第7話 偉い人にも苦労はある
何というか……殿下があんなにも憂鬱そうだった理由が、なんとなく分かった気がする。
滞在する屋敷についてから、殿下はずーーーっと笑顔のままなんだけれど。
なんかこう、普段の笑顔とは違って…まるで貼り付けたような笑みって、たぶんこういうことを言うんだろうなっていうような。そんな本心からではないような笑顔のままだったから。
これは疲れるだろうなと、流石の私でも分かった。
いや、たぶんこれが普段の王弟殿下なんだと思う。だって周りの人たち誰一人として疑ってなかったし。私一人無表情を貫きながら、心の中で不思議に思っていただけだったから。
「カリーナ嬢、殿下にお茶をお淹れしてくれませんか?」
だからようやく一息つけた頃、セルジオ様がそう言ったのはすごく納得できて。
「はい、ただいま」
私も少し心配だったから、持ってきた茶葉とお茶菓子の中から殿下の好きそうなものを選ぶ。流石に毎日出していると、この中でもより好みのものが分かるようにはなっていた。
準備を終えて普段とは違うテーブルにお菓子のお皿とティーカップを置く頃には、ソファに座る殿下は珍しく背に頭を預けるようにして、目元を腕で覆っていた。
「殿下?お茶の準備が整いましたよ?」
流石にお皿やティーカップ、それにポットなんかは自前ではないので、毒見役が先に口をつけて安全を確認していた分普段よりも時間はかかってしまった。ただセルジオ様も大丈夫だと言っていたし、安心して殿下の前に置いた。までは、よかったんだけれど……。
「あぁ…」
そう答えたっきり、一向に動こうとしない。
とはいえ一度声をかけて返事も返ってきている手前、下手に催促するのもおかしいし。
どうしようかと立ち尽くしていたら、扉の外から何かを受け取ったセルジオ様が私の横にスッと並んだ。
「殿下。氷を用意させましたので、ひとまずはこれをお使いください」
「あぁ、すまない」
ようやく動いた殿下がセルジオ様から氷が入っているのであろう布袋を受け取る。濡れていないところを見ると、もしかしたら何か工夫がされているのかもしれないけれど。今はそんなことよりも、一瞬見えた殿下の目が真っ赤に充血していたことの方が心配で。
「殿下?大丈夫ですか…?」
いや、大丈夫じゃないからこうなっているんだろうと一人心の中でつぶやくけれど。どうしても聞かずにはいられなかった。
だってこんな殿下、見たことない。
確かにまだそんなに長い間一緒にいるわけじゃないけれど、それでも毎日のように顔を合わせる殿下は余裕そうだったり、真剣な顔で書類と向き合っていたり。そのくせお茶の時間には楽しそうな笑顔さえ浮かべる人なのに。
「問題ない。ただ少し……目を酷使しすぎただけだ」
「あまり無茶はなさらないで下さい。最低限でいいのですから」
「もう癖になっているんだ。仕方がない」
「その自覚がおありなら、是非とも改善していただきたいのですが?」
「出来るのならとっくにしている」
二人だけで進む会話に、私はついて行けない。時折こういうことはあるし、仕方がないことだとは思っているけれど。疎外感を覚えてしまうのは、仕方がないことなんだろう。
だって私は所詮、ただの庶民の小娘だから。
分かっていたはずのことなのに、なぜか今回はそれを強く感じてしまって。思わず手を強く握ってしまう。
このもやもやとした感情は何だろう?
悲しみ?怒り?寂しさ?
それとも無力感だろうか?
「カリーナ、そこにいるのだろう?」
「あ…、はいっ」
けれどそれは殿下に呼ばれたことで一気に消え去る。
何も掴めないまま、それでも今は仕事に集中しなければと気持ちを切り替えた。
「今日の菓子は、何にした?」
「チーズクッキーにしてみました。今回はトマトとバジルも生地に練り込んでありますので、ピッツァ風味になっていますよ」
来る途中の馬車の中でもそうだったけれど、殿下は割とチーズを使ったお菓子がお気に入りみたいで。だからついレパートリーもチーズ系ばかりになってしまい、そのせいもあって砂糖をますます使わなくなってしまっていたのだ。
「なるほど。それなら食べさせてくれないか?」
「……はい…?」
え、待って。何言い出したの?この王弟殿下様は…。
「悪いがしばらくこのまま動けそうにない。行儀が悪いのは重々承知しているが、頼めないか?その間セルジオから私の目のことについて聞いてくれ」
「私が説明してしまってよろしいのですか?」
「構わん。私はしばらく休みたい」
えーっと…この感じからして、どうやら私には拒否権など初めから存在していないようですね。うん、分かってた。
あとなんか、開いてる方の手で隣をポンポン叩くのやめてくれませんかね?そこに座れって?殿下の真隣じゃないですか!!
助けを求めてセルジオ様の方を向けば、笑顔で促されて。
あぁ、うん…逃げ場なんて、ないですよね…知ってた…。
「カリーナ」
名前を呼ばれてしまえば、従うしかない。初めから選択肢なんてなかったけれど。
「殿下、口開けてください」
「あぁ」
ちなみにこの行為、巷だと恋人同士がやることなんだけれど。そもそも王弟殿下やセルジオ様みたいなお貴族様って、そういうこと知ってるのかな?なんかちょっと知らない気がするのはなんでだろうか。まぁ知っていたとしても、本人にその気がないのなら関係なんてないんだろうけれども。
あと何というか…親鳥が巣にいる雛に食事を与えているような気分になってきたんだけれど。どうしようか…。
「さて、まずはどこからお話しするべきですかね…」
そう前置いて話し始めたセルジオ様の言葉は、正直信じがたいものではあったけれど。こんな時に冗談なんて言うような人ではないし。何より普通にしているだけにしか見えなかった殿下が、目を酷使しすぎたというのも納得できる。
そうか、だからこんなにもつらそうなのか。だからあんなに目が赤く充血していたのか。
才能……それはどんなふうに見えるんだろう。殿下の見ている世界は、どんなものなんだろう。
ただ一つ気になるのは、私がそんな王族の能力とかの話を知ってしまってよかったのかということ。いや、確かにこんな風に近くにいるのなら、知らせていない方が問題になる可能性もあるのかもしれないけれども。
「ただ今回すべきだったのは、後継者の選定のみのはずですよ?一体それ以上の何をなさっていたのか…」
「次の後継者のみを選定しても、その先がなければ意味がないだろう。必要なのはさらにその先の後継者だ」
「……また女性を能力だけで見ていましたね?」
「私の相手としてではない。何よりその意味合いも兼ねていたはずだからな。そうでなければあんなにも大勢で出迎える必要などないだろう?」
「それは、そうですが…」
「一番重要な仕事は既に終えた。助言も与えた。この先それをどうするのかは、領主の判断次第だ」
「まさかとは思いますが、それを今日一日で終えるためにそんな無茶を?」
「下手に時間をかけた方がおかしな誤解を生む。そんなものに時間を取られるのも惜しいからな」
えーっと…とりあえず、次の領主にふさわしい人とその奥さんになりそうな候補を見繕うのが目的だった、ってことでいいのかな?
なんだか難しくてよく分からないけど、まぁでも正直私にはあまり関係ないことだからそっちはいいんだろう。
それよりも今は。
「殿下。紅茶もだいぶ冷めてしまいましたけど、どうしますか?」
「あぁ、そのままもらう」
頑張った殿下に、私は出来る限りのことをすればいい。
でも今回一つ分かったのは、王弟殿下ほどの偉い人にも苦労はあるんだな、ということ。
特殊な力を持ってるっていうのも、大変なんだなぁ…なんて。私は他人事のように思っていたのだった。
ただ心の片隅で少しだけ、私には何か才能があるのだろうかと考えながら。
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