第20話 好きになってはいけない人
「媚薬、ですか…?」
「えぇ。犯人は捕まえましたし、既に処罰も済んでいます。ただ貴女は唯一被害に遭われたので、お伝えしておこうと思いまして」
「安心していい。既に手は打ってあるので、二度とあのようなことは起きぬ」
いえいえ、それよりも…。あの時妙に二人とも落ち着いていたのは、あれが媚薬だと知っていたからなのか。
というか、ですね。
「媚薬って、あんなに甘ったるい匂いがするものなんですか?」
しかも私、結局あの後部屋に戻ってからもなんだかすっきりとしなくて。結局夕食すら取らずに、寝てしまったんですが。
「抵抗なく私に飲ませようとしているようでな。どうしてか示し合わせたように甘い香りのものばかり使われるのだ」
「ですがそのせいでというべきか、おかげでというべきか。媚薬はすぐに分かるようになってしまったんですよ。私も、殿下も」
「カリーナが倒れたのは、おそらく体に耐性が一切ないからだろうな。摂取したわけではないので、本来の効果は発揮されなかったようだが」
「されてたら困ります…!!」
「だろうな。私も困る」
でしょうね!!
だってただの側仕えが、平民が。自分の執務室で急に、その……ねぇ…?
「とはいえ今度は別の方法で仕掛けてくる可能性もありますから。今後怪しいと思った際には、自分で確認しようとせずにまずは私に知らせてください」
「は、はい。分かりました」
今度とか、あるのか…。…………いや、あるんだろうな。だって"私には"耐性がないということは。二人にはあるっていうことだろうから。
媚薬への耐性がついてしまうほど、昔からずっと狙われていたのか。
それに。
だから殿下は、甘いものが得意じゃなかったんだ。
今更ながらその理由が分かって、なんだか少し悲しくなってしまう。
だってそれは、大人になったからじゃない。そんな一般的な理由じゃなくて。媚薬の匂いを連想させるからとか、きっとそういう特殊な理由。王弟殿下のお妃様になりたいからとか、王族にお近づきになりたいからとか、そういう思惑があるんだろうけれど。そんなこと、なんて言ったら怒られそうだけれど。
でも。
ただそれだけのことのために、殿下の味の好みまで変えてしまったかもしれないなんて。
なんだか悲しくて、悔しくて。
本当は紅茶に合わせて楽しめる甘いお菓子はたくさんあるのに。今日作ってきたチーズとベーコンのマフィンだって、本当は甘いプレーンマフィンやチョコレートマフィン、紅茶マフィンとたくさんのバリエーションが楽しめるはずのものなのに。そんな誰かの身勝手な理由で、殿下はそれを楽しめなくなってしまったわけだから。
私に何が出来るわけでもない。けれどただ、その事実を許せないと思った。
「だがどんな理由にせよ、カリーナを巻き込んでしまったことは事実だ。すまなかった」
「え!?いや…!やめてください殿下…!!前にも言いましたけれど、私に頭など下げないで下さい…!!特にこんな、殿下にとっても不可抗力なことで…!!」
「そういうわけにもいかぬ。……が。流石に私も前回のことで学んだ。きっと素直に謝罪は受け取ってはくれぬだろうとな」
「いやいや!そういうわけじゃないですよ!?」
「だが私が頭を下げるのは――」
「だからダメですってば!!王弟殿下が平民に頭を下げるとか、どう考えてもダメじゃないですか!!」
「……では、私個人としてであればどうだ?」
「どうだ?じゃないです!とにかくダメったらダメです!!」
そもそも身分の差を考えて下さいっていうことを、私は言いたいわけでしてね!?殿下個人だとしても王族じゃないですか!!王族が平民に頭を下げるのもなしですよ!!普通に考えて!!
「やはり、か。まぁ概ね予想通りだが…本当に、用意しておいて良かったな」
「……用意…?」
何だろうか?一瞬聞いてはいけない単語を聞いたような気がして。
それなのに目の前の殿下は、さも当然のように。
「セルジオ」
「はい。こちらに」
後ろを振り返ることもなく声をかけて、しかも呼ばれたセルジオ様本人も当然のようにテーブルの上に何か箱のようなものを置くから。
この主従がもはや以心伝心と言えるほど分かり合っているのは知っているけれど、どうして名前を呼ばれただけで殿下の意図したところがセルジオ様には分かるのか。私には一生かかっても理解できないような気がする。
「これを、カリーナに」
「…………はい……?」
妙に嫌な予感がして、ついつい現実逃避をしようとしていたのに。それを遮るように、それはそれは素敵な笑顔で目の前の美形……もとい、王弟殿下はいらっしゃるから。
無視することなんて、出来るはずがなかった。
「何がいいかと考えたのだがな。詫びの品として一番に思いついたのが、これだったのだ」
「……いや、あの、殿下…」
「開けて中身を見てみてはくれぬか?気に入らぬようなら、また別のものを用意させるが…」
「い、今すぐ開けますっ…!!」
冗談じゃない…!!
何が何でもこの王弟殿下は私に品物を渡すつもりでいる…!!
それなら、気に入ったと言って今受け取っておくのが一番いい。そう思って、急いで箱を開けた私の目に飛び込んできたのは……
「ぅっ、わぁ~~…………綺麗……」
涼やかな色をした、細かな彫刻の施された半透明の細長いそれ。片方の先が尖っている所からして、ペンなのだろうけれど。
「ガラスペンというものだ。東方の国から伝わってきたものでな、まだ我が国では職人が少なくそこまで普及はしていないが、この見た目と書き心地はなかなかに良い」
「専用のペンホルダーとインクもご用意してありますので、すぐにでもお使いいただけますよ」
「前にレシピ集を書いてくれただろう?またあれのように頼むこともあるかもしれぬ。その時はこれで書いてくれるか?」
「え、そんな……こんな素敵なもの……」
「カリーナのために用意したのだ。受け取ってもらえぬのであれば、残念だが破棄するしか…」
「そんな!?ダメです!!こんなに綺麗なのに…!!」
「では、受け取ってくれるか?」
私には過ぎるほどのものだと分かっているのに。もはや断るという選択肢は用意されていない上に、気に入ってしまっている自分がいるのも確かだった。
何より、嬉しくて。
「いい、のですか…?こんなに素敵なものを、私なんかが頂いてしまって…」
「当然だ。私の側仕えとしてよく働いてくれている上に、いち早く異変にも気付いたのだ。本来であれば、もっと色々なものを用意しても良い位なのだが…」
「い、いいえ!!これで十分です!!」
それに色々もらったところで、なんだか私には使い道がなさそうな気がするし。
「そうか?」
「はい!!」
部屋に備え付けのペンはあったけれど、それは装飾も何もないごく一般的なものだったから。
とはいえそれも結構書きやすくて、見た目は今まで使っていたものとそんなに変わらないのに、流石お城で支給される品物だなと最初のころ感心したのを覚えている。
「ありがとうございます、殿下。大事に使わせてもらいますね」
嬉しくて嬉しくて。思わず箱ごと抱きしめてしまいたい気持ちを必死に抑える。
だってまさか、こんなに綺麗なものをもらえるなんて思ってもいなかったから。
それなのに。
「喜んでくれたようで何よりだ。あぁ、ガラスペンの色は私の瞳と同じ色を選んである」
「え…?」
「この瞳と同じ色を持つのは、この国では陛下だけだからな。その色を使えるのも贈ることが出来るのも王族だけだ。そういう意味では、一目で使用者が誰の関係者か分かるようになっている。既に正妃を迎えている陛下とは違い、私は婚約者もおらぬからな。まだ私の色は自由に贈ることが出来るのだ」
その言い方はまるで、お妃様がいたり婚約者がいたりしたら、その人にしか贈れない特別なものだと言われているようで。
いや、実際そうなんだろう。本当は、そうそうもらえるような色ではないはずで。
…………どう、しよう……嬉しい……
今までにないほどの幸福感に、胸の中が満たされていく感覚。泣きたくなるほどの、多幸感。
あぁ、どうしよう……どうしよう、私……殿下のこと、が……
そこまで考えて、ハッとする。
違う。ダメだ。考えちゃいけない。
だって目の前のこの人は、この国の王弟殿下だから。王族で。今、国の中で二番目に偉い人。
私みたいな平民が、好きになってはいけない人、だ。
でも……
「あ、りがとう、ございます…。すごく……すごく、嬉しいですっ…」
それは、本当だから。感謝だけは、伝えておきたくて。
分かってる。特別な意味なんてない。ただ本当に、倒れてしまったお詫びと。殿下の甘いものに対する苦手意識を作り上げた媚薬という存在に、いち早く気づいたということへの褒美。それだけだと、分かっている。
分かっては、いても。
喜んでしまっているこの心の内だけは、どうしてもなかったことにはできないから。せめて、その奥にある浅ましい心にだけは気づかれないように。ハッキリと自覚なんてしないように。
違う、そんなことはない、と。
私はそういう特別な意味で、殿下のことを好きなわけじゃないのだ、と。
自分の心に言い聞かせ続けるのだった。
―――ちょっとしたあとがき―――
ガラスペンは、実は1900年代に日本で誕生した比較的新しいものではあるのですが……。
異世界なので、その辺りのことは大目に見てくださいっ…!!(脱兎
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