第6話 国王陛下の密かな楽しみ -国王視点-

「兄上」

「あぁ、来たか」


 身重な妃を先に寝かせて、持ち帰っても平気な案件の資料だけを部屋で読んでいた時。「兄上に余裕がありそうならば伺います」と執事に伝言をさせていたフレッティが、私の部屋を訪れた。

 理由など分かり切っているので、私の弟は本当に可愛いなと思ってしまう。

 もう立派に成長した、大人の男だという事は分かっているのだが。

 唯一の兄弟だ。可愛いものは可愛い。


「兄上…また宮殿に仕事を持ち帰って…」

「よせ、フレッティ。先ほどそれを妃にも言われたばかりなのだ」

「当然です。義姉上に心配をかけさせてどうするのですか」

「そうは言ってもだな…」

「兄上はどうあっても義姉上に隠し事など出来ないのですから、せめてやり方を考えて下さいと申し上げているのです」


 口酸っぱくお小言を言うのは、フレッティにつけられた従者であるセルジオの影響なのか。それとも我が妃と共闘しているからなのか。

 いずれにせよ時間内に終われる量の執務ではないので、流石に反論しようとした私に。フレッティはそう言って、さらに言葉を続ける。


「お忙しい時期なのは承知しています。なので私もお止めくださいとは申し上げません。常でないことは知っていますし」

「おぉ…!!流石フレッティ。話がわか――」

「ですが!それならそれで、ちゃんと他の方法を考えて下さい。お世継ぎが生まれるかもしれないこの大事な時期に、義姉上に余計な心労など言語道断ですよ?」

「ぐっ…」


 二の句が継げぬとは、まさにこのこと。

 時間が惜しいと、ついそのまま持って帰ってきて馬車の中でも資料を読んでしまっているからいけないのかもしれないが。

 正論すぎて、むしろ反論する余地すらない。


「なので、いつものようにお持ちしましたよ」


 押し黙った私に、可愛い弟はいい笑顔で袋を取り出す。

 その中身が何であるかを既に知っている私は、実はこの時間を密かに楽しみにしていたりもするのだ。


「おぉ…!!」

「ストレートの紅茶でよろしいですか?」

「あぁ。後は寝るだけだからな。一杯だけにしておこう」

「そうですね。では二杯分だけ、お淹れします」


 そうやって慣れた手つきで、フレッティは私の部屋の棚から茶器を取り出して。そのまま水差しの中の水をポットに入れる。

 余談だが、私の部屋にもフレッティの部屋にも、こうして自分のためだけの茶器などが仕舞ってある棚が存在する。本来であれば執事などに持ってこさせたり、淹れさせたりするものだが。そこはドルチェーラ王家の特殊能力の特権とでも言うべきか。食の癒しが顕現した時のためにと、王族の部屋にはこういった物が初めから誂えられているのだ。


「蒸らしが終わるまで、もうしばらくお待ちください」


 そう言ってフレッティは、持って来た袋の中からクッキーを皿に移して私の目の前のテーブルへと置いていく。

 この間、フレッティが部屋に備え付けられた機能を使う事は一切なく。自らの魔力だけで、ポットへと移した水を一瞬のうちに沸騰させていたのだろう。


 この弟は、やろうと思えば水すら自分で生み出せる。それだけの魔力を秘めている。何よりその才能は留まることを知らず、最終的には全ての魔法への適性すら得たのだから。

 正直、この国でもかなり上位の魔力保持者であろうことは確実だった。私などよりも、遥かに。

 私など、水魔法だけは唯一使い物になる、程度である。


 だが、フレッティが主に使うのは風魔法ばかり。しかも使い道は基本的に情報収集のためだというのだから、何と惜しいことかと思うのだが。

 本人としては、別段それで構わないようで。

 もしも王族として生まれていなかったら、今頃は稀代の魔法使いとしてその名を世界に轟かせていたことだろうに。

 本当に、惜しい限りだ…。


「兄上?どうされました?」


 私が下らぬ事を考えていると、不思議そうに首を傾げてそう問うてくる。

 その姿に、やはりフレッティが私の弟で良かったと思い直すのだ。一瞬前まで、惜しいと思っていたことなどすっかり忘れて。


「いいや?私の弟がフレッティで良かったなと、しみじみ思っていたところだ」

「それは……嬉しいお言葉ですね。ありがとうございます、兄上」


 少し子供の頃の面影を感じさせる、その素直で無邪気な微笑みに。私もつられて笑みを浮かべる。


「では兄上、お待たせしました。準備が整いましたので、どうぞご賞味ください」

「あぁ、頂こう」


 まずはフレッティの淹れてくれた紅茶を一口含んで、その味と香りを楽しむ。

 うむ。やはりフレッティの淹れた紅茶が一番美味いな。私はこれ以上美味い紅茶を知らない。

 そう思いながら、その余韻のまま口の中に一枚クッキーを放り込めば。さっくりとした歯触りに、優しい甘さが口の中一杯に広がって。


「……うむ…。いつもながら、食の癒しとは凄いものだな…」


 特に疲れていたはずの目や首、肩の辺りがたった一口の菓子で改善される。

 フレッティが見つけてきた血の奇跡を顕現させた娘は、現在はフレッティ自身の城専用の側仕えとして置いてはいるが。正直この力、王家に取り込めるのであれば取り込みたい。

 本当に、どこの落としだねなのかが未だ分からない事が悔やまれる。


「私はこの力を毎日のように享受できていますので、執務で疲れが取れないという事は無くなりました。なので本来であれば、兄上にも毎日お出ししたいのですが……」

「それは流石に無理だろう。今勘付かれては困るからな。何より周りが煩いだろう?」

「でしょうね。下手に彼女の存在を知られては、城に閉じ込めている意味がありませんから。本人は、閉じ込められているとは微塵も思っていないようですが」


 そう言って肩を竦めてみせたフレッティは、少し呆れたようにも見えたが。その実きっと、どこか心の片隅で安心しているのだろう。

 まだ成人前の年頃の娘を連れてきて、基本部屋と執務室の往復しかさせないような毎日なのだ。娘が退屈を覚えてしまえば、すぐにでも壊れてしまうような日常。

 だが、まぁ。今のところはそんな心配はなさそうなので、処遇が決まるまではそのままであって欲しいと願うばかりではあるのだが。


「随分と大人しい娘なのだな?」

「大人しいと言えば大人しいですが……割と意見はハッキリと言う性格のようですね。その辺り、貴族の令嬢とは違うようですが」

「一応市井育ちだからな。…まぁ、本当に一応、だが」

「あの教会に併設された孤児院で育っていますから、ね。市井出身にしては異常なほど綺麗な所作に、完璧な読み書き計算。これで貴族令嬢でない方がおかしいくらいです」


 最初に実験的に取り入れられた孤児院での教育が、どれだけの成果をもたらしているのかを間近で見ることが出来たフレッティにしてみれば。予想以上の結果に、ただただ驚くばかりだったのかもしれない。


「この分だと、本格的な導入に踏み込めそうだな」

「まだ王都のみでの、暫定的な導入にはなると思いますが…」

「それでも、だ。これがもたらす経済効果も、人材の確保も育成も、大きな成果が見込めるはずだ」

「その意見には全面的に同意致します。ですので、そろそろ異を唱える邪魔な貴族を排していかなければいけませんね」

「うむ、そうだな」


 目の前に結果があり、それが十分以上だったのだ。

 何よりこれは国力の底上げを図ろうとした、前国王と前宰相の残した仕事。彼らの成し遂げられなかったそれを、私たちは引き継いで成功させなければ意味がない。


「…と。つい仕事の話ばかりになってしまいましたが、本来は兄上に少しでも休んでいただくための時間だったはずなのです。これでは私も義姉上に顔向け出来なくなってしまいますね」

「ははっ。何、気にするな。こういう話は、流石に執務室でするわけにはいかぬからな。何より、私にとっては可愛い弟と話が出来る時間が取れただけでも十分だ」

「兄上はまたそうやって……。本当に、少しはお休みになって頂かないと困りますよ?」

「そのための食の癒し、なのだろう?第一それは私以上にフレッティに必要な言葉ではないか?常に癒しが受けられるからと、無茶な仕事量をこなしていると聞いているが?」

「……セルジオめ…兄上に余計な事を…」


 どこか忌々しそうに呟くその様は、先ほどとは立場が逆転しているようで。

 だが本当に、この弟は働きすぎだ。明らかに一人が一日で出来る仕事量を超えている。


「たまには気晴らしでもしてみてはどうだ?遠乗りをするもよし、演習場に行くもよし」

「気晴らし、ですか……。そうですね……」


 そこで考え込んでしまう位には趣味らしい趣味を持たない我が弟は、何とも仕事人間の典型例に思えてしまう。

 まぁ昔から、権力には興味など欠片も持たないくせに、王族の執務に関しては多大な興味関心を寄せていた位だからな。その理由が私の負担を軽くするためだったというのが、何ともいじらしく可愛いのだが。


「たまには思いっきり、ダニエルと戯れるのもいいかもしれませんね」


 忙しい私や母上が余り構ってやれなくて、寂しい思いをしないように、と。そう願いを込めて贈った子犬は、今や完全にフレッティを群れのリーダーとして仰ぐ忠犬となっているのだが。

 割と相性は良かったようで。大きくなった今も時折、フレッティのベッドの中に潜り込んで一緒に眠る事もあるのだとか。

 正直少し羨ましいと思っていたのは、私が妃を娶る前までの事だった。



 こうして私の可愛い弟と、弟の淹れてくれた紅茶を飲みながら食の癒しも堪能しつつ、私の部屋で様々な会話を交わせること。


 それだけで十分幸せで。

 だからこそ、密かな楽しみになっているのだという事は。


 この先もずっと、私の心の中だけに留めておくことにしよう。




―――ちょっとしたあとがき―――


 まだカリーナが側仕えになって間もない頃のこと。

 城から追い出されるよりも前の、殿下に二人だけのお茶会に誘われるよりもさらに前のお話でした。


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