第18話 いつもと違う茶葉

 いつも通りの時間、いつも通りワゴンを押しながら王弟殿下の執務室へと向かう。

 今日のお菓子はグジェール。前にシスターが頂き物として振舞ってくれたもので、甘くないチーズの一口サイズのシュークリームみたいなもの。

 最近はこういうものにも挑戦していて、配分や味の調整が上手くいったものから出すようにしている。


 今回のグジェールは、本当は味に飽きないように生ハムとかサーモンとかアボカドとか、そういうものを中に詰めたり添えたりする方がいいみたいだけれど。そうすると完全にオードブルになってしまうので、今回はやめておいた。お茶菓子だし、そんなに数出すわけでもないし。

 あ、でも。ワインにも合うだろうから、さり気なくそういう提案をしてみてもいいかもしれない。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です、カリーナ殿」

「今セルジオ様をお呼びしますね」

「はい、お願いいたします」


 もう顔見知りの護衛のお二人との会話も慣れたもので、数言で全てが事足りるようになっていた。


「殿下、お時間ですよ」

「あぁ。残り一枚だから、これにだけ目を通しておきたい。すぐに終わるから用意だけは始めておいてくれ」

「承知いたしました」


 こういうことも慣れっこで。それに殿下にとって資料一枚読む程度なら本当に時間がかからないみたいで、いつも本当にすぐ終わっているから。私はそれを疑うことなく、お茶の準備に取り掛かれる。

 今日のお菓子に合わせた茶葉はどれにしようかなと、埃がつかないようにとかけられていた白い布を取って。


 そこでふと、なんだか違和感を覚えた。


「あれ…?」


 いつも見ている光景。

 なのに、どこかが違う。


「カリーナ嬢?どうかしましたか?」

「あ、いえ…」


 ポットにカップにソーサーに、いつも通りのものがいつも通りの個数でそこにはあって。

 私が乗せてきたお菓子も、当然ながらそのまま。数も減っていない。

 じゃあ一体何だろうと、首をひねったところで。


「あ……」


 紅茶の缶が、一つ多いことに気づく。


 見た目は全て一緒で、ラベルだけが違うそれ。

 けれど毎日のように見ているから、どんな茶葉が用意されているのかは知っていて。


「これ……」


 だからこそ、気づいた。

 普段用意されていない、見たこともない銘柄の茶葉の缶が一つ、混じっていたことに。


 一般的な紅茶は、その茶葉の種類が書かれているものだけれど。それだけは聞いたこともない"アフロディジアコ"という銘柄だけが書かれていた。

 不思議に思ってふたを開けて、その香りを嗅いでみる。どんな香りの紅茶なのかも分からないまま、殿下にお出しするわけにはいかないから。それに、今日のお菓子に合うかどうかも確かめたいし。


 なのに、次の瞬間。


「ぁ……」


 漂ってきた甘ったるい香りに、一瞬眩暈のようなものを感じて。

 ふらりと、足元がふらついた。


「カリーナ!?」

「カリーナ嬢!!」


 茶葉を零すわけにはいかないと、慌ててふたを閉じたけれど。そちらにばかり気を取られていたせいか、そのまま床に座り込みそうになってしまう。

 けれど結局、そんなことにはならないまま。腰に回されている力強い腕の感覚に、何も考えずにその主を見上げて。

 淡い色の瞳が、心配そうにこちらを覗き込んでいることに気づく。


「でん、か……」

「っ…。どうした?どこか体の具合が悪いのか?」

「い、え……ただ、なんだか……力が……」


 頭は少しだけボーっとするけれど、それ以外は正常に回っている。口もちゃんと動く。

 けれど、なぜか。

 足腰にだけ、力が入らない。


「セルジオ様……」


 だからと言って、流石に紅茶の缶を抱えたままというわけにもいかなくて。何とか動かせる腕を伸ばして、それを差し出す。


「これは……見たことのない銘柄ですね…」


 意図を察してくれたセルジオ様が、私の手から缶を受け取ってラベルを確認する。落とされた小さな声は、どこか緊張感を含んでいるもので。しかもどうやら言い方からして、セルジオ様が用意した茶葉というわけでもなさそうだった。


「ひとまずカリーナを休ませねば。抱き上げるぞ?」

「…え?あ、いえ、殿下…」


 止める間も、なかった。

 宣言してすぐに行動に移していたのだろう。視界が急に変わって、ほんのわずかに揺れたと思った次の瞬間には。なぜか私は沈むソファに体を預けて座らされていて。


「背を預けていれば大丈夫か?座っていることがつらいようなら、そのまま横になってしまっても良い」

「そ、そういうわけにはっ…」

「いっそ侍医を呼ぶか?」


 待ってください殿下…!!なんだかすごい、大事おおごとになってしまいそうな予感が…!!


「……殿下…」

「どうした、セルジオ」

「どうやらカリーナ嬢は、これの香りにやられてしまったようでして…」

「香り?茶葉の?」


 言いながらセルジオ様の持っている茶葉の缶に、殿下は顔を近づけていて。私ですら甘ったるいと感じた匂いだったから、きっと殿下にとっては相当嫌なものだろうと思って止めようと思ったのだけれど。

 なんだか徐々に力が入らなくなっている気がして、先ほどは持ち上げられていたはずの腕すら上がらなくなっていた。


「これはっ…!!」

「どうやら、やられたようです」


 一瞬だけ驚愕の表情を見せた殿下は、次の瞬間には険しい顔つきをしていて。セルジオ様も、同じような表情をしていた。

 でも私は何がなんだか分からないまま、何もできずに。ついには閉じてしまいそうになっている瞼を必死に持ち上げていて。


「…………セルジオ、侍医を呼べ」

「よろしいのですか?」

「あぁ。その方が、相手も勘違いをしてくれるだろう。それと至急陛下に使いを。無いとは思うが、あちらも警戒してもらわねば」

「承知いたしました」


 なんだか色々と話が進んでいるみたいだけれど、どうしてそうなっているのかが私には理解できない。

 と、いうよりも。

 もはや二人の会話が頭に入って来ていないような気さえして。


 おかしい。

 睡眠もたっぷりとっているし、疲れだって何もないはずなのに。

 まるで体は疲れ切って、眠ってしまいたい時のようなだるさを訴えていて。


「カリーナ、眠いのなら無理をせずとも良い。すぐに侍医も来るはずだ。仮眠室でしばらく休んでいろ」

「で…ん、か……」

「よろしいのですか?仮眠室を女性が使ったと知られれば、あらぬ噂を立てられますよ?」

「この状態のカリーナを部屋から出す方が、おかしな噂が立つだろう?第一、早く休ませてやらねば。耐性のないカリーナは、眠ってしまうのが一番いい」


 どうやら二人は、私がこうなった原因を分かっているようだったけれど。私自身はといえば、もう瞼を持ち上げていることすらつらくて。

 それでもまた感じた浮遊感に、先ほどと同じように殿下に抱き上げられたのだと分かってしまう。


 そもそも奥に続く扉があったのは知っていたけれど。そこが仮眠室だということも、以前の会話でなんとなく理解してはいたけれど。

 まさか自分がそこを使う日が来るなんて、思ってもみなかったから。


 というか、足を踏み入れることすらないと思っていた。


 だって必要ないでしょう?たとえ殿下がそこで眠っていたとしても、私はただのお茶くみ係。起こすのは私の仕事じゃない。たぶんその時は、セルジオ様が起こしに行くはずだろうから。


 だからすごく、申し訳なくて。

 しかも殿下に運ばれているというのが、さらに申し訳なさを倍増させる。


「すみ、ませ……」

「いい。今は何も考えずに、ただ眠ってしまえ」

「は、い…」


 いつもと違う茶葉。あれがきっと原因だったんだろうとは思う。

 だってまだお湯を注いだわけでもなく開いてもいない茶葉が、あんなにも強い香りを放っていること自体おかしい気がするから。


 でもきっと、私の知らないところでそれは解決するんだろう。そもそも私が出来ることなんて、一つもないのだから。



 だから今は、殿下に言われた通り。


 強い眠気に誘われるまま、私は意識を手放した。





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