第12話 私の立ち位置

 考えてみたら、今までこういうことが一切起こらなかったことの方が不思議だったのかもしれない。


 廊下を歩いていてもあまり人とすれ違ったりしなかったから、そういう物なのだと思っていたけれど。考えてみたら大勢の人たちが働くお城の中で、誰もいないということの方が不自然だったのに。まるでそこだけは誰も寄せ付けないかのように、ただひたすらに静かだったから。


 いっそ何かそういう魔法でも魔術師がかけていたのだろうか?前の馬車のように。

 そんな風に思わず現実逃避をしてしまうくらいには、目の前の状況を打開する方法が思いつかなかった。


「どこの担当侍女か聞いているだけだろ?答えたらどうだ?」


 そもそも私自身、どんな担当があるのかなんて知らない。私はただの王弟殿下のお茶くみ係だから。


「名前すら答えられないのか?侍女長に言いつけるぞ?」


 あなたたちに答えるような名前はないです。というか、私はその侍女長様にお会いしたことすらないんですが。

 むしろ私、侍女という扱いでいいのかな?殿下の側仕えとはいえ、扱いとしては平民だから下働きと変わらないと思うんだけれど。


「口がきけないのか?」

「それなら確かに、誰に何を聞かれても答えられないな」

「こんな場所まで来るような侍女だ。その方が都合がいいのかもな」


 前から後ろからうるさいほどに勝手なことを言い続けるこの二人は、格好と年齢からしてどこかのお貴族様の息子なんだろう。城の中を歩いているくらいだから、当然かもしれないけれど。

 ただ殿下やセルジオ様、それにいつも扉の前に立っている護衛の方たちと比べると、あまりにも稚拙というか…。いや、比べる相手が違いすぎるのか。

 むしろこの国のお貴族様って、大抵はみんなこんな感じなのかな?もしそうだとしたら、いち庶民として不安でしかない。


「ん?お前、不思議な目の色をしているな」


 俯いていたからそうそう分からないはずだったのに。なぜかそういうところだけは目ざとく見つけられるらしい。

 というか、このお仕着せは髪一筋も落とさないようにということなのだろう。髪は全てまとめて、後ろで一つに結ってしまうから。どんなに俯いていても顔ははっきり見えてしまう。

 流石に目をつぶっているわけにもいかなかったから仕方がないとはいえ。なんだろう、それを指摘されるのはすごく不愉快で。


「あぁ、本当だ。珍しい色だな」


 後ろにいたはずなのに、わざわざ前にまわってまで。そんなに確認したいことなんだろうか?


「何だ?もしかしてその物珍しさで気に入られたのか?」

「なるほど。それなら口がきけない方が都合がいいな」

「慰み者にはちょうどいい」


 なぐ…なんだって…?

 意味は分からないけれど、決してそれがいい言葉ではないことはよく分かる。下卑た笑いというのはこういうのを言うんだろうなと思う表情で、目の前の二人は私のことを見ていたから。


「折角だ。少し相手をしてもらおうか」

「いいな。その珍しい色の瞳が涙で濡れるさまを、たっぷりと見せてもらおうじゃないか」


 顎を手のひらで掴まれて、強制的に上を向かせられる。その力には遠慮なんてなくて。でもそれよりも、明らかに侮蔑の色を含んだ視線をこの瞳に向けられていることが許せなくて。


 殿下が……。美しいものなんて見慣れているはずの、あの王弟殿下が。

 一度じっくりと見てみたかったと言ってくれた。美しい瞳の色だと言ってくれた。まるで世界そのものを閉じ込めたようだと、そう言ってくれたこの瞳を、そんな目で見られるなんて。


 我慢、できなかった。

 だから思わずその手を振り払ってしまって。


 "決して貴族には逆らうな。逆らえば命の保証はない"


 それが私たち平民にとっては暗黙の了解だったはずなのに。

 それでも、私の生まれについて言われるとかならまだよかった。

 でもこの瞳だけは。これだけは、譲れない。

 私にとって殿下が美しいと言ってくれたこの瞳は、唯一の誇りでもあるから。


「このっ…!たかが小娘が…!!」

「優しくしてやればいい気になって…!!」


 成人していないので確かに小娘だけれど、さっきからこの二人に優しくされた覚えなんてない。

 第一私は今仕事中なのだ。もうすぐ殿下の午後のお茶の時間なのに、遅れるなんて許されると思っているのか。

 私は偉くもなんともない。それは確か。だけどこのワゴンを殿下の執務室まで運んで、短いけれど優雅なティータイムを楽しんでもらうのが私の仕事。優先されるべきは王弟殿下ただ一人。

 この二人だって、殿下以上に偉い人のわけがないから。この国で殿下のティータイムを遅らせられるのは、緊急時以外は国王陛下ただ一人だろう。

 なのに、王族ですらない人たちに足止めされるなんて。


「っ…!!」

「来い小娘!」

「痛い目を見なければ分からないんだろう!?」


 力任せに掴まれた腕は、きっと後で痣になる。そのくらい強い力で握られたから。

 それでも従うつもりなんて一切なかった。何を言われようと、何をされようと、私のやるべきことは変わらない。

 殿下から必要ないと言われるその日まで、私は王弟殿下のお茶くみ係として働き続けるつもりでいるから。


 だからいい加減にしてもらわないと困る。

 そう思って流石に口を開こうとした、その瞬間。


「何をしている」


 聞こえてきた声に、私だけじゃなく。おそらく貴族なのであろう二人の動きも止まって。顔を上げた先、セルジオ様を従えた殿下が、怖い顔をしてこちらを見ていた。


「何をしているのかと聞いている」

「…っ…おい、小娘…!殿下が――」

「私はお前たち二人に聞いているのだが?」


 有無を言わせぬようなその言葉は、普段の殿下からは考えられないほど冷たくて。それでも私は驚いた拍子に解放された腕を引いて、急いで礼を取る。外で殿下や陛下にお会いした時には、こうしておけば問題はないとセルジオ様から教えられていたから。


「その……み、見知らぬ侍女がおりましたので……」

「ほぅ?この場に滅多に足を踏み入れぬ者たちが、なぜ侍女を把握している?」

「い、いえ…そのようなことは……」

「ではお前たちは知らぬ顔の侍女を見かけるたびに、そのように声をかけているのか?随分と品のないことだ」

「っ…!!い、いえっ…!!」

「決してそのようなことはっ…!!」


 必死な二人は、きっと見えない部分に冷や汗でもかいているのだろう。私は目を伏せているので分からないけれど、何となく。今の殿下の瞳は、あの優しくて暖かい淡い色ではなく。冷たく凍えるような色をしているような気がしたから。


「私からすればお前たちの方がよほど見かけぬ顔だ。にも拘らず、このような行い。目に余るものがあるな」

「っ…!!」

「貴族以前に、人として品位を疑う。仕事の邪魔をするなど、幼い子供でもしないというのに」

「邪魔をした、わけでは…」

「では何だと言うのだ?答えろ」

「…………いえ……」


 威圧的で高圧的な言い方は、きっとその王弟殿下という立場としてのものなのだろうけれど。王族としての立場で、しかもこんな風に貴族と接する殿下は初めてで。


 この場にいるはずなのに、私だけが明らかに場違いだった。


 遠い遠い、本来ならば関わり合いになるはずもないような相手だと。こんな場面だというのに、なぜか私はそのことを強く意識してしまっていて。


「セルジオ」

「はっ。後ほどこの者達の家に抗議の書面を届けさせますので」

「二度と城の上層部に足を踏み入れさせるな」

「承知いたしました」

「そ、そんなっ…!!」

「殿下っ…!!私たちは決してっ…!!」

「くどい。…あぁ、それとも何だ?登城そのものを禁止にされたいのか?」

「い、いえっ!そのようなことは断じてっ…!!」

「し、失礼いたしましたっ…!!」

「あっ!ま、待てっ!!置いて行くな!!」


 一人が逃げるように駆け出すと、それを追ってもう一人も走り出す。長い廊下を時折転びそうになりながら必死に遠ざかっていく二人の背中は、なんだかすごく格好悪くて。


「無様ですね」

「当然の報いだ」


 その姿が見えなくなるまで、なぜかついお二人と一緒に見送ってしまったけれど。冷笑と共に零したセルジオ様の言葉に、冷たく吐き出すように答えた殿下。

 普段とは全く違うその声と姿に、もしかしたら本当はこちらが普段なのかもしれないと思い直す。

 私が知っているこの主従は、あくまでリラックスしている休憩時間だけなのだから。


 それなのに。


「カリーナ、大事ないか?」


 心配そうに覗き込んでくる殿下の瞳は、もう私の知っている優しい色に戻っていて。


「あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます。殿下、セルジオ様」

「礼など必要ない。むしろ城の中のしかもこの場所で、このような無体を働くような者達の存在を許すなど……私の監督不行き届きだ。すまなかった」

「そ、そんなっ…!!やめてください殿下…!!私に頭など下げないで下さい…!!」


 そもそも王弟殿下ほど偉い人が簡単に、しかも平民に頭を下げていいはずがない。


「非は認めるべきだ。それにここには私たち以外誰もいないのだから、何も問題はない」

「そういうことでは、ないんですよ…」

「だが不愉快な思いもさせてしまったし、何より恐ろしかっただろう?」

「そ、れは……」


 怖くなかったと言えば、嘘になる。今もまだ掴まれていた腕は鈍い痛みが残っているし、何より確かにあんな風に私の瞳を見られたのは不愉快だったけれど。

 でもそういうことじゃない。

 だって、私は……


「私は、平民、ですから……貴族に逆らうことは出来ませんし、何をされても文句は言えません」


 それが平民が何事もなく生き抜くために、長年培ってきた経験から出した答え。逆らったって、いいことなんて一つもない。私たちにとっては当然のこと、なのに。

 どうして殿下もセルジオ様も、そんな驚いた顔をしているのか。


「何を、言っている…?」

「え?だって……貴族は平民から搾取をするのが仕事、ですよね…?」

「そんなわけがないだろう…!!貴族というのは国のため、陛下のため、そして何より民のために存在し、そのためにそれぞれ仕事をするものだ。それが……」

「まさか、陛下のお膝元である王都で育った貴女の口から、そのような言葉を聞くことになるとは……」

「何ということだ……まさか、そんな認識でいたとは……」

「殿下。一度市井への視察も予定に組み込みましょう」

「その方が良さそうだな。それと直接私の元へ民の声を届けさせなければ。カリーナ、今度その話を詳しく聞かせてはくれぬか?」

「え、あ、はい。分かりました」


 なんだか話の展開について行けなくて、私の方が驚いてしまう。

 というか、貴族ってあんな風に偉そうに威張り散らして、暴力で支配するのが当たり前だと思っていたから。私たち平民のことなんて、人としてすら見ていないものだと。


「あぁ、だが。とりあえずまずは…」

「殿下…?」

「もしもあのような者達に今後また会うようならば、真っ先に私を引き合いに出せ。王弟の側仕えに手を出そうなどと、不敬もいいところだ」

「え、あの…」

「カリーナ。お前は私の側仕えだろう?それならばその立場、有効に使え。お前が立つべきは、セルジオと同じで私の傍以外あり得ない」

「っ…!!」


 ま、って……待ってください、殿下…。それだとまるで、私がセルジオ様と同等みたいな……


「殿下は城の中では執務室に籠ってばかりなので、特定の側仕えは数少ないのです。貴女は特に執務室にまで入ることを許された、特別な存在なのですから。替えがきくわけではないのです。何かあってからでは困るのですよ」

「セルジオ、様……」

「城の中は今後必ず改善させる。約束しよう。だがそれまでの間や視察などで外に出た時は、流石に私の目も届かぬからな。いいか?私という存在を存分に使え。その身を守るために王弟という私の立場が役に立つのであれば、躊躇など必要ない。手遅れになる前に、必ず何が何でも私の元へ戻って報告をすること。いいな?」

「で、んか……は、い…承知、いたしました……」


 真っ直ぐな目に見つめられては、そう答えるしかない。

 淡いブルーの瞳に浮かぶ心配の色。その強さに、まるでその場に縫い留められたように動けなくなって。


 でもそうか、私の今の立ち位置は、数少ないという殿下の側仕えで。ただの替えがきく駒なんかじゃないんだ。


 それだけで心が満たされていくような気持ちになるのは、どこかに浅ましい考えがあるからか。それとも必要とされているという充足感か。


 今はまだ、その本質を見極めたいとは……思わなかった。




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