第11話 ゴーフルとヴェレッツァアイ
「いけません殿下っ…!」
「良いではないか」
「いいえ!それだけはどうかっ…あぁっ!おやめくださいっ…!!」
私の必死の制止の声は、殿下には一切届かないまま。抵抗空しく、その口の中に――
「殿下!?カリーナ嬢!?」
音がするほどの勢いで突然開かれた扉から、焦ったような表情のセルジオ様が部屋の中に駆け込んでくる。
天の助けとばかりに私はそちらに声をかけた。
「せ、セルジオ様ぁっ…!!」
「…………すみません……一体、どういう状況ですか…?」
「珍しいなセルジオ。お前がそんな風に騒がしく部屋に入ってくるなど」
「いえ、その……とりあえず、お二人とも座っていただけませんか?」
そう言いながら、何事かと覗いている護衛の二人の視線を遮るように、セルジオ様は後ろ手で扉を閉めた。
「まぁ、構わぬが…」
「私も、ですか…?」
「えぇ。お二人とも、です」
おや…?笑顔のはずのセルジオ様が、なぜか少し怖い気がするのはどうしてだろう…?
とりあえず逆らってはいけない気配がするので、おとなしく殿下の隣に腰かける。
どうでもいいけれどこのソファ、すごく体が沈むんです。ベッド以上なんですけれど、よく殿下やセルジオ様はこれで普通に座っていられますね。私は体がおかしな方向に傾かないようにするだけで精一杯なんですが。
「お二人とも、一体何をしていたのですか?」
「それが……」
「いつもとは違う、美味そうな匂いがカリーナからしていたのでな。その原因が何かと思ったのだ」
「思っただけではなかったですよね!?それ、返していただけませんか!?」
「それは構わぬが…もう一つ、もらってもいいか?」
「いけません!!そんなものを殿下の…ってあぁ!!だからどうかおやめくださいぃぃっ…!!」
手を伸ばしても結局取り返せなかった袋の中から、また一つ殿下の口の中に消えていく。
それ、そんな、殿下のような人が食べていいような、上等なものじゃないんですよぉ…!!
「……なるほど。何があったのかは何となくわかりましたが…。それがどうしてあんな、いかがわしく聞こえるような会話になったのか…」
「い、いかがわ…!?」
「ほぅ?なるほど。さながら私がカリーナを襲っているようだったと、そういうことか」
「えぇ。少なくとも私だけではなく、護衛騎士たちにもそう聞こえていたようですよ。二人とも相当焦っていたようですから」
「それで何事かと思い、急ぎ部屋の中に突入してきたと」
「むしろ何事もなくて安心しました」
「……逆に聞きたいのだが、もしも何事かがあった場合どうしていたのだ?」
「…………お止めするか、殿下のお邪魔にならないようそっと部屋を後にするか……迷うところではありますね…」
「そこは迷うのか。躊躇なく部屋の中には入って来ておいて」
「迷いますね。ただここは執務室ですから。これが奥の仮眠室でとなれば、流石の私も足を踏み入れることは出来ませんが」
「そこまで連れ込んでいたら、もはや確信犯どころではないな」
「えぇ。ですからその場合は、殿下のお好きなように…」
「……って…!!お二人とも何の話をしているんですか!?!?」
あまりの衝撃に開いた口が塞がらない状態になっている間に、なんだか二人の間で会話は進んでいて。しかもなんか、本格的にいかがわしい方向に進んでいませんか!?そういう話題じゃなかったはずなんですけれども!?
「いい加減殿下にはそろそろ仕事ばかりではなく、女性に対しても興味を持って頂かないといけないなと思っておりまして」
「どこぞの令嬢でも連れ込めと言うのか?」
「令嬢でなくても構いませんよ。それこそここに、丁度良い年頃の女性がいるではありませんか」
「へ…!?」
ちょっと待ってください…!!なんでそこで私を手で指し示すんですか!?ねぇ、セルジオ様!?
「だがあそこは仮眠室だぞ?情緒も何もあったものではないではないか」
「でしたら寝所へお連れしましょうか?このセルジオ、殿下が望まれるのでしたら助力は惜しみません…!!」
「お前な…」
「そっ、そういうお話じゃなかったですよね…!?!?」
なぜかセルジオ様がすごく乗り気なんですが…!?殿下もそろそろ止めて下さいよっ…!!
「セルジオ、冗談はそこまでにしておけ。流石に品がない」
「おや、冗談とは人聞きの悪い。私は限りなく本気ですよ?」
「ではもうしばらくは仕事に忙殺されるだろうから、悪いが諦めてくれ」
「そう言ってもう何年経っているとお思いですか?」
「忙しいのは事実だろう?それにようやく兄上たちが時間を取れるようになったのだ。最優先なのはそちらのはずだが?」
「陛下御夫妻に関しましては、私も異論はありません。ですがそれと殿下のお相手探しは別物かと」
「それこそカリーナではないが、今はその話ではなかったはずだろう。…あぁ、そうだ。カリーナ、これはこの分だけか?」
なんだか口を挟むことが出来ないなと思いながら、二人の会話を大人しく気配を消して聞いていたのに。殿下、セルジオ様の話から逃げるために私を利用しましたね?
と、言いますか。
「ですから!それは殿下のような方が口にされていいようなものではないんです!」
「なぜだ?模様は何もないが、甘くないゴーフルのようなものだろう?」
「そう、ですが…その……生地に練り込んだ中身が、ですね…」
「中身が?」
「……エビの、殻…なんです…」
料理をする関係で、少しだけ厨房に出入りさせてもらっていて。そこで仲良くなった料理長にお願いして、大量に捨てているというエビの殻をもらってきたのだ。
孤児院にいると、人数は多いけれどその分食べるものが少なくなる時もあって。そんな時に捨ててしまう物で何か作れないかと、色々と試行錯誤を繰り返したうちの一つ。エビの殻をフライパンで乾煎りして、パリパリになったものをすりこぎですりつぶして粉にして、生地に練り込んで焼いただけの簡単なもの。言うなれば、エビの殻のゴーフル、だ。
けれどそんなものを殿下にお出しするわけにはいかないし。何よりこれは、私の小腹が空いたときの携帯食料みたいなものだから。
「なので、どうか返してください…」
「……お前は、本当に面白い発想をしているな…」
驚いたような顔をしているけれど、それよりもその袋からいい加減手を放してください、殿下。
「なるほど、エビの殻か。まさかあれを食べようなどとは確かに思わない…」
でしょうね。だって王弟殿下ですから。
「…が。それがこんなにも美味い菓子になるのであれば、それはそれでいい使い道になるというものだ」
「いや、あの、ですから…」
「折角だ。これも今度から茶菓子として出してはくれぬか?」
「だっ…!?そ、そんなことできません…!!」
「ではせめてこの袋の中身を少し分けてくれ。前のハチミツの菓子より、私はよほどこちらの方が好みなのだ」
「ぐっ…」
それを言われると、弱い。
あと、美形の懇願するかのようなお願いの仕方はずるいと思います。小さく小首を傾げるかのような動作付きというのも、なおさらそれに拍車をかけていて。
殿下明らかに、自分の顔の使いどころを知っていますね?そうやって、今まで何人の人間を陥落してきたんですか?
「……大量のエビの殻なんて、そうそう滅多に手に入りませんから。今度作る時は、殻だけじゃなく中身もすり身にして練り込みます…」
そして私も、その中の一人に過ぎない。
だって私は王弟殿下のお茶くみ係だから。殿下直々にそう言われてしまえば、しかも直接好みだと言われてしまえば、作らないという選択肢などあるはずがなくて。
「なるほど、そうくるか。それはそれで楽しみだな。やはりカリーナの着眼点は面白い」
……もう、いいです。なんだか殿下が楽しそうなんで。
なんて思っていられたのも束の間。
「あぁ、着眼点で思い出したが…」
「……え…?」
急に近づいてきた顔が、覗き込むようにこちらを見ていて。淡いブルーの瞳と真っ直ぐに見つめ合う形になる。
…………ちょ…っと、待って……殿下の、薄い色の瞳が…すごく、近くて。すごく、綺麗で。
……ドキドキ、する……
「カリーナのヴェレッツァアイは本当に美しいな。まるで瞳の中に世界そのものを閉じ込めたようだ」
「ヴェ……え…?」
「ヴェレッツァアイ、です。とある国ではその瞳を神聖視していたらしく、その国の名前を取ってそう呼ばれるようになったそうです」
……え、待って…。どうしてセルジオ様は、こんな状況でもそんなに冷静なんですか…?むしろこんなに動揺しているのは、ひょっとしなくても私だけですか?
「これだけの美しさだ。確かにこの瞳を神聖化したくなる気持ちは、分からなくもない」
「あ、の……殿、下……」
「殿下、カリーナ嬢が戸惑っておられますよ」
「…あぁ、すまない。あまりの美しさに、つい。一度じっくり見てみたいとは思っていたが、無遠慮に見られて気分のいいものではなかったな」
「い、え……」
気分の問題ではなくて。ただ、殿下の顔が近くて。どうしても、その……意識を、してしまう…。
それに……
「この、瞳を…そんな風に言われたのは、初めてで……」
シスターのように大人であれば、初見でもそれなりに受け入れてはくれるけれど。どうしても子供たちの中には、初めて見た時に気持ち悪いと言う子もいて。
ただ人とは違うからこそ、仕方がないことだと諦めていた。
「名前が、あることも…知らなかったんです……」
しかも神聖視されていた、だなんて。にわかには信じがたいことだけれど、殿下とセルジオ様が言うということは本当なのだろう。
「まぁ、あまり知られてはいないからな。それだけ珍しく、美しい瞳の色だということだ」
「おそらく世界に数えるほどしか存在していないのでしょうね。私も名前だけは知っていましたが、一生お目にかかることはないと思っていましたから」
国のほぼ頂点にいる人たちでも、一生目にすることは出来ないかもしれないもの。
まさか私の瞳がそんな希少価値の高いものだったなんて、正直信じられない。だって私の母も、同じ色の瞳をしていたから。
「瞳や髪の色は、親から子へ受け継がれるものだからな。私のこの瞳の色も、王家特有のものだ。亡き父上も全く同じ色をしていたらしい」
「陛下と殿下は、瞳だけではなく髪の色も前陛下にそっくりなのだそうですから。そういうものなのでしょうね」
「名前だけでも覚えておくといい。そうそう聞く言葉でもない上に、この先死ぬまでの間に同じ瞳の人間に出会えるかも分からぬが」
「ヴェレッツァアイ、ですね…。はい、覚えました」
名前が付くほどには、認知されていたのだと。それが分かっただけでも、私にとっては大きなことだから。
何より。
殿下がこの瞳を美しいと、そう言ってくれたことが、嬉しくて。同時に少し気恥ずかしい。
けれどきっと、その言葉と淡いブルーの瞳の色合いを。
私は一生、忘れないだろう。
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