第26話 立場と本音 -王弟殿下視点-

 私が立つべき場所は初めから決まっていた。



 貴族をまとめ常に規範であらねばならない王族。


 誰よりも陛下を理解しお支えする王弟。


 それは私の意思とは関係なく、物心がつくより前に周りから求められていたもの。

 そしてまた私自身も、そういう立場なのだと理解していた。


 だからこそ、血の奇跡を顕現させている少女を見つけた時には真っ先に陛下に報告をし、さらにセルジオに彼女について調べさせた。それと同時に手遅れになる前にと、その能力の有用性も知った上で利用するべきだと思い、手元に置くことに決めた。

 何も詳細が分からぬままでは、私も陛下も何一つ判断が下せなかったというのが主な理由ではあるが。


 始まりは本当に、そんな国としての打算的な意味合いでしかなかったのだ。


 そう、そのはず、だったのに。



「失礼いたします。セルジオ様」

「あぁ、もう休憩時間ですか」

「はい。ですが、その……」

「何か?」

「……昼食の、お時間だと…」


 執務もひと段落つけようかとペンを置いた時に聞こえてきたのは、そんな会話で。


「昼食…?」


 護衛の言葉が一瞬理解出来ず呟いて、思わず机の上に置かれている時計を見れば。確かにその針は寸分違わず、昼食の時間を指していた。

 だが本来はそんなことあるはずがなくて。いくら忙しいとはいえ、午前には必ず一度だけ休憩を取ると決めていた。


 それは必ず、あの美しいヴェレッツァアイを見られる時間でもあって。


「……セルジオ…」

「私は何も伺っておりませんので、侍女に確認させます。殿下が執務室に戻り次第、詳細を報告させていただきますので。どうかお食事を済ませてきて下さい」

「…………なるべく、すぐに戻る」


 何か嫌な予感が一瞬過った気がして。けれどきっとセルジオのことだ。私が食事を済ませない限り、本当に報告はしないつもりなのだろう。

 若干寄ってしまう眉間の皺に気づいたらしいセルジオが、少しだけ困ったような顔をしていたが。何も言わずに送り出したのは、その時間も惜しいと思っている私の気持ちを汲んでのことだろう。


 だが一体、何があった?よもや部屋の中で倒れていたりはしないだろうか?昨日は特に変化などなかったような気がするが…。


 そんな風に食事中も執務のことではなく、初めて姿を見せなかったカリーナのことばかり考えていた私が戻った時。約束通りセルジオから聞かされた詳細は、予想だにしていなかった事で。

 あまりの衝撃に、数秒思考が停止してしまうような事実だった。


「どこにも、いない…?」

「はい。部屋中探させましたが、一切人の気配もない状態で。荒らされた形跡もなく、ただ彼女が最初に城へ来た時に持っていた鞄と服、それとお仕着せが一着なくなっていたと」

「その上、置手紙、だと…?」

「はい。私も確認しましたが、名前などは一切書かれておらず。ただ丁寧な文字で『ごめんなさい。さようなら』とだけ…」


 そんな馬鹿な事があるものか。

 そもそも何も言わずに勝手に出ていくなど、そのようなことをする性格の娘ではなかったはずだ。


 それが、何故……?


「警備の者達にも確認しましたが、誰一人彼女の姿を見た覚えはない、と。ただお仕着せ姿ですので、果たしてどこまでカリーナ嬢だと認識できていたのかは定かではありませんが…」

「他には?何か他に手掛かりになるような物は残っていなかったのか?」

「何も……むしろ何もかもが残されたままで、本当にカリーナ嬢本人と元々の持ち物…あとはお渡ししていた給金が消えているくらいで、何一つ手掛かりなど見つからないのです」

「何、だ……それでは…まるで……」

「本人の意思で、出ていったように見えますね。何せ殿下が贈られたガラスペンも服や靴も、何もかもが部屋の中にそのまま置かれていましたから」

「それら全てが、か?」

「はい、全てです」

「…………はっ…ははっ……」


 もはや乾いた笑いしか出てこなかった。

 忽然と消えた彼女は、まるで幻か何かだったかのようで。

 けれどそれが幻などではなかったことは、私が一番よく知っている。


「で、殿下…?」


 気でも狂ったかと思ったのだろうか?セルジオが心配そうに、けれどどこか怪訝そうにこちらを窺っている。

 だが今はそれを無視して、私はすべきことを思い出して指示を出す。


「セルジオ。あれを逃がすわけにはいかないのだ。王家の血を、外に出されては困る。必ず、見つけ出せ。いいか?何よりも最優先で、だ」


 王家の血筋。血の奇跡。貴族の落としだね。ヴェレッツァアイ。

 彼女を手元においておかなければいけない理由など、私の立場からすればありすぎるほどで。

 むしろ逃がすなど失態もいいところだ。


「殿下…」

「だが間違えるなよ?状況は限りなくカリーナの意思に見えるが、その他の可能性も必ず考えて動け。何よりあれは城から出る道筋など知らぬはずだ。もしも自分の意思でとなれば、必ず協力者がいるはず。そうではなく何かの事件に巻き込まれた、あるいは事件そのものだとすれば、どこかに矛盾が生まれているはずだ。そこを見誤るな。必ず真実を詳らかにした上で、さらに連れ戻さねばならない」

「もちろんです。何より彼女は血の奇跡。それを知られた可能性も含めて、誘拐の類の方向からも調べてみます」

「私は動けぬからな。頼んだぞ、セルジオ」

「殿下……はい。お任せください」


 力強く頷いたセルジオが出ていった執務室の中、一人不安を吐き出すように大きくため息を吐く。

 どのような理由であろうとも、カリーナが消えたということだけが今ある真実だ。それは変わることなどないし、そもそもそんな状況を生んだ時点で私の監督不行き届きということになる。


 もう一度ため息を吐きたいのを堪えて、執務室の一番奥の窓へと歩いて行って開け放つ。


「誰か、いるか?」


 声をかければ、途端に集まってくる小鳥たち。見上げてくるそのつぶらな瞳が、首を傾げながらどうしたのかと問いかけているようで。


「兄上にこれを届けて欲しい。頼めるか?」


 渡したのは、常に持ち歩いている小さなプレート。その中の赤い色を塗ってあるものだ。

 小鳥たちの中から一羽が私の手に飛び乗ってきて、そのプレートを器用に嘴で咥えたかと思うと。おもむろに飛び立って行った。


 赤は緊急事態を告げる、私たち王族だけが使う連絡手段。これは兄上が動物と会話が出来るからこそ使えるものではあるが、誰にも知られずにこうしてやり取りが出来るので非常に重宝している。

 ただまさか、こんな風に使う日が来るとは思っていなかったが。


「…………カリーナ……」


 小さな呟きは、まだ窓辺に佇む小鳥たちには聞こえていただろうが。私以外誰もいない部屋の中には響くことすらないまま、風の中に溶けて消えていった。

 私は王族であり王弟だ。やらねばならない執務はまだ山ほど残っているし、ここから動くことなどそうそう簡単には出来はしない。そういう、立場なのだから。


 だが。


 本音を言えば、今すぐにでも探しに行きたかった。


 何故突然、何故いなくなったのか。

 本当に本人の意思なのか、それとも誰かにかどわかされたのか。

 考えれば考えるほど不安に押しつぶされそうになる胸を、服の上から強く掴む。


「理由、など……言い訳に過ぎぬのだ……」


 王家の血筋だから?血の奇跡を顕現させているから?


 違う。


 どこの貴族の落としだねであろうが、ヴェレッツァアイがどこの国の系譜のものであろうが、そんなことは関係ない。

 そんなことでは、なくて。


「カリーナっ……」


 私が。

 王族としてでも王弟としてでもない、ただの一個人として。

 男としての私が。

 彼女を傍に置いておきたいだけ、なのだ。


「いなくなってくれるな……こんなにも唐突に、私の前から……」


 強要も無理強いもせぬつもりだった。

 ただどこの落としだねか判明した暁には、永久的に私の側仕えとして常に傍に置くか。それとも王家の血と能力の返還という習わしに従って、私の元に嫁がせ王弟妃とするか。二つに一つだとは思っていたし、私自身もそれを望んでいた。だから安心して傍においておけたというのに。


 こんな風に、何の前触れもなく消えてしまうなど。


「頼む、カリーナっ……」


 世界を閉じ込めたかのような不思議な色合いの、神秘的なその瞳を思い出しながら。

 私は執務室でただ一人、誰ともつかない何かに祈ることしか出来なかった。




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