第8話 ハニートラップ…って、何ですか?

 視察の関係で二日目はお茶の時間は午後の一回だけの予定だったので、午前中いっぱいはハチミツを使ったお菓子作りに専念する。

 普段のクッキーをハチミツ味にするというシンプルなものから、お城で仲良くなった料理長が教えてくれたプディングのお菓子版、カスタードプリンまで。材料は少なく、かつあまり時間のかからないお菓子を中心に色々と試行錯誤を繰り返していた。

 もともとお菓子作りは大好きだから、つい楽しくなって夢中になってしまって。危うく午後のお茶の時間に遅刻しそうになったことは、私だけの秘密である。


「え、っと……殿下…?セルジオ様…?」


 いつものようにお菓子とお茶をワゴンに乗せて運んで来たら、なぜか二人して頭を抱えていて。普通に入室の許可は返ってきたから、たぶん私がここにいても問題ではないんだろうけれども。


「カリーナ、悪いが今日はセルジオの分も用意してくれ」

「あ、はい」

「いえ殿下、それは流石に…」

「むしろ私の話し相手になってくれ。今しか時間はないだろう?」

「そう、ですが…」


 なんだか深刻そうな二人の会話に、私はとりあえずリラックス効果があると言われている香りのいい茶葉を選ぶ。

 今日のお茶菓子は明日のハチミツに備えて、あえて塩味の野菜のクリスプにしてみた。ジャガイモは気に入ってもらえたので、他にもニンジンやカボチャ、サツマイモなんかも用意してみたけれど、どうだろう?一応口直し用に何種類かのナッツも添えてあるので、飽きずに楽しめるとは思うのだけれど。


「ふむ…ジャガイモ以外でも美味いな。そしてやはりこの食感は楽しいものだ」

「えぇ。それに何より、カリーナ嬢の淹れてくれた紅茶ともよく合います。本当に、癒されますね」


 よかった。これも気に入ってもらえたようだ。

 結局説き伏せられていたセルジオ様も、殿下の向かいのソファに座って一緒にティータイムを楽しんでいる。なんだか少しだけ二人の表情が柔らかくなったような気がして、私も内心ほっとしていた。


「しかし…まさかあんなに露骨な方法で来るとは思わなかったな」

「ハニートラップなどという古典的な手法は、殿下には無意味だと知らなかったのでしょうね」

「今回の視察の本当の目的を知っているということは、少なくとも領主本人かその周りの誰かには効果があったんだろう」

「一領地の誰かと殿下を同等に考えるなど、勘違いも甚だしい。不敬に当たりますよ」

「男など皆同じだと思っているんだろう。とはいえ酒に薬を盛ろうとしたことは、流石に見過ごせないがな」


 ん?あれ?なんかちょっと、これは……。優雅なティータイムとは程遠い、物騒な話をしているのでは…?

 というか、私はここにいていいのだろうか…?これ、私が聞いてはいけないような内容なのでは…?


 あと最初の方でなんかよく分からない単語が出てきた気がする。ハニートラップ?ってセルジオ様言ってたような?

 ハニーって、ハチミツのことかな?トラップって罠でしょ?……なんかちょっと、虫が寄って来そうな物しか思いつかなかったんですけど…。

 でもきっと、二人が言っているのはこれじゃない。そういう罠じゃない。…と、思う。


「カリーナ?どうした?」


 一人でそんな変なことを考えていたのが顔に出ていたのか、殿下が不思議そうな顔をしてこちらを見ていて。


「あ、いえ。大したことでは…」

「その割には難しそうな顔をしていたが?」


 本当に大したことじゃないのに、美形二人からじっと見つめられるというこの状況。何だろうか、これは。新手の嫌がらせ?それとも無言の圧力?

 何にしても、黙っているままというのは出来そうにないので。観念して口を開く。


「あの…私が聞いていても大丈夫な会話なのかな、と…」

「えぇ、構いませんよ。そうでなければここで話すことはないですし、何より黙っていてもすぐに屋敷中どころか城中の、しかも陛下の耳にまで届くことになりますから」


 それは大丈夫って言いますかね!?

 いやでも、確かに聞かせちゃいけない内容なら、わざわざ私がいる時に話す必要はないのか。なんだかすごく納得した。


「それで?」

「え…?」

「首を傾げていたのはそこではないだろう?疑問に思うような何があった?」


 …………今ほど、王弟殿下の観察力が怖いと思ったことは、ない。


 正直これで誤魔化せるのならそれがいいと思っていたのに、当然のようにそう聞いてくるから。私が分かりやすいのか、それとも殿下が鋭すぎるのか。

 どちらにしても、これで本当に逃げられない。

 仕方がないので、ここはもう正直に聞いてしまうことにした。


「え、っと……ハニートラップ…って、何ですか?」

「ん…?」

「はい…?」


 あぁ、二人の視線が痛い…。

 無知でごめんなさい。でも私は平民なんですよ。そんなお貴族様のあれやこれやなんて知るわけがないんです。


「それに、その…薬って……」


 まさか、毒?

 確かに今までだって色々警戒してたし、何よりお茶の時間に出しているものは食器以外全てこちらで持ち込んだものだから。それだけ用心してたってことなんだろうけれど。


「あぁ、いや。すぐに気づいて口には入れていないから安心していい」

「そう、なんですか…?」

「ああ。それにあれは、まぁ…厳密には毒ではないからな。不愉快なものではあるが」


 そう言いながら珍しく眉間にしわを寄せる殿下は、何かを思い出しているのか一点をまるで睨むように見つめていて。


「媚薬など久々ですからね。狙いは殿下だったということでしょうか」

「何一つ才能を持たぬものが私の妃になどなれるわけがない。その座はもっと相応しい者でなければ務まらないものだ」

「領主の妻の座を狙っていただけの娘が、大きく出たものですね」

「大方誰かに唆されたのだろうさ。でなければ手に入るような薬でもあるまい?」

「えぇ、そうですね。……あぁ、ちなみにカリーナ嬢。ハニートラップとは、主に女性が男性に対して色仕掛けで誘惑して、機密情報を手に入れようとする行為のことですよ」

「今回の場合は、後継者の最有力候補を知ろうとしていた、というところだな」

「そのための相手として殿下を選ぶなど、愚かとしか言いようがありませんが」

「全くだ」


 二人してため息を吐いているけれど。それってため息だけで済まされることなんですかね?結構凄いことされてませんか?王弟殿下。

 あとなんか…びやく…?って、何だろう?


「媚薬は簡単に言えば、惚れ薬の一種だな」

「……え…?」

「カリーナ、お前は分かりやすい。すぐに顔に出ている」

「え、えぇ…!?」


 慌てて両手で頬を押さえるけれど、考えてみたらそれで何か効果があるわけでもない。でも何となく、考えていたことが筒抜けになっていたことが恥ずかしくて。


「外でそれは困るだろうが、まぁここでは別段構わない。むしろ下手に無表情になられても、それはそれで気が休まらないからな。お前はそのままでいい」

「う……でも、気を付けます…」


 殿下は優しくそう言ってくれるけれど、流石にこのままじゃダメだろう。今回みたいにお城の外に出ることが増えたりしたら、殿下やセルジオ様以外と接する機会も増えるだろうし。


 それにしても色仕掛けとか惚れ薬とか、会話の感じからして今までも結構あったんだろうな。王弟殿下だもんね。機密情報なんて山ほど持ってるよね。

 けど、それ以上に。

 きっと殿下のお妃様になりたい人が、たくさんいたんだろう。何と言っても"王弟殿下"なんだし、婚約者の候補すらいないって言われてるし。


 才能のある、相応しい人。


 もしもいつかそんな人が見つかったら、殿下はその人をお妃様に選ぶんだろうか?

 ……選ぶんだろうな、王弟殿下だもん。それに才能なら、殿下自身のさえあればいくらでも見分けられる。



 一体どんな人が殿下のお妃様になるんだろうなぁなんて考えながら、チクリと痛む胸の内には気づかないふりをした。





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