第27話 伸ばせなかった手と、言えなかった言葉 -王弟殿下視点-
カリーナが忽然と姿を消してから、早三日。
未だ確信的な証拠は見つからず、かと言って彼女が自分の意思で出ていったのだと決定づけるような協力者も浮かび上がってこなかった。
その間私はただひたすらに城の内部の改革のための資料を読み込み判を押し、それが一区切りつけば通常の執務を行い。そうやって忙しく過ごしていれば、いつの間にか外は日も沈み暗くなっていて。セルジオに声をかけられて、キリのいいところまで仕事を終わらせてから宮殿へと帰るということを繰り返していた。
まだ辛うじて、昼食と夕食は摂っているが。前よりも明らかに食欲は落ちているのは自覚しているし、何より休憩になどならないのだからと茶や菓子もいらぬと断っている。
そもそもあれは、食の癒しという力があったからこそ意味があったのであって。ただの茶や菓子であれば、そんなもののために時間を割くことなど無意味だ。
「……物足りぬ…」
以前は自分の淹れた茶であれば、ある程度満足できていたというのに。自室で淹れたその一杯ですら、舌も体も必要としていない。
「私の体は随分と、我儘になったものだな…」
嘲笑するかのような笑いしか出てこないのは、本当に自分が望んでいるものが何であるかを知っているからだ。
飲む気の失せた茶を置いて、ふとその視界に入った手を見つめる。
何がいけなかったのかなど、今の状況だけでは何一つ判断などつけようがない。だが一つだけ、言えることがあるとすれば。
「触れておけばよかったな……」
もっと遠慮などせず、けれど傷つけない程度に。
だが私の目に映っているのは、どうしたって伸ばせなかった手。
あの柔らかそうな頬に、折れてしまいそうなほど細い体に、癒しを生み出すその手に。
触れたいと無意識のうちに思いながらも、決して自らの意思で動くことはなかった。口に出すこともしなかった。
それは私の立場故でもあるし、何よりカリーナ自身を守るためでもあった。もしも万が一良からぬ噂が流れてしまった時に、つらいのは彼女の方だと分かっていたから。
だから細心の注意を払って接していたというのに。
「ここまで何の手掛かりもないとなると、いっそ怪しいのだがな…。それともそれにすら気づかぬほど才のない者の仕業か…」
いずれにせよ、何事かがあったのは確実なのだ。そうでなければあのカリーナが、いくら忙しかったとはいえ私に分からぬように秘密を隠し通せるわけがないのだから。
考えていることがすぐに表情に出る彼女は、最近でこそようやく自覚をしてきてはいたが。それでもなかなかに表情を繕うことは出来ぬらしい。
そこが分かりやすくていいのだが。
しかしだからこそ、何者かに何事かを問いかけられて。そのまままるで自分からいなくなったかのように工作されて、拐かされた可能性があるのだ。
そう考えれば、お仕着せが一着なかったのも。彼女の初めからの持ち物以外が置かれたままだったのも。全て、納得できる。
例えば何者かに脅されて、まるで荷物を持っているかのように彼女の鞄を持たせたまま、後ろを歩かせて。そのまま馬車に乗せてしまえば、いくらでも連れ去ることは出来る。周りからもただの貴族と侍女にしか見えないだろうから、何一つ不審になど思われることもない。
だがあの日。お仕着せ姿のまま馬車に乗った侍女はいなかったと、既に証言は取れている。
かと言って、ではお仕着せのまま城門をくぐった者がいるかと言えば、それもない。
では何か、箱のような物に詰められた?だとすれば初めからそれでよかったはずだ。わざわざ自分からいなくなったように見せる必要などない。
それならば本当に、彼女自身の意思で出ていったのだとすれば?今度は共犯者が浮かんでこない。
稚拙なように見えて、その実可能性があまりにもありすぎて真相に辿り着けないのが痛い。
何より誰も侍女一人を注意深く観察などしていないから、知っている顔でなくてもお仕着せ姿というだけで素通りしてしまう。そうなればあの美しい瞳にすら気づかず、結局はカリーナであるという確実な証言も得られないのだ。
「せめて……カリーナの目を完全に私に向けさせることが出来ていれば、あるいは違ったのか…」
真実を伝えて、王弟妃に最も近い位置にいるのだと意識をさせて。その上でこれでもかというほど甘やかせば、状況や可能性は変わっていたのかもしれない。
実はそれも一つの方法だった。
城から、私から、逃げないようにするための。
王族の血をばら撒かせないために、血の奇跡を何者にも気づかせないために。兄上……いや。陛下から命じられれば、私は迷うことなくその手段を選んでいただろう。
ただしそれが、出会ってすぐの頃のことであれば、だが。
今もしも命じられていれば、やることにはやっただろう。陛下からの直々の命だ。断るはずがない。
だが。
同時にどこかで罪悪感を覚えながらだっただろうことも、容易に想像できてしまう。王族としての義務としてなどと言う形に、私自身が悩み苦しんでいたかもしれない。
それはひとえに、彼女の意思を、自由を。こちらの都合で勝手に奪う行為だと自覚してしまっているから。
だがそれ以上に、私がそれを望んでいなかった。
何より……
「カリーナっ…!」
ただ傍で、笑っていてくれればそれでよかったのだ。
ただ、それだけで……
彼女自身を無理に望んだりはしないから。この想いを伝えようなどとは…受け入れてもらおうなどとは思わないから。だからせめて、どこに嫁がせるわけにもいかないまま、ただ飼い殺しのように傍に置くことしかできないと分かってはいても。出来得る限りの望みを、叶えてやりたいと思っていたのに。
それなのに、与えられていたのは常に私の方で。
彼女の笑顔に、紅茶に、菓子に。どれだけ癒されていたのかなど、もはや測れるものでもない。
何より。
この胸にいつからか宿っていた、温かく優しい想いは。
もはや私には縁がないと、半ば諦めていたものだというのに。
そうやって何もかも、彼女から与えられておいて。その上まだ何かを望もうなど、思ってなどいなかったのに。高望みが過ぎるのだと、必死で自分を律してきたというのに。
彼女が目の前からいなくなった途端、それは恐ろしいほどに暴れだして。
「愛しいっ…!」
口に出してしまえば、もう止められないと分かっていたから。隠しきれないと、分かり切っていたから。だから今まで一度も、一人の時でさえ言えなかった言葉。
だがもう、隠し通せるほどの余裕などなかった。
永遠に失ってしまうかもしれないというこの時になってまで、この想いを留めておくことなど不可能だ。
「カリーナ…カリーナっ……」
君が…君だけが。誰よりも、何よりも愛おしい。
屈託なく笑うその笑顔が。柔らかく私を呼ぶその声が。世界を閉じ込めたかのようなその瞳が。
君の全てが。
ただ、愛しくて…。
「カリーナ、頼むっ…どこにも行かないでくれ……戻ってきてくれ……。ずっと、私の傍にっ……」
それは身勝手な願い。
私が
そんなことは、分かっていた。分かり切っていたから、言えなかったのだ。そんな形で、彼女を縛り付けたくなどなかったから。
けれど、もう……私が唯一望んだ少女は、この手からすり抜けていってしまった…。
「なぜ……なぜだっ…」
何が不満だったのか。言ってくれさえすれば、いくらでも改善できただろうに。
それなのに一言もないまま。ただ、ある日忽然と姿を消して。
外に出たかった?それならば連れ出してやったのに。
休みがないのが嫌だった?それならば定期的に休みを与えたのに。
それとも、言えないとでも思っていたのか?
私が、王弟だから……
「カリーナっ…!!」
そんなもの、どうでもよかった。自由を与えてはやれぬ代わりに、彼女が望むのであればいくらでも、なんでも与えるつもりでいた。
それなのに。
結局何も、望み一つ告げないまま。
身動き一つとれぬ私を置き去りにして。
私の愛しい存在は、この心に大きな失意と悲しみと、埋められないほどの穴だけを残して。
私の前から、消えてしまった。
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