第21話 甘いのは…

 今日のお菓子は、ほうれん草とサーモンのプチキッシュにしてみた。

 実はこのお菓子は、前に殿下にお渡ししたレシピ集に入れようかどうしようか最後まで悩んだものだった。というのも、キッシュ自体はどちらかというと食事に出てくることが多いイメージだからだ。けれどパイ生地やタルト生地で作っている以上、お茶の時間に出すのもおかしなことではなくて。そして何より、小さい型で作れば片手で食べられるサイズに出来るから。


 考えて考えて考え抜いて。結局、レシピ集には載せなかった。理由は簡単。私が殿下に、直接お茶菓子としてお出ししたかったから。

 それに貴族のお茶会に、わざわざプチキッシュなんて作らなくても普通の大きさのキッシュを作って切り分ければいい。そういう結論に達したからでもあった。


 殿下の甘いお菓子が苦手な理由の根本を知った私は、あれ以来一切甘いお菓子を作らなくなっていたけれど。だからこそこれをレシピ集に載せなくて良かったなと、レパートリーを一つ失わずに済んだことにも少なからず安堵していた。


 ただ、別の問題は浮上していたけれども。



「あ、の…殿下……」

「何だ?」

「お忙しいのは、重々承知していますが……休憩時間くらい、しっかり休んでいただけませんか…?」

「休んでいるではないか。目が文字を追っているだけだ」

「それは休んでいるとは言いませんよ…!?」


 最近は特に忙しいのか、休憩時間には大量の資料片手にお茶を飲んでいて。しかも本当に目が回りそうなほど忙しいのだろう。普段は休ませようとするセルジオ様まで、書類の整理やらあちらこちらに指示を出していたりと、あまりにも忙しそうにしている。


 だから、なのだろう。せめてお茶だけでも飲んで少しでもリラックスして下さるのなら、もうそれでいいです、なんて。セルジオ様らしくない言葉を聞いてしまって。それ以来ずっと、殿下はこんな調子だったりする。


 いや、それでもまだお茶の時間を削ろうとしないだけいいのかもしれない。

 いいのかも、しれないけれども…。


「あの…」

「あぁ。まだあるのだろう?もう一つ食べさせてくれ」


 当然のように、あーんと口を開けて待っている殿下は。一切私の方を見ることなく、ずっと紙の上の文字を追っているのに。片手で食べられるはずのお菓子は、頑なに自分の手で持とうとはしなかった。


 分かってる。分かってはいるんだ。紙に油がつかないようにするためだっていうのは、ちゃんと分かってはいるんだけれども…!!


 こ…この状況、おかしくないですかね…?


 なんで私が、王弟殿下にあーんなんて……。前は殿下の非常事態だったから仕方がなかったけれど、今はそういうことじゃないはずですよね…!?


 なのに……


「カリーナ?」

「あ、はい!ただいま!」


 催促するような声が、すぐ隣から聞こえてきて。食べさせるために同じソファの真隣に座っているので、いつもよりもずっと距離が近くてドキドキする。

 むしろこれ、緊張しない人いるんですかね?いるのならぜひお会いしてみたい。どんな豪胆な方なのか。

 そして何より、断れない自分が情けない。


 だって…だってせっかく殿下のために作ったお菓子なんだもの…!!美味しいうちに食べて欲しいから…!!


「うむ。やはり美味いな」

「あ、りがとうございます…」


 だからって、視線はこっちに一度も向けないくせにそんなとろけるような笑顔……ずるいと思います…。


 紙が汚れないから、紅茶はちゃんと自分でカップを持って飲んでくれるけれど。もはや忙しすぎて、セルジオ様はこっちを見ている暇もないくらいだけれど。

 それでも、ですよ。


 流石に、恥ずかしいんです…。


 だってこれ……私の感覚だと、恋人同士がやるようなことなのに…。

 そんな風に、私も別のことを考えていたのがいけなかったのかもしれない。


「ひゃっ…!?」

「んっ…あぁ、すまないっ…!」


 二つ目の最後の一口を殿下が口に含むのと同時に、目測を誤ったのか私の指まで咥えられてしまって。思わず私も驚いて声が出てしまった。

 流石の殿下も、危うく指まで噛んでしまうところだったと気づいたのだろう。少し焦ったように私の手を掴んで、まじまじと指を見ている。口はもぐもぐと動いているけれども。

 いや、呑み込まなければちゃんと喋れないだろうから、正しいといえば正しいんだけれど。


「あ、の…殿下…」

「……噛んではいないから、大丈夫だとは思うが…怪我はないか?」

「はい…大丈夫、です……」


 口の中のものを飲み込んだらしい殿下が、心配そうにそう聞いてきてくれる。

 実際すぐに引っ込めたので、問題はなかった。

 ただ指じゃなくて、違う部分が色々と大丈夫じゃないですけれども。主に心臓とか。


「そうか。良かった……。本当にすまなかった。次からはしっかりと気を付ける」


 え、いや。次はもう自分の手で食べる、とかじゃないんですか?ねぇ、殿下?


「危うくカリーナの指を傷つけるところだったな。私としたことが…」


 いや、あの…そういうことじゃ、なくて、ですね……。

 というか、その……。

 なんでちょっと目を伏せて、気落ちしている声で話しながら……私の手の甲を、親指でさすっているんですか……?

 ちょ、あの……くすぐったいっていうか…ちょっと、変な感じが……。

 そもそも手、なんで離してくれないんですか、殿下。


「どうした?カリーナ」

「っ…」


 ま、って……本当に、待ってくださいっ……。

 そんな、覗き込むように…そんな、心配そうに……甘い声で、囁かないでっ……!


「殿下?カリーナ嬢?どうかされましたか?」


 声を出すことも出来ないまま固まっていたら、異変に気付いたらしいセルジオ様が声をかけてくれて。

 そこでようやく、私は少しだけこの状況を打開できるのではないかと期待する。


「いや、私が少し失敗してしまってな。危うくカリーナの指を傷つけるところだったのだ」

「おや。殿下にしては珍しいですね。やはりお疲れですか?」

「多少はな。だがまだ判断が鈍るほどではないはずなのだが…」

「いくつものことを同時進行にされているからではありませんか?さしもの殿下も、一つのことに集中できなくてはどれかが疎かになるでしょうし」

「かもしれないな」


 いやいや、待ってそこの主従…!!なんでこの状況下で普通に会話してるの!?おかしいでしょう!!

 第一セルジオ様は、今の私と殿下の状況を見ておかしいとか思わないんですか!?


 ……あ、思わないのか、そっか。だって殿下が私にケガをさせそうだったって、今しがた言ったばかりだもんね。それなら自然に見えるか、そっか。


 …………って、いやいや…!!なんでそれで私も納得しちゃうかな!?


「カリーナの菓子と茶のおかげで、大分疲れは癒されてはいるが。気を付けねばな」

「そうしてください。あ、殿下。この急ぎの書類だけ、届けてきてしまいますね。帰りに先ほど頼まれていた資料も探してまいりますので」

「あぁ、頼んだぞ」

「承知いたしました」


 え、待って。セルジオ様、なんで今いなくなろうとしてるの…?

 いつもだったら誰かにお願いしているじゃないですか…!!待ってちょっと…!!いなくならないで…!!こんな状態で、殿下と二人きりにしないでぇ…!!


「では、行ってまいります」


 私の心の叫びなど当然聞こえていないセルジオ様は、本当に急いでいるのだろうけれど。こちらを振り返ることもなく、さも当然とばかりに数枚の書類だけを持って部屋を出ていってしまった。


 殿下と私を、本当に二人きりにして。


「忙しなくて申し訳ないが、少し立て込んでいるのだ。しばらくはこの状況が続きそうなので、普段の茶菓子は簡単に食べられそうなものをカリーナが食べさせてくれ」

「……え…?まだ、続きそうなんですか…?」

「あぁ。城の中の改革を行う予定でいるからな。どうしても時間がかかる」


 どんな改革をしようとしているのかは分からないけれど。それよりも私にとって重要なのは、だ。


「わ、私が殿下に…手ずからずっと、ですか…?」


 そこだった。


 いつ終わるかも分からないこの状況の中、いつまで続くか分からないこのあーん、なんて。

 もう正直、誰もいない今ですら恥ずかしくて仕方がないのに…!!


「そうだ。駄目か?」

「ダメ、というか…その……」

「私はカリーナに食べさせてもらいたいのだ」

「っ…!?」


 ちょっと、ほんと、待ってください……。殿下はどうしてそういうこと、平気で言えるんですか……。


「カリーナ…」

「んっ…」


 待って待って…!!本当に待ってぇ…!!

 なんで耳元で私の名前を囁くの!?なんでそんな甘い声で…!!


「…っ!?」

「カリーナ。君はただ、頷くだけでいいのだ」


 や、めて…………そんな、あまい、瞳で……。甘い、声で……。

 言わないでよ……殿下……


「……は…い…」

「いい子だ」


 あぁ、ダメだ。

 お菓子は全然、甘くないはずなのに。


 甘いのは……殿下の方だった。


 甘い甘い殿下の声に、瞳に、笑顔に。

 私はどうやったって、逆らえるはずがなかったのだから。





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