第16話 王弟殿下の私生活

「もう下がって良い」

「はい。失礼いたします」


 たったそれだけの殿下の言葉で、女官の女性はもう一度恭しく頭を下げたかと思うと。静かに扉を閉めて、部屋から出て行ってしまった。


 ……え…?ちょ、待ってください…!!殿下の私室で、私と殿下二人きりですか…!?

 いや、確かに非公式だけれども…!!私普段は側仕えですけれども…!!

 いいの…!?それって許されることなの…!?


「カリーナ?どうした?」

「あ、いえ。なんで、もぉっ!?!?」


 何でもないです、と答えようとしたのに。

 最後まで言い切る前に、白くてふわふわした何かに目の前まで迫られていて。そのまま飛び掛かられたのか重みと勢いに耐えきれずに、私は床に倒れ込んでしまった。


「きゃっ…!?わっ!あはは!くすぐった…!!」

「こら、ダニエル!女性にいきなり飛び掛かるとは何事だ!」

「わふっ…!」


 どうやら、白いふわふわした何かは、殿下の飼い犬のようで。注意されてすぐにどいてくれたけれども。のしかかられた感じからして、結構大きな犬だとは思った。


「すまないカリーナ。怪我はないか?」

「あ、はい。大丈夫です」


 差し出された殿下の手を素直に取って、そのまま立ち上がる。


 ……あれ…?私今日、殿下から贈られたワンピーススタイルの服装なんですけど…。大丈夫だった?スカートめくれてなかった?


 二枚重ねになっているとはいえ、結構薄い生地だから心配だったけれど。さりげなく見下ろした自分の足元は、どうやら無事隠されていたようだった。よかった。

 その向けた視線のすぐそばに、笑っているように見える口元と長くてふわふわの白い毛を纏った大きな犬。この子がさっき飛び掛かってきた、殿下にダニエルと呼ばれていた飼い犬なんだろう。


「ダニエル、彼女は私とは違う。急に飛び掛かられても対処ができないまま、下手をすれば怪我をする可能性もあるのだ。気をつけなさい」

「わぅ…くぅ~ん…」


 まるで言われていることが分かっているかのように、ダニエルと呼ばれた子がそのモフモフの尻尾をだらんと下げる。怒られているということは確実に分かっているあたり、なんて賢い子なんだろうと思わずにはいられなかった。


「あの…殿下……」

「ん?どうした?」

「さ、触ってもいいですか…?」


 真っ白なモフモフを目の前にして、つい欲求が先に来てしまって。笑ってるみたいな口元も、手入れの行き届いているのであろう毛並みも、すごく可愛くて触ってみたくて…!!

 ダニエルっていうくらいだから、きっとオスなんだろうけど。可愛いことに変わりはないから。


「……ダニエル、大人しくしていられるか?」

「わふっ!」


 当然のように返事が返ってきているけれど、それは通じているからなのかそれとも主人に話しかけられて嬉しかったからなのか。

 少なくとも嬉しいことだけは確実だと思う。尻尾、ものすごい勢いで振られてるから。


「カリーナ、大丈夫だ」

「ありがとうございます…!!じゃあ、失礼します…」

「わふぅ~…」


 人の言葉を理解しているようなので、一応本人……本犬?にも声をかけてから、そのモフモフを堪能させてもらう。

 ふわふわもこもこの毛は、孤児院においてあったぬいぐるみよりも手触りがよくて。動物特有のあたたかさもあいまって、思わずギューッと抱きしめたくなってしまうほどだった。


「気持ちいい…」


 一切引っかかることなく指の間をすり抜けていくのに、毛が抜けるようなこともない。

 当然と言えば当然なんだけれど、本当にしっかりと手入れされているんだろう。王弟殿下の愛犬なんだから、手を抜かれるようなこともないだろうし。


「くぅ~ん」

「わっ…あはは、くすぐったいよ」


 笑っているように見える顔を、私の顔にすり寄せてくる。頬や首に柔らかい毛が当たって、それが少しだけくすぐったいけれど嬉しい。

 そんな風に、殿下の愛犬と戯れていたら。


「失礼いたします。殿下、準備が整いましてございます」

「あぁ、運び込んでくれ」

「承知いたしました」


 扉の外から聞こえてきたのは、今度は男性の声。

 考えてみれば殿下は男性なんだから、本来宮殿の中でお世話をするのは男性の方が多いはず。そう考えると先ほど女性に案内されてきたのは、もしかしたら私のために殿下がわざわざ女官を選んでくれていたのかもしれない。何せ殿下は、そういうところには本当によく気が付く人だから。

 そんなことを考えている間に運び込まれてきたワゴンから、広い部屋の中にあったテーブルの上に次々と乗せられていく何か。


 ……あれ…?私、こういう光景、普段から知っているような気が…?


「あの、殿下……?」

「何のために今日ここに来たのか、ダニエルに夢中になって忘れていただろう?」

「うっ…」


 そうだった。今日は殿下にお願いされたレシピを届けるのと同時に、非公式なお茶会にお呼ばれしたから宮殿の、しかも殿下の私室にまで来ていたわけで。

 決して、殿下の愛犬と戯れるためではなかった。


 あと、殿下が犬を飼っていることを初めて知った。

 白い大きな犬、なかなかにお似合いですね。


「まぁ、カリーナが楽しそうで何よりだが」


 そう言って優しく目を細めながらこちらを見てくるから。なんだか色々といたたまれなくなって、恥ずかしさに耐えきれず下を向いてしまう。

 なのに。


「そういえば、普段は髪を上げてしまっているのでよく分からなかったが…肩までしか長さがなかったのだな。よくそれで、あんなにも毎日綺麗にまとめていられるものだ」


 なんで、そんな風に感心しながら……

 私の髪を、触っているんですかね…?


「あの、殿下……」

「私はこちらの髪型のほうが好きだがな。あぁ、それに。服も良く似合っている。やはり私の見立てに狂いはなかったな」


 お仕事の時はひっつめ髪だけれど、今日は普段と同じようにサイドの髪を少しだけ残して、あとは邪魔にならないように後ろで半分だけ縛っていて。いわゆるハーフアップと呼ばれている髪型をしている。

 髪型で印象が変わったりすることがあるから、もしかしたら殿下はそのことを言っているのかもしれない。特にお城の中でお仕着せを着ている女性は、全員同じ髪型をしているから。


 でも、なんだか…。

 よく見ている髪型よりも、私にとっての"普段の"髪型を好きだと言ってもらえたことが。

 すごく、嬉しくて。


「ありがとう、ございます…。あ、あのっ…こんなに素敵な服や靴まで用意していただいて…!」

「折角の茶会だ。流石に非公式としている以上、普段着の域を出ないような服装しか選べなかったが…」

「いいえ!すごく素敵です!!」


 さわやかな青のワンピースは、腰より少し高い位置で絞られていて。ドレスとまではいかないのだろうけれど、裾に向かってふんわりと広がっている上品なものだった。


「カリーナの瞳の色に近い生地を選ばせた甲斐があったな。…さて、では二人だけの茶会を始めようか」


 そう言いながら差し出された手に、私も自然に手を重ねていて。


「はい」


 いつの間にかしっかりと整えられていたテーブルまでエスコートされる。


 殿下にとってはきっと、当たり前のことなんだろうけれど。こんな風に男性にエスコートされることなんて、私の人生では今まで一度もなかったから。相手が王弟殿下ということもあるけれど、なんだか少し緊張してしまう。


「今日は普段通りの茶会と同じ物を用意させている。カリーナは食べ方のマナーなどは知っているか?」

「え、っと……確か、下から順番に食べるんでしたっけ?」

「ほぅ。そういうことは調べてきているのだな」

「調べてきたと言いますか……もともとお母さ…あ、いえ。母がそういうことを知っていて。教えてもらったんです」

「カリーナの…?なるほど、そうか……」


 あ、危ないっ…。いくら知っている相手とはいえ、目上の人の前ではちゃんとした言葉遣いをしないと。今は特に、執事さん、かな?が、邪魔にならないような位置に立ちながらも、紅茶のお代わりがすぐにできるように控えているから。


 なぜか少しだけ考え込んでしまっている殿下に、声をかけようかどうしようか迷っていると。


「わふんっ!」


 膝の上に、ダニエル君が頭を乗せてこちらを見上げてくるから。これは撫でてもいいんだよね?撫でますよ?


「くぅ~ん…」


 気持ちよさそうに目を細めるその姿に、なんだかすっかり緊張も解されて。思わず顔がにやけてしまう。


「どうしたのだ、ダニエル。珍しく甘えているな」

「え、珍しいんですか?」

「あぁ。私の部屋に人を招くという事自体滅多にないが、それでも母上や兄上、セルジオや乳母の誰が来ても、こんな風に甘えている姿は見せたことがない」

「そうなんですね。……あ、でも。殿下には甘えているんですよね?」

「私に、か。確かに私室に帰ってくれば、嬉しそうに尻尾を振って飛びついて来たり、時折寝ているところに潜り込んで来たりはしているな」

「……なんて羨まし…あ、いえ。何でもないです」


 帰って来たらこんなに可愛い癒しがいて、しかも寝る時まで一緒だなんて。

 王弟殿下の私生活は、なんて素敵なんだろうか。


 私もこんな可愛いもふもふに癒されたい…!お出迎えされたい…!!


 いや、まぁ…今は部屋を借りている状態なので、この先まだまだしばらくはそんなこと夢のまた夢なんだろうけれども。


「犬が好きなのか?」

「というよりも、動物全般好きです。ふわふわでもふもふであったかくて。何よりすごく可愛いと思いませんか?」

「……まぁ、そう、だな。同意はするが…。何とも想像通りだな」

「何がですか…?」

「カリーナの動物好きが、だ」

「……そんなに、見た目に出てます…?」

「あぁ。出ている」


 そんな和やかな会話を交わしながら、二人だけのお茶会は始まったのだった。




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