第23話 女というのは怖い生き物だ

 あれから毎日のように、まるで図ったように同じ時間に同じ場所で彼女たちに会うようになった。ご丁寧にちゃんと仕事終わりに声をかけてくるので、先を急ぐこともない状態で。

 というか、実際それを知った上で待ち伏せのようなことをしているのだろう。


 …………貴族の女性って、暇なんだろうか…?


 いやでも、確かにイメージとしては、毎日刺繍をしたりお茶会をしたり商人を家に呼び寄せて買い物をしていたり、というものしかないのは確かだけれど。

 それ以前にやることは何もないんだろうか?そもそも彼女たちの言い分からして、たぶん王弟妃の地位でも狙っているんじゃないかと思ったんだけれど。それならそれで、殿下にアピールするなり何か役に立てるように勉強するなり、方法はあるはずだと思うんですよ。そんなことしている雰囲気は微塵も感じられないけれども。


 本当に、何がしたいのかよく分からない。ただ単に気に入らないだけなんだろうけど、時間は無限にあるわけじゃないんだからもっと有効に使えばいいのになと思うのは、私が平民だからだろうか?


「いい加減にしたらどうなの?」

「わたくしたちも暇ではないのよ?」


 いや、それならちゃんと忙しくしててくださいよ。実際他にやることもっとあるでしょう?


「城や殿下の品位が落ちたと思われたらどうしてくれるのかしら?」

「お前程度の命では償いきれないのよ?」

「それとも一人では城の外にすら行けないのかしら?」


 というかこれ、もはやただのいじめですよね?


 まぁ彼女たちにとって、平民わたしなんて取るに足らない存在だろうから。誰かがここを通ったとしても、咎められるなんて思ってもいないんだろう。実際貴族からしたら素通りして問題ない光景なんだろうし。


 あぁ、本当に……嫌になる…


 ただ最後の言葉。それは確かにそう。

 私はお城の中なんて何も知らないし、そもそも今自分がいる場所がどのあたりで、どこをどう行けば出られるのかも知らない。殿下にお茶会に誘われた時だって、部屋まで迎えに来てもらったから馬車の停まっている場所まで行けただけで。帰りだってただ案内役の人の後ろについて歩いていただけ。どこをどう歩いたのかなんて、覚えているわけがない。


 私が知っているのは、殿下の執務室と自分に与えられている部屋とその間の廊下。あとは何かあった時のためにと一応教えられて何度か行ったことのある厨房と、そこへ至る道のりだけ。


 今日も言うだけ言って満足したらしい彼女たちが遠ざかる音を聞きながら、ため息を吐きたいのをグッとこらえる。どうせ無駄なことなんだから、早く忘れてしまった方がいい。体力と違って精神力は回復しているかどうか分かりにくいから、こういう時は甘いものを食べて幸せな気分に浸って眠ってしまうのが一番。

 あぁでも、太らないように運動だけはしておかないと。どうせなら卵白を泡立ててメレンゲを作って、自分用に簡単なメレンゲクッキーでも作ってしまおうか。泡立てるのはかなり体力を使うし、運動と甘いものの両方を同時に得られるいい方法かもしれない。

 買うよりも自分で作ったほうが安い上に、色々そうやって試作を重ねる中で殿下にお出しするお菓子のアイディアも出て来たりする時があるから、実は余った食材とかで定期的に自分用の甘いお菓子を作っていたりもする。もちろんそれに関してはセルジオ様にも許可をいただいているし、問題はない。


 ちなみにそれを殿下の前で話したら、折角ならショコラティエから取り寄せればいいと言われたけれど。それは流石に、丁重にお断りしておいた。金額とか、怖くて考えたくないから。しかも私のお給金からとかじゃなく、殿下のポケットマネーから出すとか言い始めたから。そんなものもらえるわけがない。


 というか。殿下って王族ですよね?王弟殿下ですよね?なんでポケットマネーなんかあるんですかね?自分で稼いでるって感じの口ぶりだったんだけど…殿下、執務以外に何して稼いでいるんですか。いやむしろ、執務以外で仕事しないでくださいよ。ただでさえ忙しそうなのに。


 なんて会話を前にしたなぁなんてことを思い出しながら、メレンゲを泡立てていたその数日後のことだった。


「後任が決まったから出てお行きなさい」

「……え…?」


 突然、そう言われた。


「今度の殿下の側仕えは、由緒正しい家柄の公爵家のご令嬢に決まったのよ。お前とは正反対のね」

「明日には到着されるから、今すぐに出てお行きなさい?」

「心配しなくても、途中まではわたくしたちも一緒に行って差し上げるわ」

「城の中で迷わないように、ちゃんと出口までの案内人もつけてやるから。感謝なさい」


 いや、ちょっと、待ってよ……何で、そんなこと急に…しかも何の関係もないはずのあなた達から言われないといけないの…?


 そう思っても口には出せない私を、彼女たちは追いつめるように急かす。本当に、今すぐ出ていけということなんだろう。


「流石に身一つで出ていけなどと言うほど、殿下は冷たいお方ではないのよ?」

「お前にも必要な荷物があるでしょう?」

「迷わないように、わたくしたちがちゃーんと待っているから」

「ほら、急いで支度しなさい」

「お前の荷物なんかが置かれているままでは、後任の方の邪魔になってしまうじゃないの」


 当然とばかりにはやし立てる彼女たちの顔は、それはそれは楽しそうで、嬉しそうで。私が逆らえないことを分かってやっているあたり、本当に性格が悪いというかなんというか。


 女というのは、怖い生き物だ。


 今まで一度も思ったことはなかったけれど、まさに今ものすごく実感している。自分に都合が良くなると、集団になってどこまででも残酷になれるらしい。


「着替えは別室を用意してやるから、荷物だけ持って来なさい」

「いいこと?時間がないんだから最低限のものだけにしなさい」

「ほら早く。わたくしたちを待たせないで頂戴」


 特に過激な人なのか、それともせっかちなのか。開けた部屋の扉の中にまるで押し込むかのように、一人の令嬢に背中を思いっきり押される。


「っ…」


 ひ弱な貴族の女性とはいえ、予想もしていないところでそんなことをされれば流石に転びそうになって。でもそんな無様な姿は見せたくないから、その勢いのまま部屋の寝室に置いてある鞄を取りに走る。


「……なんで…殿下…………」


 ついさっきまで、忙しそうにはしていたけれど私の淹れた紅茶を飲んで、用意したお菓子も食べてくれていたのに。こんなにも急に、一言も、何も言わずに解雇だなんて。


「あんまりですよ、殿下……」


 せめて一言、殿下かセルジオ様から直接言われれば。気持ちの整理はすぐにはつかないかもしれないけれど、それでも素直に出ていけたのに。こんな風に、名前すら知らない令嬢たちに急き立てられるように、追い出されるように、なんて。


 それでも顔を上げた先でふと、机の上に置いているガラスペンが目に入って。


「っ……でん、かぁ……」


 殿下の側仕えの証のようなその色は、もう私が手にできるものではないとようやく悟る。


 机の中に大切に保管してあるお茶会へのお誘いの手紙も、保存庫の中に入っている殿下の好きなチーズのお菓子も。

 お茶会用にと贈られた服や靴も全て、もう私のものではない。


 何よりこの小さな鞄には、全てなど入りきらないから。


「何をグズグズしているの!!早くしなさい!!」


 聞こえてきた声に、泣きたくなるのを必死にこらえて。小さな鞄一つだけを胸に抱えて、私は部屋を後にする。


 もう踏み入れることのない場所を、振り返ることもなく。


 ただ彼女たちの後ろを大人しくついていくことしか、今の私にはできなかった。






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