第5話 心の準備より先に

「あぁ、そうだ。カリーナ。前に約束をしていた金型が今朝届いたのだ」


 殿下が突然そんなことを言いだしたのは、僅かな休憩時間の和やかなティータイムでのおしゃべりに、ちょっとした隙間が出来た瞬間だった。


「金型、ですか?」

「あぁ。前に約束していたワッフルの、だ」


 ……そういえば、そんなことを話したような気もする。

 あの後で色々とありすぎたせいで、今の今まですっかり忘れていたけれど。


「既に部屋には届けさせてあるが、後で確認をしておいて欲しい。何か不備があれば、すぐに新しいものと交換させる」

「分かりました。午後の休憩まで時間はたっぷりありますし、その間に見ておきますね」

「あぁ。……ついでに、それでチーズワッフルを作ってくれてもいいのだが?」

「……」


 つい、ジトっとした目で殿下を見てしまったけれど。

 だってきっとこっちの方が本題だから。流石にその手には乗りませんよ?


「まだ試作もしたことがないものを、いきなり殿下にお出しするわけにはまいりません」

「私は構わぬが?」

「殿下が良くても、私が嫌なのです。中途半端なものをお出しするなんて、私の仕事の流儀に反します」


 これだけはどうしても譲れないから、きっぱりと断っておく。

 私が殿下の側仕えだろうが婚約者だろうが、この仕事には私なりに誇りを持っているのだから。


「何より、ワッフルは生地を発酵させる必要があるらしいので。パン作りと同じ要領でという事であれば、この季節にどの程度の時間発酵させるべきなのかを知る必要がありますから。どちらにしても数日は時間をいただかないと難しいです」


 孤児院にいる時にシスターから酵母が手に入ったからと言われて、子供たちも含めて全員でパン作りをしたことがあるけれど。あれは思っているより難しかった。

 そして今思えば、その酵母の入手先はどう考えてもオルランディ家だろう。

 あれか。私が料理やお菓子作りが好きなのもシスターから情報が行っていたとか、そういうことか。

 恐ろしいな、筆頭公爵家…。


「もはや食事と大差ないのだな」

「朝食として食べる方もいらっしゃるそうなので、ある意味食事なのかもしれませんね」

「だが、そうか…。それならば城の中は一年中常に一定の温度に保たれているのだから、一度発酵時間が分かれば今後は楽になるな」

「……はい…?」


 ちょ、っと待って…?

 今、なんか、さらっと凄いことを言われたような…?


「ん?言っていなかったか?」

「…聞いてませんが?」

「……セルジオ」

「…………特に城の特性についてお話しした覚えはありませんね…」

「……」

「……」

「……」


 三人そろって顔を見合わせて、そのまま少し気まずい沈黙が流れる。

 いや、まぁ…確かにただの側仕えにとって、その辺りは別段必要でもなんでもなかったのだろうけれども。


 できれば教えておいて欲しかったなぁ……


「今度、どこかで時間を取らねばならないな。王弟妃になるカリーナが知らないままというわけにもいかぬだろう?」

「そう、ですね。妃殿下となられる方ですからね」


 二人して念押しするようにそう言うのは何なんですかね…?

 これでも既にそういう覚悟はできているので、今も屋敷では勉強の日々ですよ。


「え、っと……ちなみにそれは、貴族としては一般常識、ですか?」

「一般常識……で、ある場合も、ある」

「……色々、制約があるんですね」


 貴族全員の知っている事実もあれば、上位貴族しか知らない事実もあって。さらに王族やそれに近しい存在しか知らない事実もきっとあるんだろう。

 少なくとも公爵家の令嬢教育では、そういう風に習ったから。


「理解が早くて助かります」

「もしもの時のことを考えて、カリーナには王族のみ知るべき事も話さねばならないからな。全てを知るのは婚姻後でいいとしても、ある程度は早めに知っておくべきだろう」

「ではどこか都合の良い日取りで、一日予定を組みましょうか。これもご公務ですし」

「そうだな。頼んだぞセルジオ」

「承知いたしました」


 なんだかあれよあれよという間に話が進んで、結局二人だけでまとめてしまっているけれど。まぁ、私は決まった日程の日に同じようにここにいればいいだけなので、後はその報告が公爵家に届けられるのを大人しく待ちましょう。



 なんて、油断していたのがいけなかった。



「あぁ、そうだ。折角ならその日にチーズワッフルを用意してはくれぬか?一日共にいられるのであれば、昼食も必要だろう?」

「…………はい……?」


 何を言い始めたのでしょうかね、この王弟殿下様は。


「ここではない場所となれば、カリーナにとっては堅苦しいものとなってしまうだろうからな。そちらは量を減らして、代わりに休憩時にワッフルを食すというのはどうだ?」


 いや、どうだ?って聞かれましても……


「そもそも昼食も一緒でなければいけないのでしょうか…?」

「流石に婚約者を呼び出しておいて、食事は別々にというのは……出来なくはないが、外聞はかなり悪いだろうな」

「それは困ります…!!」


 別に殿下を困らせたいわけでも、変な噂を立てられたいわけでもない。ただ少し……そう、殿下が言った通り。ほんの少し、堅苦しそうだなと思ってしまったから。

 でもそれに付随するのが殿下の外聞なら、お断りするわけにはいかない。


「だが……」

「令嬢教育、頑張っていますから!ぜひその成果を見てください!」


 今にして思えば、孤児院にいる時もマナー教育は子供たち全員で受けていたわけだから。あれがオルランディ家の手配した教育者なのだという事は、その令嬢教育の中でよく分かった。

 だって、同じだったから。マナーの必要性や教え方、果ては注意の仕方まで。

 そこまで徹底されていれば、流石に誰だって気が付くだろうけれど。


「ふっ…頼もしい限りだな」


 言い切った私が面白かったのか、淡い色の瞳を優しく細めて笑う殿下の表情に。

 私の胸は、とくんと甘く脈打つ。


 あぁ、好きだなぁ…なんて。

 こんな何気ない仕草や表情から、再認識してしまうのだ。


「では、カリーナ嬢の準備が整い次第日程を調整いたしましょう」

「そうだな」


 …………ん……?

 ちょっと待って?これはもしかして、ワッフルを作るのはもはや決定事項になっているのでは……?


「あ、あの……」

「心配せずとも、必要なものは全てこちらで揃える。酵母も必要なのだろう?料理長に伝えればすぐにでも用意してくれるだろうから、その辺りの心配はしなくていい」


 いやいや!!そういう事ではなくてですね!!


「後ほど、お部屋にお持ちしますので。その間に金型の確認をお願い致します」

「あ、はい」


 なんて、つい反射的に答えてしまったけれど。


 いやもうこれ確実に、逃げられない速さで決定が下されてませんかね…?

 作るの私なのに……。どうして私の意見を挟む余地がないのか……。


「あぁ。それとも昼食に組み込んだ方が良かったか?」

「それだけはやめてください…!!」


 プロの料理に素人の料理を混ぜるとか、本当に勘弁してください…!!


「ふむ…。ではやはり、昼食は予定通り少なめにさせよう。セルジオ」

「はい。カリーナ嬢の召し上がられる量も、オルランディ家に確認して料理長に用意させますので」

「あぁ」


 私の必死の懇願はちゃんと伝わったみたいだけれど。その後に続いた二人の会話に、もはや何も口を挟めなくて。

 第一私の食べる量って何ですか…。そんなもの把握されて…………あぁ、把握されてますね。公爵家では食べられない量を出されることはないので。

 何なんだろうか、あれは。いつの間に適正量を測られたのか。

 本当に、謎である。




 こうして結局。


 あのお茶会の最中考えていたはずの、私の心の準備より先に。

 殿下にチーズワッフルを作ることが決定してしまったのだった。


 唯一の救いは、プロの料理と同じ時間に出さずに済むということ。

 ただその事実だけだった。


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