第9話 お気に召さなかったらしい

 試作を重ねた中で、一番出来がよかったハチミツのクッキーとプリンをワゴンに乗せて運ぶ。

 クッキーには砂糖は使わず、甘さはハチミツだけで補って。それだけだと単調になってしまうので、少し砕いたナッツも生地に混ぜて焼いてある。プリンは私にとって初めて砂糖を使ったお菓子になるので、どうなるのか少し緊張していたのだけれど。こちらはハチミツの優しい甘さが引き立っているおかげか、舌にスッと馴染む感覚がした。とはいえ甘味をそこまで食べたことのない私の感覚だから、もしも甘さが足りないようならと白い陶器のミルクピッチャーの中にハチミツを入れてきている。要はあとがけしてもらえばいいのだと思って。

 今回はどんな感想がもらえるのだろうかと期待しながら、私は殿下が執務のために使用している部屋の前に立つ護衛の二人に頭を下げた。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です。もう休憩の時間なのですね」

「はい。殿下とセルジオ様は中にいらっしゃいますか?」

「ええ。今呼んできますから、待っていてください」

「よろしくお願いいたします」


 王弟殿下の護衛なのだから、この二人ももちろん貴族で。しかもかなり高位の貴族のはずなのに、私みたいな平民にもいつもとても優しい。

 本当はお二人にも何か差し入れをしたいのだけれど、流石に今は視察先のお屋敷なのであまり勝手なことは出来なくて。お城に戻ったら、今度何かお渡ししようかと思ってる。

 考えてみたら、私なんかがお城に"戻る"なんていう風に思っていること自体、なんだか不思議で。私の家はここ数年の間、ずっと教会の孤児院だったはずなのに。まだ数か月しかいないはずの場所が、しかも平民が簡単に入れるような所じゃないお城が、いつの間にか私の帰る場所になってしまっていた。


 なんだか不思議な気分になりながらそんなことを考えていたら、扉から出てきた護衛の方の後ろからセルジオ様がひょっこりと顔を出して。


「カリーナ嬢、お待たせしました。どうぞ入ってください」


 ワゴンごと通りやすいようにと、扉を開いてくれた。


「ありがとうございます」

「ひと段落ついたところだったので、ちょうどよかったです。次に取り掛かろうとする殿下をお止めするいいタイミングでした」


 あぁ、また仕事に集中しすぎていたんですね、うちの王弟殿下は。

 目を離すとすぐそうやって書類の束に手を出すので、ある程度で止めないといつまででも執務室に籠っているから困るのだと、前にセルジオ様が言っていた。それが大げさでもなんでもないということは、私もよく知っているから。だからこそこのお茶の時間だけは、しっかり休憩してもらうと決めているのだ。


「セルジオ。流石に聞こえていたぞ」

「えぇ、聞こえるように言いましたから。何のために応接室と執務室の間の扉を開けたままにしていたと思っているのですか?」


 普段お城では執務のためだけの簡素な部屋だから、応接室を通ってじゃないと執務室に行けないというこの造りは新鮮だった。もしかしたら貴族のお屋敷って、みんなこうなのかもしれないけれど。私は王弟殿下の執務室しか知らなかったから、初めて見た日は部屋が二つもあると驚いたことを覚えている。

 流石にそのことを口には出さなかったけれど。

 でもたぶん、殿下もセルジオ様も気づいていたと思う。少しだけ二人の口元が笑っていたから。


「さて、今日の菓子は何だ?」

「ようやく納得いくものが出来たので、せっかくの最終日ですしハチミツを使ったお菓子にしました」

「……ハチミツ…」


 おや…?いつもは子供のようにキラキラと目を輝かせている殿下が、なんだか今日は様子がおかしい。


「クッキーとプリンを作ってきたのですが…」

「両方とも、ハチミツの?」

「はい」

「そうか…ハチミツか……」


 目に見えて落胆している…!?殿下が…!?

 え、待って。もしかして殿下って、ハチミツ苦手だったりする…?

 だとすればこの選択は間違ってたことになる…!!


「え、っと…」

「ふむ…クッキーの方は中にナッツが入っているのか?」

「はい」


 私が頷くのを見て、もう一度手元のクッキーを見て。それから口の中に入れる。

 サクサクといい音を立てながら崩れていくクッキーは、いいハチミツを使ったからなのか甘さもだけれど何より香りがよくて。私はかなりお気に入りだったのだけれど。

 殿下の咀嚼の間隔が、だんだん長くなっていく。それに合わせてほんの少しだけれど、顔も下を向いていって。


「……すまないが、ハチミツはしばらく無しにしてくれないか?この三日間、料理にまで使われていて…流石に、飽きた」

「え……」


 それは、まずい。

 というか、私はまずその可能性を視野に入れるべきだった。だってここは有名なハチミツの産地なんだから、領主は当然それを王弟殿下に振舞うはず。特にハチミツを使ったデザートなんて、毎食出ていてもおかしくなかったのだから。


「肉料理にまでハチミツが使われていて、甘辛く味付けされていたからな。セルジオ、お前の食事はどうだった?」

「私は流石にそこまでは…。ただ、毎食ハチミツを使ったデザートが最後に出てきましたね」

「デザートだけか。それならばまだよかったのだがな…。もてなしはありがたいのだが、流石にあそこまで拘られても正直困る」

「そうですね。流石に私もメインの料理にまで使われているとは思っていませんでしたから。そこは盲点でした。私の確認不足です、申し訳ございません」

「いや、いい。毒見役も別にいる上に、そもそもお前たちの食事内容が違うことは私も分かっていたはずなのに、すっかりそのことを失念していたからな。伝えなかった私にも落ち度はある」


 そう、二人は言っているけれど。

 それは、違う。

 だって私の仕事は、殿下のお茶とお菓子を用意すること。なのに私自身が楽しくなってしまって、肝心なことを確認していなかったから。

 どんな理由があろうとも、殿下が私が用意したお菓子をお気に召さなかったことだけは事実だし、それは覆らない。


「今、新しいものと交換してきます。殿下のお好きなチーズクッキーと、ナッツは常に常備してありますから」


 悔しくて情けなくて。急いで二つを下げて、ちゃんと殿下の好みのものを持ってこようと伸ばした手は、その殿下自身に掴まれて遮られる。


「いや、下げる必要はない。折角なのだからプリンはセルジオに、クッキーは外の護衛たちに、それぞれ労いの言葉と共に後で渡しておこう」

「そんな…!殿下がわざわざそんなことをする必要は…!」

「たまには私にも、部下を労う口実をくれないか?護衛たちには特に、城の中では下手に私から渡すことも出来ぬからな。とはいえカリーナが作ったものだ。決定権はお前にある」

「私に…?」

「あぁ。お前が渡してもいいと言ってくれるのであれば、だ。嫌だと言うのであれば諦めるが…」

「いいえ!そんなことはありません!殿下にお出ししたものですから。殿下が望まれるのでしたら、それをどうしようと私は構いません」

「本当か?」

「はい。それにちょうど、護衛のお二人にも何かお渡し出来ないかと考えていたので」

「……そんなことを、考えていたのか…」

「普段お世話になっていますから」


 実際いつも見知った二人の内どちらかは必ず扉の前にいるからこそ、私なんかも当然のように殿下の執務室に入れてもらえるわけで。向こうからしたら単に顔見知り程度かもしれないけれど、私にとってはお城の中での数少ない知っている人たちだから。


「ただどちらにしても、代わりのお菓子は持ってきます。すぐに戻ってきますから」

「あ、あぁ…」


 それだけは、何があっても譲れない。だってそれが私の仕事だから。

 今回の反省だって、ちゃんと次に生かさないと。


 とりあえず、しばらくの間はハチミツの使用厳禁。これだけは頭に叩き込んでおいた。




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