第10話 私から見た殿下と彼女 -従者視点-

 私がお仕えしている王弟殿下は、基本的に仕事人間だ。


 時に寝食を忘れて執務室に籠ってしまう殿下に、私をはじめ護衛騎士たちや食事を用意して待っている侍従や侍女たちも困ってしまうことが多くて。何とかできないものかと色々と試してはみたものの、正直殿下が素直に言葉を聞き入れて下さる相手は国王陛下しかいないという、なんとも八方塞がりの状態だった。


 なのに。


 殿下が成人を迎えられてからずっと変わらなかったそれが、最近ある劇的な変化を迎えた。何とも不思議なことに、たった一人の少女によって。


 最初に殿下から話を聞いたときには、偶然にしては出来すぎていることにかなり警戒心を抱いていたのだけれど。調べても一向にどこの貴族の系譜なのかも分からない少女に、もしかしたら害はないのかもしれないと思い始めていた。

 何よりあの、癒しの力。殿下のが見つけ出した通り、あの力は紛れもなく王家の血を継いでいる証拠。王家とは別のところで血の覚醒が起きた場合、我が国の貴族の間では"血の奇跡"と呼ばれているけれど。今回に関してはどこの貴族の落としだねかも分からないままなので、どう対応すべきか殿下も、果ては陛下も判断に困っておられる状態だった。


 本来ならば、王家の血の能力は王家に"お返し"するのが習わしだが。片親が平民というのがどうにも引っかかる。

 加えてもしも今"お返し"するのであれば、そのお相手は確実に婚約者の候補すら持たない王弟殿下ということになるだろう。

 高位の貴族の娘であることに変わりはないのだから、その系譜を探し出して王家に返還させるべきか。それともいっそ殿下の元で、一生どこにも嫁がせず飼い殺しにすべきか。それは陛下と殿下のお二人で話し合っても、未だ答えが出ていないのであろう。だから私にも何一つ指示は出ていない。


 けれど……


「……殿下」

「何だ?」

「昼間のあれは、いかがなものかと思うのですが…」

「昼間?何のことだ?」

「カリーナ嬢に手ずから食べさせてもらうなど、王弟殿下ともあろうお方が何をなさっているのか…」

「何だ。お前に命じた方がよかったか?」

「冗談ではありませんよ。どうして私が殿下にそのようなことを――」

「ならいいだろう。実際動けなかったのは事実だからな。それに、食べた方が回復が早い」

「…………下心がなかったと、言い切れますか?」

「そんなわけがないだろう。流石に私も男にされるよりは女にされる方がいい」


 そんな風に、言っているけれど。

 殿下、気づいておられますか?今まで女性を才能でしか見てこなかった貴方が、カリーナ嬢に対してだけは才能以外の部分にも目を向けて。彼女が持ってくる菓子を、その時間を、心の底から楽しみにしておられるのを。


 私は生まれてからこの方ずっとお側におりますが、女性の前であんなにも楽しそうな笑顔をしてらっしゃる姿は初めて見ましたよ?

 そもそも殿下はあまり女性がお好きではなかったはずですよね?もちろん高貴なお生まれであるからこそ、そのお立場に対する価値を求める女性も多くて。その見境のないやり口に辟易としてらっしゃったのも存じております。その分平民であるカリーナ嬢はそういうこともないので、安心して接することが出来るということも理解しております。


 けれど。

 私にはどうしても、それがただの馴れ合いだとは思えないのです。


 偶然のようで、けれどなぜこのタイミングでと思ってしまうほどのこれは、実は必然だったのではないのかと思ってしまうほどに。殿下と彼女が言葉を交わしている姿は自然で、まるでそうあるのが当然とでも言うような。何とも言葉では形容しがたい、けれど確実にそう思わせる何かがそこにはあるのです。


 王家の特別な才能という、類まれなるものを持つお二人だからなのか。それとも何か別の通じ合うものがあるのか。


 いずれにせよ、私から見たらとてもお似合いで。


 そう、お似合い、なのだ。

 だからこそ、私はつい思ってしまう。


 出来ることなら、彼女の血と能力を王家にお返しして欲しい、と。


 そうすればきっと、殿下はずっと楽しそうな笑顔を見せて下さるから。何より王弟殿下の婚約者問題も、一気に解決する。


 だが彼女を飼い殺してしまっては、いずれそれらは失われてしまうような気がする。そうなってしまっては、折角の変化も台無しになってしまうのだ。


「…で?」


 視察最終日。カリーナ嬢が新しい菓子を取りに部屋を出てすぐ、私は殿下にそう問うた。


「何だ?」

「本音は何ですか?せめて私にはお聞かせくださいますよね?」

「…………一口だけ、食べてもいいか?」


 そういう殿下の視線は、彼女が残していったプリンに注がれていて。


「はぁ…そんなことだろうと思いましたよ」


 でなければ本人の目の前で労いたい、なんて。そんな迂闊なことを口にするお方ではないのだから。


「流石に本当に飽きてしまっていてな、一人で全てを食べきるのは無理だが…」

「それでも気にはなるんですね」

「それもある。が……」

「……何ですか?」


 濁し方が妙に引っかかる。カリーナ嬢に関する時にこういう言い方をする殿下の口からは、良いのか悪いのか判断がつきにくい言葉が出てくることが多いと、この数か月で学んだ。

 それなのに。


「……これを作っている時に、カリーナはどうやら興に乗ったらしいな。よほど楽しかったのだろう。普段よりも、食の癒しの力が強い」

「…それは、また……」

「このクッキー一つで、一体どれだけの疲労が回復するのやら…空恐ろしいな」


 一つ抓んで見つめるその目は、少しだけ険しくて。殿下のその表情だけで、とんでもない代物なのだということが窺い知れてしまう。


「そこまでくると、もはやただの料理ではないですね」

「保存がきくこれを行軍にでも持っていけば、疲れを知らぬ恐ろしい部隊が出来上がるぞ」

「……彼女の能力は、決して外には出してはいけませんね…」

「あぁ。……いっそ、飼い殺しなどではなく…血と能力を王家に返還させるか…?」


 殿下が思わずと言った風に呟いた言葉は、私にとっては願ってもない提案で。

 だからこそ、もう少しだけ踏み込んでみようと思った。


「その場合、お相手は殿下ご自身しかいませんよ?」

「構わぬさ。婚約者の候補もいない私ならば、下手に争いを生むこともない」

「……殿下が本気でそれを望まれるのでしたら、私は全力でそれを後押しするだけです。いかがされますか?」

「…………まぁ、まだどこの家系かも分からぬからな。それに何より、兄上の…いや、陛下のご判断に任せるべきだろう。飼い殺すも返還させるも、陛下の一言で全て決まる。それだけだ」


 確かに落としだねなのかというのは、かなり重要になってくる。下手な貴族の娘では、逆に要らぬ力を与えることになるのだから。

 そして陛下のご判断にというのも、間違ってはいない。ただの娘ではなく、血の奇跡という類まれなる存在なのだから。


 ただ、それでも。


 私はほんの僅かにでも、殿下ご自身の口から血の返還という言葉が聞けたことを、そのお考えがあるのだということを知って、期待してしまう。


「……殿下」

「何だ?」


 呼びかければ向けられる、王族特有の淡いブルーの瞳。アイスブルーに近いその色は、その知的な内面を表しているかのようで。


 あぁ、そうだ…。殿下は、決して鈍いわけでもなければ愚かでもない。治世者として、必要以上の能力をお持ちの方だ。

 その方が、ご自分のお気持ち一つ気づかないなどと。そんなこと、あるわけがない。


 そう。あるわけが、なかったのだ。


 それでも決して決定的なことは口にしない。それこそが、この方が正真正銘の王族、王弟殿下である証。

 ご自分の心よりも、国を優先させる。国に、政治に不利益なことは可能性がある限り、決して口にしてはいけないのだと、誰よりも知っている方だからこそ。


「…いえ。折角の紅茶が冷めてしまいますし、一口でよろしいのでしょう?味わってみてはいかがですか?」

「あぁ、そうしよう。だが折角と言うのであれば、お前も一休みしてはどうだ?カリーナが既に用意してくれているが、注ぐぐらいはしてやるぞ?」

「恐れ多いことです。そこまで殿下の手を煩わせるつもりはありませんよ」


 私は私に出来得る限りの方法で、決して表には出せない殿下の本音をお助けしよう。

 きっといつか、必ずその努力は報われるはずだ。


 何せ私から見た殿下と彼女は、共にあるべき存在にしか思えないのだから。




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