第32話 連れ戻された先

 どうして私は今、こんなところにいるんだろうか?




「あの…」

「もう少々お待ちください」


 先ほどから何度問いかけてもこれしか返ってこない。


 王都を出る許可が下りたのが昨日で、次はいつ帰ってこられるのか分からなかったから。夕方の人が少なくなった時間帯に教会の母のお墓に出発の報告をしに出掛けて、そのままシスターにも挨拶をして感謝とお別れの言葉を伝えて。


 そうして全ての準備を終えて、今後のためにとしっかり睡眠をとって。

 さぁいざ出発だと、王都の入り口まで来た時に。

 なぜか許可証を見た門番の人に、奥の部屋に連れてこられて。


 そして今。


 なぜか私は見知らぬナイスミドルに見張られながら、明らかにお偉い様向けの部屋の中で一人ソファに腰かけているという。何とも訳の分からない状況だった。


「王都を出る許可は出ているんですけれど…」

「存じ上げております。ですがもう少々お待ちください」


 知ってはいるんですね。

 というか、知ってて待たされているんですね、私。


 そもそもどなたですか?

 そしてもう少々って、具体的にあとどれくらいなんでしょうか?


 なんてこと、明らかに貴族に仕えているのであろう執事然とした人に聞けるわけがなくて。

 ただ本当に見ず知らずの相手と二人きりで、しかも私だけが座っているというのは何とも落ち着かない気分にさせる。でも席を勧めても「お気になさらず」と笑顔で返されて、もはやどうしていいのか分からない。

 荷物を詰め込んだ鞄を膝において持ち手を握りしめながら、ただひたすらに早くこの時間が過ぎることを願う。


「はぁ…」


 なんだか出端でばなを挫かれた気がして、思わずため息を吐いた時だった。


「こちらです。どうぞ」


 開かれたままだった扉の向こうから足音が聞こえてきたかと思ったら、私をここまで連れてきた人が誰かに向かってそう話しかけて、こちらの部屋の中を手で示しているのが見えて。

 その態度や硬い表情から、相当偉い人なんだろうなと私も緊張しながら視線を向けていた先に現れたのは……


「……セルジオ様…?」


 なぜか、見慣れた人だった。


「カリーナ嬢…!!良かった、ご無事だったのですね…!」

「え?あ、はい……え…?」


 何が起こっているのかよく分からなくて、立ち上がることも忘れて久々に見るその顔をまじまじと見つめてしまって。


 そもそも無事って、何のことでしょうか…?

 私、お役御免になったからお城から出されたのでは…?


「説明は道中でも構いませんか?まずは一刻も早く貴女を城へお連れしないと」

「え?え?」

「あぁ、オルランディ家の…」

「私のことはお構いなく。お嬢様を足止めすることが私の仕事でしたので」

「ではコラード殿に言伝を。こちらで説明しますので、明日の昼以降にお待ちしております、と」

「承知いたしました」


 恭しく頭を下げるナイスミドルの雰囲気からして、ここの力関係は明らかにセルジオ様の方が上のようで。

 というか、オルラ……何家って言いました?あとなんか知らない人の名前がもう一つ出ていたような…?


 会話に一切ついて行けない私は、ただ困惑するばかりで。


「では行きますよカリーナ嬢。…あぁ、荷物は私がお持ちします」

「え…?」


 それなのに知らない間に鞄はセルジオ様の手にあるし、ナイスミドルはまるで見送るように頭を下げたままだし。

 とにかく歩き出してしまったセルジオ様の後を急いで追うので精いっぱいだった。


 そしてなぜか私は、お城に連れていかれた初日のことを思い出していたのだった。

 そう。あの日もこんな風に、無駄に豪華な馬車に乗せられて……って、あれ…?


「あの…セルジオ様……?」

「お話は馬車の中で。さぁ、乗ってください」

「え?いや、でも…」

「お戻りになりたくないのであれば、その理由をまずはお聞かせ願わなければなりませんから」

「いやいや、そういうわけでは…!」

「では乗ってください。貴女にお話ししなければならないことも、お聞きしなければならないことも山ほどあるのですから」

「あ、えと……はい…」


 怖いくらい真剣な顔でそう言われてしまえば、もはや私には頷くしかできなくて。


 むしろ私の方が色々とお聞きしたいんですが、それは可能なんでしょうかね?


 今までとは違うセルジオ様の様子に気圧されている自覚はあるけれど、それでもどこかで期待している自分がいるのも確かだった。


 もしかしたら、また会えるかもしれない、と。

 あの淡い優しい瞳を、もう一度見ることが出来るのかもしれないと。


 そう、思ってしまったから。


「そ、の……」


 殿下は、どうされてますか?なんて。つい聞きそうになってしまって。

 けれどそれより先に、真剣な表情のままのセルジオ様に問いかけられた。


「カリーナ嬢、まずは一つだけ確認させていただいてもよろしいですか?」

「え?あ、はい」

「貴女は殿下の側仕えとして働くのが嫌で、城を出て行ったのですか?」

「…………え……?」


 何を、言っているんだろう?

 だって私は解雇されたから、あそこにはいられなくなったはずなのに…。


「何か不満があったのですか?」

「え…!?いやいや、不満なんてちっとも…!!」


 そう。不満なんて、一つもなかった。


 毎日楽しくお菓子作りをして、殿下や時折セルジオ様も美味しいと食べて下さって。他愛もないおしゃべりに花を咲かせたり、次のお菓子をリクエストされたり。

 やりがいもあるしお給金もいいのに、むしろ何を不満に思うことがあるというのだろう。


「でも新しい側仕えが来るから、私はもう必要なくなったはずですよね?それなのにどうして…」

「新しい、側仕え…?なんですか?その話は」

「え…?」


 本気で分からないらしいセルジオ様が、向かいの席で怪訝そうに首を傾げる。その様子は嘘をついているわけでもなさそうで。

 というか、この場でセルジオ様が嘘をつく理由がない。


 でも、それなら……


「貴族の、女性たちが……新しい側仕えが決まったから出て行けと……」


 そう、言っていた。

 まさか、あれは……


「……なるほど…。そういう、事でしたか…」


 呟いたセルジオ様の声は、今までに聞いたこともないほど冷たくて。

 思わず背中が震えた。


「可能性の一つとして考えていなかったわけではありませんが……まさかそこまで愚かな者達が貴女に接触していたとは…。すみません。もっと早くに気付くべきでした」

「え?あ、いいえ!私もよくあることだと放置してしまっていたからいけなかったんです…!!ちゃんと、確認するべきでした…!!」

「いいえ。貴女のことですから、確認しようとしたのでしょう?けれどその時間すら与えられないまま、最小限の荷物だけを持って連れ出されてしまった。そういうことではありませんか?」

「……その通り、です…」


 まさか今の流れでそこまで分かるなんて思ってもいなくて。なるほど、これだけ優秀じゃないと王弟殿下の側近は務まらないんだなと、セルジオ様のすごさを改めて知った気がした。


「しかし……本格的な意識改革が必要なようですね。これは城の改革を急いで正解だったかもしれません。一度でそれを見抜いた殿下は流石としか言いようがありませんね」


 殿下、と。セルジオ様の口から出てきたその言葉に、心臓が小さく跳ねる。

 お城に近づいてきているせいなのか、置いてきたはずの恋心が戻ってきているような錯覚すら覚えて。


 そうして連れ戻された先は、王弟殿下の執務室前。


 流石に旅用のローブは脱いだものの、明らかに場違いなワンピース姿でここを訪れることになる日が来るとは思ってもみなかった。


 ちなみに流石にお城の廊下で話すことではないからと、馬車を降りたら終始無言のまま二人で歩き続けた。

 その際通った道は、どう考えてもお城を出たあの日とは別の場所で。人とすれ違うことすらほぼなかったところを考えると、もしかしたら貴族専用とか下手したら王族専用の出入り口とかだったのかもしれない。


「殿下、ただいま戻りました。カリーナ嬢もお連れしましたよ」


 恥ずかしさにちょっと現実逃避したくなっていた私に気づくこともなく、セルジオ様は容赦なくそう声をかけて執務室の中へと入っていく。そのまま促されてしまえば、私も意を決して入るしかなくて。


 けれど。


「殿下……?」


 そこにいつもいるはずの、殿下の姿がなかった。


 ただ、不自然に。

 執務机の向こう側で椅子だけが窓の方を向いているだけで。


「最近お疲れのご様子だったので、仮眠室でお休みになられているのかもしれません。少し見てきますので、カリーナ嬢は座って待っていてください」


 そう、セルジオ様は言うけれど。


 私はどうしても、あの椅子が気になってしまって。


 だって殿下はいつも、休憩時間の時ですら椅子をまっすぐな状態にしてから移動するような人だったから。

 半分以上癖のようなものだと思っていたからこんな風に中途半端に、しかも何もない窓の方を向けたままいなくなるなんて。そんなこと、考えられなくて。


「……セルジオ様…」

「はい?」


 既に執務机のところまで歩いていたセルジオ様の方は見ないまま、私はただ椅子だけを凝視して。


「仮眠室は、その右奥の扉の向こう、ですよね?」

「え?えぇ、そうですが…どうかしましたか?」

「……それなら、どうして…」


 殿下が執務室から出ていないのは、護衛騎士のお二人が証言している。



 それなのに、どうして……



「あの椅子は仮眠室ではなく、窓の方を向いているのですか…?」

「え……?」


 ただの違和感。

 そう思えたら、よかったのに。


 なぜか、嫌な予感にどくどくと心臓が嫌な音を立てていて。

 確かめる勇気もないまま、私は一歩も動けない。


「まさかっ…!!」


 けれどセルジオ様は違った。

 急いで執務机の後ろへ駆け寄って、その椅子の向こう側を覗き込んで。


「殿下っ…!?殿下、しっかりしてくださいっ…!!」


 私には死角になって見えない向こう側に、きっと倒れている殿下を見つけて駆け寄ったのだろう。


 焦ったようなセルジオ様の声だけが、執務室の中に響いた。





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