第19話 甘い罠 -王弟殿下視点-

 口に出してはこなかった。

 それが知られてしまえば、問題が起きる可能性があったから。


 だが。


 私は基本的に、甘いものが苦手だ。



「まさかこんな形でとは…」

「どこの誰だか知らぬが、必ず見つけ出して断罪させねばな」


 テーブルの上に置かれているのは、いつもの紅茶でも茶菓子でもなく。知らぬ銘柄の茶葉の缶一つのみ。

 二人して睨みつけているそれは、先ほどの甘すぎる香りが何であるのかを嫌というほど主張していて。


「前回の視察の件といい、また増えてきそうな予感がしますね」

「今後は食事の際も、より一層気をつけねばな」

「しばらくは甘い香りのものは控えさせましょうか」

「そうしてくれ。少なくとも出処が分かるまでは、な」


 物心ついたときには既に王弟となっていたこの身は、幼い頃からこういったことに晒されてきた。


 毒殺ではなく、誘惑。

 劇薬ではなく、媚薬。


 それが、私の日常だったのだ。


「それにしても……まさか最初に見つけるのがカリーナ嬢だとは、相手も予想していなかったでしょうね」

「だから紛れ込ませていたのだろうな」

「しかも香りだけであんな風に倒れられてしまうとは…」


 あの強すぎる甘い香りに酔っただけだろうと、先ほどまでカリーナを診察していた侍医は言っていたが。


 正直、肝が冷えた。

 私に向けられた甘い罠が、カリーナに牙を向けるなど思ってもみなくて。


 これだから、甘い香りは嫌いなのだ。


「大事ないようだから良かったが……」

「ですが殿下、本当によろしかったのですか?」

「それはカリーナを仮眠室に入れたことか?それとも侍医に何を聞かれても、何でもないと答えろと指示したことか?」

「そのどちらも、です」


 分かり切っている事だろうにわざわざ聞いてくるのは、確認のためなのか。

 だがどちらにせよ、私にとってどちらも問題になるようなことではない。


「カリーナに関しては、先ほども言った通りだ。あの状態のままここから出すわけにもいかないだろう」

「ですが万が一知られた場合は…」

「その時は漏らしたのはお前か侍医のどちらかだからな。最悪二人とも処分すればいい話だ。違うか?」


 無慈悲かもしれない。

 だが私の傍に置くというのは、どんな秘密であれ漏らさないというのが絶対条件なのだ。

 そしてそれに当てはまるからこそ、セルジオはこうして側近として常に傍にいるし、侍医も呼びつけて構わないと結論付けた。


「その通りですが……」

「そして二人とも、一切誰かにそれを話すことはないだろう?それならば何を心配する必要がある?」

「……殿下のその信頼を裏切らぬよう、これからも精進いたします」

「うむ」


 そう。セルジオはそう答えるだけで良い。


 そもそもにして、そんなことを気にする必要などないのだ。たとえ目の前で倒れられたとしても、誰彼構わず入れようなどとは思わないのだから。

 それだけカリーナを信頼している証だと、そう思っておいてくれればそれで良い。


「しかし…」

「侍医を呼びつけたことは、おそらく既に広まっているだろう。ならばそれを逆手に取って利用すればいいのだ。必ず、何かしら次の行動を起こすはずだからな」

「殿下が、用意した媚薬に侵されたと…そう錯覚させるために?」

「そうだ。だからこそ、侍医の返答は曖昧でなければならない。それに陛下のところへ使いをやっただろう?あれも勘違いを引き起こす要因の一つになる」


 まるでセルジオが、焦って陛下に報告させたように見えるように。あえてわざと急がせた。

 確かに緊急事態ではあるが、おそらく相手は陛下を狙うことはしてこないだろう。陛下には既に、妃がいるのだから。


 確かに正妃を差し置いて側妃をという声もなかったわけではない。だがしかし、それは子を成す時間すらないほどに陛下が仕事に忙殺されていたからであって。実際時間さえできれば、今までの数年は何だったのかと思うほどあっけなく、正妃は一人目の子を懐妊した。それが答えだろう。


 とはいえ兄上の性格上、側妃はまず迎える気はないだろうなとは思っていたけれども。


 第一周りも、側妃だの言い出すくらいならば少しぐらい仕事の量を減らすために何かしようとは思わなかったのか。自分たちは今まで通りに楽をしておいて、勝手なことばかりを言う貴族の多いこと。

 もちろんそこには自分の娘をという、分かりやすい打算も含まれていることは知っている。だがそんな者達など必要ないと、私のを使って才能のない者達から切り捨ててきたが。

 おかげで今は静かになって、平和そのものだったというのに。


「やはり殿下に婚約者一人存在しないというのは、どうしても期待をさせてしまうのでしょうか?」

「勝手な期待を押し付けられても困るな。そもそも選ばれない理由をどうして誰一人考えようとしないのか、理解に苦しむ」


 才能一つ持たぬまま、なぜ王弟妃になれるなど夢を見るのか。それともわざと気が付かないふりをして、娘たちに悪知恵を吹き込んでいるのか。

 いずれにせよ、このまま見過ごすわけにはいかぬことは事実。


「そんなことよりもまずは、事の経緯を調べることの方が先だ。あまり無理はさせたくないが、カリーナが目覚めたら話を聞いてみるか」

「そうですね。それと、冷たい果実水をお持ちしておきます」

「そうだな」


 不幸中の幸いは、カリーナを疑う必要がないことだろうか。

 普通であれば一番に疑われるはずの人間が、今回は一番の功労者となったのだから。


 とはいえ倒れられては、嬉しくもなんともないが。




 結局目を覚ましたカリーナからは有力な情報は得られなかったが、厨房と侍従の間に第三者が関わっていたことが発覚して。そこから犯人特定までは早かった。

 だが、そんなことよりも。


「すみません。私のせいで、折角の殿下の休憩時間を…」

「いや。むしろすぐにカリーナが気付いてくれたおかげで、私は何ともなかったのだ」

「ですが、その……」


 気落ちした様子のカリーナは、ワゴンに乗ったままの菓子を見て肩を落とす。

 実際当日に気付いてくれたおかげで、カリーナが目覚めるまでに概要はなんとなく掴めていたのだ。ある意味、とても優秀な側仕えだというのに。

 彼女の気持ちは、晴れることはなさそうで。


「どうしたのだ?」

「……グジェールが…殿下にお出しできる状態ではなくなってしまったので、また後日作り直して……あぁ!?」


 どうやらそのまま下げるつもりでいたらしいその言葉に、私は急いでワゴンの上の皿から一つ摘まんで口の中に入れる。


 うむ、美味い。


 それに普段とは違う形で頭を使った分、食の癒しが今は殊更嬉しいものだ。


「問題などなさそうだが?」

「いえ、だって、その…!しぼんで…!!」

「これはこれでしっとりとしていていいものだぞ?ほら」


 もう一つ摘まんで、今度はカリーナの口の中に放り込む。

 その際、少しだけその淡い色の唇に指が当たって。ドキリと、胸が跳ねる。


「んっ…。…………おいしい、ですけど……」


 それでも本人としては納得がいかないらしい。


「殿下にお出しするお菓子は、いつも召し上がって頂く時が一番美味しくなるように時間を計算して作っているんです。なのに…」

「ではまた作ってくれるのを楽しみにしている。だからそう気を落とすな。私はこれも好きだしな」


 それを証明するかのように、また一つ口の中に入れてその味を楽しむ。チーズのコクと塩気が、何とも言えない味わいで癖になりそうだ。

 それにこれならばワインにも合いそうな味をしているので、今度年代物を兄上と開けて楽しむのもいいかもしれない。


 そんなことを考えていたのだが、結局最後までカリーナの気分が晴れる気配もないまま。あまり無理をさせるのも良くないと思い、念のためセルジオに部屋まで送らせた。


「自分の体の心配より、菓子の心配など…カリーナは時々抜けているとしか思えんな」


 誰もいないのをいいことに、独り言を呟きながらもう一つ摘まもうとして。

 ふと、指先に目が留まる。


 あの淡い、柔らかい唇に触れた、それ。


 まだ温もりすら思い出せるほどに、つい先ほどのあれは強烈に目に焼き付いていて。

 思わずそこに自分の唇を寄せたくなってしまって、慌てて手を握る。


「何を、考えているのだ……」


 それでもその光景は依然として消えないまま、あの柔らかくてあたたかい感触はすぐに思い出せてしまって。


 果たして甘い罠は紅茶の香りか、それともあの柔らかさか。



 甘いものは、苦手だ。

 媚薬の香りを思い出させるから。


 けれど。


 こんなにも鮮烈に残る彼女の全てが、甘い罠なのだとしたら。

 私はきっと、もう抜け出せないのだろう。


 その甘さに体の髄どころか、心まで溺れ切ってしまっているのだから。



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