第9話 彼女の真実と… -王弟殿下視点-

 あまり喉を通らないからと、以前より明らかに減った食事を済ませ。午後の執務をと戻った先で待っていたのは、セルジオではなくコラードだった。


「何故、ここにいる?」

「殿下。お待ちしておりました」


 恭しく礼を取る相手はしかし、私の質問には答えようとしない。

 否。

 ここでは答えられないような事なのだろう。


「待つのであれば外ではなく中にいれば良いものを…」


 だから私はあえて別の事を口にする。


「いえ。セルジオ殿がいないまま、殿下の執務室で私一人というわけには参りませんので」

「一人?セルジオはどこへ行ったのだ?」


 護衛騎士たちが扉を開いたので、そのまま執務室の中へと足を踏み入れる。そのまま視線だけでコラードに入室を促せば。


「失礼いたします」


 真面目で律義な性格をした男は、先ほどと同じように礼を取る。

 それを横目で見ながら執務机へと向かい、話の続きを促すために椅子へと腰かける。

 この男のことだ。私が立ったままでは、口を開くことすらしようとしないだろう。


「それで?お前がここにいる理由と、セルジオがここにいない理由は?」


 扉が完全にしまっているのを確認してから、こちらから問いかける。下手に挨拶の口上など述べられても無駄なだけだし、何より時間が惜しい。


「陛下より、命を受けて参りました。セルジオ殿にも、急ぎ馳せ参じよとの陛下直々の命でしたので」

「陛下が?なるほど。それならば仕方がない」


 陛下に呼ばれたのであれば、何よりも優先すべきだ。だからこそセルジオはこの場におらず、そしてだからこそこの男は一人執務室の中で待つことはしなかったのだろう。


 本当に、律義なものだ。


 この場にある資料など、陛下の執務室にあるものに比べればそう問題になるものでもないというのに。

 それでも一応の礼儀というべきなのか。それとも次期宰相であるからこそ、その辺りの線引きはしっかりしておきたいという事なのか。

 いずれにせよ、才能もあるこの男は信用するに足る人物だという事だろう。


「それで?陛下からどんな命を受けてここに来たのだ?」


 筆頭公爵家の家長が供も連れず、言伝にもせず。だがセルジオには急ぎだというその内容は、果たしていかなるものなのか。

 何か問題が起きたのだろうかと頭の片隅で考え始めていた私は、次にコラードが発した言葉を一瞬理解できなかった。



 何故ならば……



「殿下が側仕えとして置いていたカリーナという娘は、父を同じくした私の妹に当たります」

「…………は……?」


 そんな内容を、前置きもなく言われたからだ。


 だが、確かに急ぎなのだろう。

 理解の追い付いていない私に構わず、コラードはさらに言葉を続ける。


「本来であれば我が家で保護すべきところではありましたが、殊の外殿下が重用して下さっておりましたので。城内にも噂一つ広がらないほどに匿われておられるのであれば、我が家へ連れ帰るよりは安全かと思いお任せしてしまっておりました。申し訳ございません」


 頭を下げてはいるが、そこに関しては何ら問題はない。

 問題なのは……


「……カリーナは、オルランディ家の娘なのか…?」


 そう、そこだ。

 本当に彼女がオルランディ家の令嬢であるのだとすれば。

 この国の筆頭公爵家であり宰相家の娘で、さらに王家へと忠誠を誓い長年仕えてくれている家柄。



 王弟妃とするのに、これほど相応しい家格はないだろう。



「間違いありません。妹が幼い頃より、我が家は迎え入れる準備を整えて参りました。父がまだ存命だった頃から」

「……それほど、前から…」


 それが本当であるとするならば、私は横から彼女を攫って行ったようなものではないか。


 一瞬そう考えて、しかしそれでは大きな疑問が残ることに気づく。


「だがそれならば、なぜすぐに迎え入れなかった?二人の歳の差を考えれば、カリーナが生まれる前に迎え入れたところで問題はなかったのではないか?」


 前宰相の愛人なのだとしても、既にコラードは社交界デビューを済ませていたはずだ。それならば生まれてくる子供の性別がどちらであろうとも、その地位は揺るがなかったはず。

 そう思って問いかければ、考えていたこととは全く別の回答が返ってきた。


「私の両親は、清々しいほどの政略結婚でした。お互いそれぞれに愛し合う相手がいる中での婚姻だったのです」

「……そうか…」


 その言葉だけで、どうやらカリーナの母は愛人などではなく。前宰相が本当に愛した女性だったのだと悟る。

 貴族社会というものは、時に厄介だ。

 そしてだからこそ、正妻との間に跡取りが生まれた上で、ある程度地盤が固まるまではという事にしたのだろう。


「いえ、殿下。両親は私が生まれた時点で、カリーナの母をオルランディ家に迎え入れるつもりでおりました」

「……は?」

「ですが、その……お相手の女性の方が、跡取りである私のデビューまではと……」

「…………はぁ…!?」


 王族どころか貴族としてもあり得ない声を出してしまったが、それでも今だけは許してほしい。

 むしろこんな……こんな訳の分からないあらましを聞かされて、動揺するなという方がおかしいだろう。


「どうにも不思議なというか、その……強いお方だったようで…」


 苦笑してコラードはそう話すが、それで済ませていいような内容ではない。


 そもそもおかしいとは思わないのか。



 何故、市井にいるはずの女性が貴族のデビューに関して知っているのか。


 何故、跡取りの重要性をそこまで理解しているのか。


 何故、貴族間の噂や醜聞にならない方法を取れるのか。



 そこでようやく、私は疑問だったことが確信へと変わった。


「……なるほど、な…。そうか、だから……ヴェレッツァアイ、だったのか…」


 カリーナの才能は父親の血を、美しい瞳は母親の血を。確かに受け継いだという、その証拠に他ならない。


「全くもって…王族の血というのは、厄介なものだな……」

「はい…?」

「いや、気にするな。……それで、今になって何故それを?陛下もこのことをご存じなのだろう?」


 答え合わせのような事を今している暇はないのだろう。

 陛下が急ぎと言うほどの事情だ。もしかしたら、この目の前の男がカリーナの行方を知っているのかもしれない。

 そんな淡い期待を込めて見つめた先で、コラードは静かに頷いた。


「陛下に直接殿下へのお目通りをと申し込んだのは私です。お恥ずかしながら、陛下や殿下がカリーナの出自をお調べになっていたことを何一つ知らぬままでしたので、進言が遅くなってしまいまして……」

「……そうか。お前の叔父は、他言無用との命をきっちり守っていたという事か」


 これはまた……何とも厄介な案件だったわけだ。

 忠臣とは得難いものではあるが、それを使いこなせなかったのは私の落ち度だ。何せそう指示を出していたのは私自身なのだから。


「ですが今朝、妹が世話になっていた教会を訪ねたとの報告がありまして――」

「見つかったのか!?」


 思わず立ち上がってしまった私の行動が意外だったらしい。驚いたような顔をしてこちらを見ているコラードの目は、普段以上に開かれていたから。

 だがそれでも何とか言葉を続けようとする辺り、やはり真面目で律義な男なのだろう。


「え、えぇ……ですが、その…」

「教会で保護しているというのであれば、すぐにでも迎えを出そう!」

「あ、いえ!気づいた馴染みのシスターが声をかけたそうですが、すぐに出て行ってしまったとのことで…!」

「な、に…?」


 それでは、また見失ってしまったという事か…?



 ようやく……ようやく、手が届きそうだと思ったというのに……


 次の瞬間には、元通りだと言うのか…?


 また、絶望の中に叩き落されるというのか…?



 思わず胸元の服を握りしめようとしていた手を、執務机の上で強く強く握りしめる。

 今はまだ、目の前にコラードがいるのだ。これ以上取り乱すわけにはいかない。


「ですが妹が行く先は分かりました。どうやら王都から出て行こうとしているようでしたので、門のところで我が家の者を待機させております」

「……出て、行く…?カリーナは、この王都から出てどこへ行こうとしていたというのだ?」

「紅茶の茶葉の生産地へ向かおうとしていたようです。役所での申請書の内容からして、働き口を探そうとしていたのではないかと思います」


 王都で育ったはずの彼女が、わざわざ茶葉の生産地へと?働き口を探す?

 それではまるで、ここで過ごした時間が大きく影響しているみたいではないか。


「おそらくは殿下にお仕えしていた間の仕事が、妹の性分にも合っていたのではないかと思いますが……ただ、真実を知らぬままというわけにも参りませんので」


 一瞬淡い期待を抱こうとしていた思考が、コラードのその言葉で現実へと引き戻される。

 そのまま一度落ち着こうと、立ち上がったままだった私は再び椅子に腰かけた。


 そうだ。

 カリーナは何一つ、自分の真実を知らぬままなのだ。


 そしておそらくは、この目の前の男も。


「そう、だな。だがまぁ、迎えにはセルジオが向かうだろう」

「セルジオ殿が!?」

「陛下がセルジオに急ぎ馳せ参じよとお命じになられたのは、おそらくはそのためだろうな。後ほど陛下に確認してみれば良い」

「……は、い…。承知、いたしました…」


 まだ少し飲み込めていないようなのは、きっとコラード自身がカリーナの重要性を理解していないから。

 血の奇跡だという事に、気付いていないのだろう。



 だからこそ私は、王族として。

 王弟として、コラードに問いかけねばなるまい。



 王族として、王弟として、そして……男として。


 彼女を手に入れるために、この男を納得させなければならないのだから。



 そう思いながら、一度小さく呼吸を整えて。

 私は改めて少し長めに息を吸い込んだのだった。





―――ちょっとしたあとがき―――


 本編30話と31話の、殿下とコラード側の会話です。

 そしてまだ、次回に続きます。


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