第22話 今更過ぎる指摘

 結局数日経っても、忙しさは改善されないまま。殿下へのあーん、も……一切、改善されないまま。


 いやまぁ、殿下本人はいたって真面目に、ひたすら真剣に資料と向き合っているわけだから。仕事が忙しい中で、出来得る限り休憩をしようというその心意気は素敵だとは思うけれども。


 果たしてそれは、休憩と言えるんですかね…?


 もはやそれを口にすることも出来ずに、ただ開いた口にお菓子を運ぶだけの毎日。一応紅茶はリラックス効果のあるものを毎回選ぶようにはしているけれども。こんな無茶な働き方続けてたら、いつか殿下もセルジオ様も倒れてしまいそうで正直怖い。

 でもそんなこと、何一つ手伝うことのできない私が言えるわけがなくて。だからせめてセルジオ様にも何か差し入れをと思い、前に約束していたエビのゴーフルをさらに一口サイズにし直して、瓶詰にしてお渡ししておいた。あれなら執務室に置いておいて、小腹が空いた時につまんでもらえるから。


 とはいえ実は、一度提案してみたのだ。そんなに忙しいのならお茶の時間をほんのわずかにでも目を休めるために使ってみてはどうか、と。

 けれど即却下された。


「そんな時間があるのなら仕事を続けるのが殿下なので、カリーナ嬢が決まった時間に来てお茶の用意をしてくださった方が、ずっとましなのですよ」


 なんて。真剣な顔をしたセルジオ様に、若干血走った目で言われてしまったら。

 私は、頷くしかなかった。


 だから結局、いつも通りの時間に私はお茶を用意して。そして休憩とは名ばかりの時間が過ぎれば、いつも通りに執務室を後にする。


「……もっと何か、出来たらよかったのに…」


 お城の改革なんて、大掛かりな国の一大事に。平民の私なんかが出来ることなんて、当然ながら何一つとしてないけれど。しかも王弟殿下の執務内容なんて、貴族ですらそうそう目に触れることなんてできないんだろうし。

 それでもただお茶とお菓子を用意することしかできない自分が、なんだかすごく役立たずで不甲斐ない気がしていて。


 分かってる。たとえ何が出来たとしても、私に殿下やセルジオ様を手伝う資格なんてないんだって。むしろ何も知らないからこそ、執務室に入ることを許されているようなものなんだってことも、本当はちゃんと理解しているんだ。

 だからこれは、ただの私の自己満足の問題。

 私に与えられている仕事は結局、お茶くみ係でしかないのに。


「はぁ……」


 一人で勝手に陰鬱な気分になっていると。


「ちょっと、そこの小娘」


 後ろから女性の声には似合わない言葉が聞こえてきて。

 前にもそんな風に呼ばれたことがあったなとなんとなく思い出しながら、前方には誰も歩いていないことを確認して振り返る。


 そこに立っていたのは、数人の若い貴族女性だった。


 色とりどりの豪華なドレスを身にまとった彼女たちは、髪も綺麗に結い上げてしっかりとお化粧も施して。そして少しだけ、香水の甘ったるい匂いがした。


「っ…!し、失礼いたしました…」


 ワゴンを押しながら部屋に戻る最中だったので、道のど真ん中を歩いてしまっていた。きっと通るのに邪魔だったのだろうと判断して、急いで端に寄って頭を下げる。


 いけないいけない。考え事をしていたせいで、近づいてくる人の気配にすら気がついていなかった。ここは貴族がいるお城の中なのに。


 頭を下げながら彼女たちが通り過ぎるのを待ちつつ、一人反省をしていたのに。なぜか一向に、彼女たちは通り過ぎる気配がない。

 それどころか。


「お前みたいな平民の小娘が、どうしてこんなところにいるのかしらね」


 いつの間にか、彼女たちに取り囲まれていて。顔を上げる許可なんて出ていないので、私は彼女たちの足元あたりしか見えないけれど。大きく広がったスカートの裾で隠されたそこは、さながら人の壁ならぬ布の壁だった。もしくはスカートの壁。


「聞けば王弟殿下であらせられるアルフレッド様の側仕えになっているらしいじゃない?」

「まぁ、こんなマナーも知らないような平民が!?」

「城の中にいるのも汚らわしいというのに…」

「どうして身の程というものを弁えられないのかしら?」

「卑しい存在ですもの。それすら考える頭など持ち合わせていないのですわ」


 おほほと上品に笑っているけれど、結局それも含めてただの嫌味でしかなくて。

 あぁ、茶番か。と思ってしまった私は、冷めているのかもしれない。


 でもこんなこと、平民からしたらよくあることなのだ。貴族が気に入らなければ、はけ口は誰でもいい。ただそこにいたから、自分より弱い立場の存在だから、人だと思っていないから。理由なんてなんでもいい。ただお貴族様の言いたいように、やりたいようにやるだけ。平民はただ黙ってそれに耐えるしかない。


 殿下やセルジオ様は驚いていたけれど、正直こんなこと城から出てしまえば本当に日常茶飯事で。教会の孤児院にいた私でさえ、何か用事があって外に出た時には道端でよく見かけていた光景。貴族は馬車の中から、何が気に入らなかったのか分からないけれど通行人に土下座をさせていたり。酷い時には馬を叩く鞭でボロボロになるまで叩かれていたり。


 それでも誰も、助けようとも声をかけようともしなかった。


 だってみんな知っていたから。


 これは嵐のようなものだから、ただ過ぎ去るのを待つしかないことなんだ、って。


 だから今だって、そう。私は大人しく頭を下げ続けて、一言も何も話さずに。ただ彼女たちが満足して過ぎ去るのを待つだけ。

 むしろ言葉だけで、叩かれたり蹴られたりしていない分まだマシだと思う。この間の貴族の男性たちなんか、すぐに暴力に訴えようとしていたから。


「いいこと?お前のような小娘に殿下の側仕えなど分不相応にも程があるの」

「すぐにでも職を辞することね」

「どうせ既に顰蹙ひんしゅくをかっているのでしょうし」

「新しい側仕えも直見つかるわ」

「平民など、殿下のお側には必要ないわ」


 それぞれ順番があるのか、それとも分担しているのか。五人いるのは分かったけれど、どうして綺麗にそれぞれが被らずに言葉を発することが出来るのだろう?彼女たちの中にも序列のようなものがあるのだろうか?

 そんなどうでもいいことを考えつつ、ただやり過ごしていた私に。


「忠告はしたわ。この先どうなるかは、お前次第よ」


 そう言い捨てて、彼女たちは満足したのか去って行った。


「…………そんなこと、私が一番よく分かってる……」


 王弟殿下の側仕えには分不相応?最初から知ってた。だから断った。

 けれどなぜか、私は今ここにいる。


「私は、一時だとしても殿下自身に望まれてここにいる。だから、殿下からいらないと言われるまで……」


 そう。新しい側仕えを雇うから、お前はもういらないと言われてしまうその日まで。私は殿下の側仕えとして、お茶くみ係として、働き続けると決めているのだ。

 たとえ、誰に何を言われようとも。


 ただ……


「今更過ぎる指摘、だなぁ……」


 どこで私のことを知ったのかとか、なんで平民だってことを知っているのかとか、多少疑問には思ったけれど。相手は貴族なのだから、そんなこと私が考えたって答えが出るわけないし、時間の無駄だ。

 それよりも、まさかこんなに時間が経ってからそんな指摘をされることになるなんて思ってもみなくて。


「もっと、早く来るものだと思ってたからな…」


 予想外に何も起きなくて。

 というかむしろ、この廊下もそうだけれど誰とも会うことがなくて。

 どうせすぐに辞めさせられるだろうと、正直心のどこかで思っていたのに。それすら、なかったから。

 だから何か月もの間、毎日ただ楽しく過ごしてしまっていた。どんな凄い人の近くで働いているのかも、時折忘れてしまうくらいに。


「……私は所詮、平民だから…」


 王族にもお貴族様にも、逆らえない。偉い人に逆らって痛い目を見るなんて、そんなのただの愚か者のやることだから。

 お払い箱になるというのなら、それも仕方のないこと。その時が来たら、結局私はそう思って諦めるしかないのだ。


 ただでさえ何もできない自分の不甲斐なさに落ち込んでいたのに、そこにさらに現実を突きつけられた気がして。

 先ほど以上に陰鬱とした気持ちになりながら、ワゴンを押して自分の部屋へと戻るのだった。



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