第28話 穏やかで安らかな日々だった -王弟殿下視点-
翌日。
今日もまた手掛かり一つ見つからないまま、時間だけが過ぎていく。
カリーナがいないことを思い出さないようにと必要以上に執務に打ち込んでいるからか、予定よりもずっと早く予定していた仕事が片付きそうで。けれどこの城の改革は、元はと言えばカリーナが不埒な者達に乱暴されかかっていたからこそ進めようとしたものだったはずで。
それならば、その本人がいない今。果たして本当に意味があるのか。
一瞬でも、そんなことを考えてしまった自分が恥ずかしい。
これは王族としていつかはやらねばならない仕事のはずだ。城で働く全ての者達が安心して、楽しく働けるように。そして何よりそれはこの目を持つ私の仕事。必要な人物とそうでない人物を分けるのは、私にとって得意分野なのだから。
「殿下。急ぎの案件ではありませんが、宮殿料理人から伝言を預かっております」
「伝言?何だ?」
「レシピの再現が進んでおりますので、一度ご確認をお願いしたい、と」
「っ…そう、か……」
レシピ集。あれはカリーナとの二人だけの茶会で渡されたものだ。
だが。
私一人で確認したところで、考案した者はいないのだ。それでは正しく再現できているかの判断など、出来ようはずがない。
「どういたしますか?」
「……まだしばらくは忙しい。落ち着いた頃にこちらから連絡すると伝えておいてくれ」
「承知いたしました。そのように」
もしも。もしもカリーナが私の元に帰ってきたら。
その時は、すぐにでも確認させよう。
そう考えてふと、彼女との約束が他にもあったことを思い出す。
あの茶会で約束したのは何も、レシピの再現の試食だけではなく。そのためにまたいずれ二人だけの茶会をとの約束もしたが。私が食べてみたいと口にしたチーズワッフルも、いずれ作ってくれるのだと約束したはずだ。
それだけではない。
茶会の時とは別に、いずれ王族所有の避暑地へ赴こうという話をしていたはずだ。その際にはカリーナに軽食を用意してもらおうと。そういう話だった事を覚えている。
この先のいつであろうと構わない、と。そう口にした私にセルジオが意味を分かっているのかと問うてきたが。流石にそれも分からずに口にするほど私は愚かではない。
もとよりカリーナは何があっても手元に置くつもりでいた。それだけは私と陛下の間でも意見が一致している。逃がすわけにはいかぬ、自由にはさせてやれぬ、と。
「殿下?お疲れでしたら少しお休みになられますか?」
「…いや、いい。今日中にこれだけ終わらせてしまいたいからな」
どうやら心配されるほど長い間考えに耽っていたらしい。今まで執務の最中に別のことを考えて手が止まるなど、そんなことはなかったはずなのに。
宣言通り手を動かしながら、それでも頭の中では別の思考を止めることも出来ぬまま。
ただ思い出すのは、カリーナがいる毎日は何と穏やかで安らかな日々だったのだろうということ。
一度茶葉に媚薬が混ぜられていた時は、流石に倒れた彼女に肝を冷やしたが。結果主を守ったと、その話を聞いた護衛たちや他の侍女たち、それに宮殿で働く者達からは今まで以上に彼女の評価が上がったものだった。
だが私にとって何より安心できたのは、カリーナの入れた茶も彼女が作ってきた菓子も。何一つ警戒することなく、素直に口に運べたということだ。それは彼女が市井出身だから媚薬一つ知らずに育ったという事実ももちろんあるが。それ以上にあの癒しの力は、口にすればすぐにわかる。邪な考えを持って出されたものであれば、あれほどの癒しの効力などまずもって発揮できないのだから。
「セルジオ。これの資料が足りぬ」
「すぐに持ってこさせます。少々お待ちください」
「ああ」
確かにこの目は優秀だ。才能の有無を一目見ただけで判別できるのだから。
だがだからこそ、それだけでは分からぬ部分が人にはあるのだということもよく知っていた。
カリーナには明らかに才能があった。しかも王家の血筋の才能が。それは目で見ればすぐにわかることだった。だがあの素直な性格までは、ただ見ただけでは分からない。
それと同じで、目で才能の有無が判断できたとしても、それ以外のことは分からないのだ。特に人格者であるかどうかは、才能とは関係ない場合もある。俗に言うお人好し、というのがこれに当てはまる場合が多い。とはいえ、貴族がお人好しでは才能なしと言っても過言ではないのかもしれないが。
だが例えば二人が同じだけの才能を有していたとして。どちらか一人しか選択できぬとなったとき、果たしてどう判断すべきか。それはこの目だけでは選べぬのだ。
誠実さも真面目さも勤勉さも、人の性格でしかない。それらは才能とは別の場所にあるのだから。
「……才能など、入り口の一つに過ぎぬのだ…」
その人物を知るために、興味を持つために。私にとって最低限が才能の有無だったというだけで。そこから先気に入るかどうかは、また別の問題だ。
だがそれを、難なく越えてきて。
かつこの心の中にいつの間にか棲みついていた彼女は、私にとって特別以外の何物でもない。
だからこそ、彼女がいるだけで毎日が鮮やかに色づいていたというのに。
今の私の瞳に映る世界は、何と暗く色褪せていることか。
それでも気持ちを切り替えて執務に集中しようと、窓の外を見ながらため息を一つ落とした時だった。
「殿下っ…!!」
慌てた様子で執務室に駆け込んできたセルジオに、どうしたのかと問おうと目を向けて。
その手に持っているのが資料ではなく、一着のお仕着せであることに。
どくりと、心臓が嫌な音を立てた。
「……セルジオ…その手に、持っているのは……まさか……」
「カリーナ嬢の部屋から消えていた、お仕着せの一着です…!汚れも破れも、ほつれすらないことに疑問を抱いた侍女が所有者を確かめていたようでして…!!」
「なぜ、いま……」
いや、何もおかしなことではない。
お仕着せというのは全て同じデザインで、一人一人の体型に合わせて作られているものだ。だからそのサイズを衣装部に照らし合わせれば、ある程度の持ち主を絞ることは出来る。
だが、それとは別に。
王族直属の侍女や側仕えが着る服にだけは、実は一つだけ他とは違う箇所がある。
「衣装総括の者が、王族直属である証の青いタグに気づいたようでして。先ほど確認の者がこれを持って来たので、急いで詳細を当たらせているところです」
そう。他にはない上に外からでは見えないので分からないが、実は本来ないはずの青いタグがつけられているのが王族直属である証。それは有事の際に最も優先すべき者達を素早く判別したり、何事かに巻き込まれた際にすぐに報告できるようにという意図をもってつけられているもの。
つまり。
「まさかっ……!」
お仕着せ姿のままではなく、どこかで着替えて城から出ていったのか。
もしくは。
「殿下。見つけた者は綺麗なままだからこそ疑問に思ったのです」
「あぁ。だがセルジオ。それは何一つ、安心できる材料にはならぬだろう?」
「っ…」
本当は、セルジオも分かっているのだろう。
もしかしたら王家の血筋だと、血の奇跡だと知られて。それを目当てに拐かされた可能性が高くなったのだと。次世代の血の奇跡を生むための、道具にされた可能性があるのだと。
彼女の体が、知らない男に蹂躙されてしまったかもしれない。
そう、考えたら。
「っ…!!」
腸が煮えくり返るような怒りというのは、きっとこういう事を言うのだろう。沸々と湧き上がる憎悪に、私自身が飲まれてしまいそうな感覚に陥って。
けれど最後の一歩という所で必死に押し留まる。
ひじ掛け部分を強く強く握りしめて、まだ可能性でしかないのだと必死に言い聞かせて。怒りや憎しみを何とか嚙み殺す。
だが。
「セルジオ…」
「はい」
「もしも……もしも万が一にでも、カリーナに何事かあった時には…」
その時には。
「関わった者達全て、引きずってでも私の前に連れてこい。いいか、必ずだ」
「はっ」
この怒りも憎しみも、全て正しく解放しよう。
あれは私の最愛だ。
私の毎日を彩るのは。
穏やかさや安心を与えるのは。
全て、彼女一人にしか出来ぬことなのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます