘れないようにしよう!そうしよう!!
混乱した状態のまま、意味のない決意をした私を知ってか知らずか。
くすりと小さく殿下が笑った気配に、私はさらに顔を赤くするしかなかった。
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