第10話 連れ戻す先 -王弟殿下視点-

「コラード。彼女を連れ戻したとして……その血を、才能を。王家に返す気はあるか?」

「……はい…?」


 先ほどとは立場が逆転したなと思いながら。私もまた理解が追い付いていないコラードに構うことなく、この男が知らないのであろう真実を口にする。


「あれは特別なのだ。市井に生まれながら、王家の血の能力を顕現させていた。オルランディ家が引き取るとしても、王家に返すか一生飼い殺すかの二択しかない」

「なっ……本当ですか!?」


 初めて知るカリーナという少女の重要性に、兄であるはずの男は驚愕の表情を見せる。


「この状況で冗談を言う余裕など、流石の私でもないぞ」

「……それでは…」


 そして同時に、何故私が孤児院から彼女を連れ出し傍に置いていたのかも徐々に理解していっているのだろう。

 その証拠に、驚愕の表情が段々と真剣なものへと変わっていく。おそらく今彼の中では、様々な感情と思考が入り交じって複雑な様相となっているのだろう。

 だが私はあえて、先に答えを提示する。


「そもそも初めから選択肢など四つしかない。王家の血を市井に出すわけにはいかぬからな。もう元の生活には戻してやれない」


 彼女が望む望まざるとにかかわらず、その人生は既に自由ではなくなっているのだ。

 いや、もしかしたら初めから自由ではなかったのかもしれないが。


「……その、四つの選択肢とは…どういったものでしょうか?」


 恐る恐るという体で、窺うように質問を返すコラードの表情はどこか硬い。

 彼もどこかで気付いてはいるのだろう。選択肢の中に、残酷な結末が一つ、含まれているのだという事に。


 だからこそ、私はあえてその答えだけは後回しにして。可能性の高い順に、目の前に提示してみせる。


「一つ目は、習わし通り王家への血の返還。前宰相の庶子であるのならば、それも可能だろう」

「二つ目は先ほど殿下が仰っていた通り、我が家で飼い殺し、ですか」

「返す気がないのであれば、一切外に出させるわけにはいかないだろう?その場合汚名を被ることにはなるが」

「それは……出来ることならば避けたいところなのですが…」


 その理由はオルランディ家そのものではなく、あくまでカリーナ個人が被る汚名なのだと理解しているからなのか。

 正直なところ、娘一人表に出さずともオルランディ家には大した被害など出ないだろう。もとより母娘で引き取るつもりだったのであれば、それこそ問題はない。


 だが、隠し通せるものでもない。


 いずれその存在が明るみになった時、行き遅れの娘だと。外にも出せないほどの娘だと誹謗中傷を受けるのは、他でもないカリーナ本人だ。

 前宰相の庶子で、かつオルランディ家が正式に迎え入れているのだ。表立って嫌味を言うような貴族はいないだろう。

 だがそれでも、陰で言われ続ける事は目に見えている。


 もちろんカリーナ自身には一切そんな話は届かないだろう。耳に入れるような環境に置かれないのだから。

 それでも、この男は避けたいと口にした。しかも表情を崩して、眉を寄せてまで。

 それだけで、カリーナに兄としての愛情を持っているのだと理解できる。


 だからこそ、早めにこの選択肢の提示を終わらせたかった。

 彼ならば、最善を選び取れるだろうと思えたから。


「では三つ目。オルランディ家とは一切関わりを持たず、今まで通り私の元で飼い殺しだ」

「……認知せず、ということですか?」

「あぁ。だがそれはもう無理だろう?何よりオルランディ家自体が引き取る気でいるのだから。そうだろう?コラード」


 先ほどの口ぶりからしても、それで間違いないはずだ。

 そもそも私があの時偶然にも見つけられなかったとしても、いずれはオルランディ家が出自に関しては話していたのだろう。

 おそらくは、オルランディ家の屋敷へと連れて帰ってから。


「はい、仰る通りです。我が家は今でも、あの子を引き取ることを諦めていませんでしたから」


 その答えに、一つ頷いて見せる。

 分かっていた、と言わんばかりに。


 そうして残るのは、四つ目の選択肢。

 お互い口を引き結んで、すぐには口にしようとはしないそれ。


 だが、そのままではいられないと分かっていたのだろう。

 やがて躊躇いがちに、今までよりも幾分か小さな声で問いかけられる。


「……では、まさか最後の選択肢とは…」


 私とて口にしたいとは思わない。思わない、が。

 それでも確かに存在するのだ。目を逸らせない事実として。


 重苦しい空気の中、私は改めて口を開く。


「……全て、なかったことに。彼女の命、そのものを…」

「それだけはどうかご容赦ください…!!あの子を迎え入れるのは我が家の悲願なのです…!!」


 そうだろう。

 それに何より……


「私とて、それだけは避けたい。だからこそ、王家に返す気はあるのかと聞いているのだ」


 限られた選択肢の中、最良と呼べるのはこれだけだ。

 私にとっては都合が良すぎる内容だが、私情を挟む余地などない位にこれしか選びようがない。

 何せカリーナは血の奇跡。血の返還を筆頭公爵家が拒むなど、出来得る筈がないのだから。


「……もしも、お返しするとして…お相手は殿下しかおりませんが…」

「そうだ。だから私自身が聞いている。オルランディ家にその気があるのなら、そう陛下に進言しよう。全ては陛下のご判断に委ねることになるのだ。それならば事前に出来得る限りのことはしておくべきではないか?」


 何を分かり切っている事を。とは、口にしない。

 私自身、こうなったからこそと思う部分がある反面。不思議にすら思えるのだ。

 都合よく年齢の釣り合う王族が、都合よく婚約者候補もいないまま、血の奇跡を娶るなど。仕組まれているのではないのだとすれば、もはやただの奇跡でしかない。


「大変、ありがたいお話なのですが……。なぜ殿下は、そこまであの子のことを?」


 もちろんその疑問は尤もだろう。いくら血の奇跡とはいえ、あまりに彼にとっても都合が良すぎる。

 だからこそ、私は事実と共に伝えなければならない。

 ここで真摯にあらねば、おそらく彼女は手に入らないのだろうから。


「一つは、あの才能。現在確認できている血の奇跡は彼女一人だ。ならば誰よりも私の妃に相応しい」

「ですが、平民育ちです。いくらかは教会で礼儀作法など学ばせてはありますが、それでも完璧とは程遠いかと」

「どちらにせよ滅多に外には出さぬ。その点はあまり気にする必要はない」


 それは事実だった。

 私の妃に相応しいというのもだが、何よりも王弟妃というのは外に出る存在ではない。あったとしても、私の外交についてくる程度。

 ならば今から身に着けていけば問題はないのだ。


 そもそも彼女の所作は、市井出身と言うにはあまりにも整いすぎていた。

 それが孤児院での教育の賜物なのか、それとも別の要因があるからなのかは、今の段階では何も判断出来ないが。


「貴族であったのは父親のみですよ?どこの誰とも知らぬ平民の母親との子です。それでもよろしいのですか?」

「さて、それはどうだろうな……」

「はい…?」


 確信はあるが、確証はない。


 そんな曖昧な結論を、今この場で口にする訳にはいかないのだ。

 だからこそ、そう濁すしかなかったが…。さて真実とは、いかなるものなのか。


 とはいえ、今はそんなことを考えている場合でも話している場合でもない。

 今、重要なのは……


「いや…。コラード、お前が本当に聞きたいのはそこではないだろう?」

「っ…」


 言葉にはしないが、表情が全てを物語っていた。


 そう。コラードが知りたいのは、カリーナが王弟妃に相応しいかどうかではない。



 彼女を、私が愛せるのかどうか。


 もっと言ってしまえば、幸せになれるのかどうか。



 口には出せないだろうが、それを問いたいのだというのは見ていれば分かる。

 だが今ここで、決定的な言葉を口にできないのは私とて同じ事。


 同じ、だが。


 だから何も言わない、という選択肢も同時に、私の中には存在していない。

 あくまで一個人としての、王弟も王族も関係ない男としての言葉であれば、聞かせてやるのはやぶさかでもない。


「そう、だな……これは、私の勝手な独り言だ」

「…?」


 そのための方便など、いくらでもあるのだから。


「あの娘の……いや…カリーナの淹れた茶でなければ、どうやら私は満足できないようだ」

「っ…!?」

「だからこそ、習わし通りオルランディ家が血の返還をするというのであれば。……私は、必ず彼女を幸せにすると誓おう」


 そう、これはあくまで独り言。

 誰もいない場所で、ただ自分の想いを口にしただけに過ぎない。


 たまたま、それが聞かれてしまっていただけ。

 それだけだ。


「っ…!!……殿下っ…!」


 だがまぁ…このコラードという男は、どうも情に厚い性格でもあるらしく。


「…なんだ?」

「我が家とあの子の身に余るほどの、光栄でございますっ…」


 膝をつき、最上の礼を私に取る姿は。果たして家長としてのものだったのか、それともカリーナの兄としてのものだったのか。

 だがいずれにせよ、私はこう答えるしかない。


「何を言っている。私の独り言だと言っただろう?」


 そうでなければならないのだ。

 臣下の前で、私情など挟まない。私はただの王族ではない。この国の国王陛下の弟、王弟なのだから。

 誰よりも陛下への忠誠と、その意思に従う姿を見せねばならない存在。

 私の存在そのものが、陛下の治世の邪魔をする訳にはいかないのだから。


「……殿下。オルランディ家の家長として、未来永劫王家に変わらぬ忠誠を、今一度ここに誓います」


 それに気づいたのだろう。

 今度こそ、コラードは取るべき対応を見せた。


「うむ。陛下にもそうお伝えしておこう。これからも期待しているぞ」

「はっ」


 誰も見ていない場所で、誰に聞かれるわけでもないこれは、茶番なのかもしれない。


 だが貴族社会というのは、この茶番で出来上がっているのだ。

 分かり切っている事でも、殊更に、大仰に。周りに、民衆に、周辺諸国に、その姿や意思を示すために。


 私も陛下も、そんな煩わしいことをと思わないわけではない。

 だがそれが貴族社会であり、何より王族として生まれた私たちが受け入れるべき事柄なのだ。



 ただ……



「兄上に、お礼申し上げなければ……」


 その後の対応のためにとコラードを下がらせた執務室の中で、戻らないセルジオがどこへ向かったのかも理解している頭で一人。今度こそ本当の独り言を呟く。


 そもそもコラードの話を聞いて、真っ先に動いて下さったのは国王陛下である兄上その人に他ならないのだ。

 そしてきっと兄上は、私の気持ちになどとうに気付いておられる。気付いていて、だが決定的な言葉は何一つなかったのはきっと…。


「気を、遣っていただいていたのだろうな…」


 だからこそ、真実を知ってすぐにコラードを私の元へ向かわせ。さらにセルジオを呼び寄せたのだろう。

 コラードが私の執務室の前で待っていたのも、二人きりで話すべき内容だったからだ。こんな事を、大勢の侍女や侍従がいる中で話せるわけがない。


「だが、まぁ……次回からはもっと上手く、臣下を使ってやらねば…。自分の首を絞める事になると、嫌でも思い知ったな」


 思わず漏れた苦笑は、次回などあってたまるかという気持ちも多分に含まれていたが。

 何はともあれ、まずは兄上へのお礼が先だ。

 流石にセルジオは御前を辞しているはずだろうし、また窓の外にいるであろう小鳥たちにでも伝言を頼めばいい。直接お伝えするのは、宮殿に戻ってからでいいのだから。


 そう思って、窓辺へと近づこうとして立ち上がった時だった。



 くらり、と。



 体が傾いだのを感じ取って、あぁ立ち眩みだと思った次の瞬間。


 視界が急激に狭くなっていき、黒で世界が塗りつぶされる。



 あぁ、まずいな……



 そう思ったのを最後に。


 私の意識は、そこで途切れたのだった。









―――ちょっとしたあとがき―――


 そして、本編32話の最後へと続くのでした。

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