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 僕は結局、逮捕された。

 あのゲームが譲り受けたものなのだ、という事実を供述調書に入れてもらうまで、結局二時間以上の押し問答があった。

 最終的に諌山刑事は、ドカンと机を蹴り上げて、「てめえ。優しく書いてやってんのに、そんな大事なこと、今さら言いやがって。てめえ一人にこっちがどんだけ大変な目にあってんのか、分かってんのか! あ?」と最大限の睨みを効かせた後、一応、調書は書き直してくれた。

 印刷し直した調書に僕が押印すると、すぐに慌ただしく立ち上がって、部屋の外へ出て行った。と言っても、扉は開いたままで、諌山刑事たちの大きな声が聞こえてきていた。

 

「請求、請求だ! ケンジ、おら、早くしろ、課長探して来い!」「うっす! 地下、空きありましたっけ?」「俺に聞くんじゃねえよ、しっかり連絡入れておけ!」「……」


 僕の向かいの席にはしばらく、諌山刑事に変わって、ずっとラガー代表殿がいて、その大きな体には全然似合わない小さなスマホを、つまらなそうにいじっていた。

 僕はもはやとっくに精魂尽き果てて、まさに虫の息でひっそりと椅子の上にいた。


 そこからさらに二時間位が経過しただろうか、諫早刑事が足早に、今度は僕の脇に立って、紙を見せてきた。

 ラガー代表殿はいつの間にか真剣な表情で、すでに立ち上がっていた。


「山崎さん、ほら、これな。あんたの逮捕状だから。はい、二十一時十一分。容疑者、逮捕!」


 その声と同時に、僕の両腕には真っ黒い手錠が嵌められた。そして、そのまま移動を促され、どこをどう歩いたか、いつの間にか見ぐるみ全て剥がされた上で、グレーの寝巻き姿で鉄格子のついた狭い部屋に押し込められていたのだった。


 そこから体感で丸一日以上、僕は一度もお日様を見ることなく過ごした。やがて、バスに乗せられてどこかへ護送された。その時になって初めて、僕は自分がS区警察署の地下留置場にいたのだと知った。

 約一時間ほど、バスに揺られて、着いたのはどこかの裁判所だった。

 周囲はどこか閑静な住宅街のようだったが、格子窓の向こうの景色を楽しむ気分には到底なれず、石作りの門柱をバスが通り抜ける際も、何という裁判所であるのか、僕は一切、興味がなかった。かろうじて、ほとんど散ってしまったイチョウの並木が見えたに過ぎない。

 バスには十人以上、共に乗合っていたが、僕だけはなぜか一人で、他の人間とは違う鉄格子のついた待合室のようなところへ入れられた。

 しばらく待っていると、警備員らしき人が来て、手錠姿のまま、窓のない廊下を歩かされ、狭いエレベーターに乗り、やがて、立派な木の扉の前にある長椅子に座らされた。

 僕の隣には、ピタリと警備員がついて、僕の手錠が外されることは無く、また、会話も一切無かった。

 この木の扉は奇妙なことに、僕が降りてきたエレベーターの正面と向かい合わせに存在しており、つまりこの空間は、エレベーター、窓のない廊下、そしてこの木の扉しか、存在していないのだった。

 無機質な時間がどれだけ経ったか、全然わからない。どういう意図なのか、時計が周囲に一切ないので、僕は自分の唾を喉へ呑み下す音を数えて過ごしていた。

 やがて、その数を九百近くまでは数えたらしい、と記録が曖昧になってきたところ、木の扉が内側から開き、丸メガネをかけた身なりの良い初老の男性がひょっこりと顔を覗かせて、「どうぞ」と声をかけてきた。すぐに警備員が立ち上がったので、僕も慌てて立ち上がった。

 思わず、いつぞやの面接を、僕は思い出してしまい、いささか戦慄した。


「うん。山崎さんね。はいはい、調書はもう読んでいるからね。うん、うん」


 部屋の中には、豪華な木の机が一つ置かれており、その上には膨大な量のファイルや資料が積み上がっていた。そこに埋もれるようにガサゴソと資料をかき分けながら、「私は、菱田ひしだと言います」と、彼は名乗った。

 その初老の男性は、検事だった。


「それから、今日はね。これは、かなり例外なのだけれど、一緒に本庁の警部さんにも立ち会ってもらうからね」


「いえ、菱田さん。私は、まだ警部補けいぶほですよ」


 声の方を見ると、驚いたことに、僕とはあまり年齢も変わらなそうな人物が、どこか可愛げのある微笑みを浮かべながら立っていた。

 彼はマスクを付けておらず、おかげでその薄い目の印象は、いささか野暮ったい印象の鼻と口の印象に隠れ、総じて、よくお稲荷様に飾られているような、愛らしい狛狐こまぎつね様を連想させた。一瞬、どこかで会ったような印象を抱いたが、すぐには思い出せなかった。

 僕がじっと見つめている様子に気づいて、その警部補は、どうか安心してほしい、と優しい口調で言った。


「災難でしたね、山崎さん」


「それじゃあ、伏見ふしみ警部補。すみませんが、現時点で分かっていることを、彼も交えてご説明願えますかね」

 菱田検事の和やかな口調に合わせて、伏見警部補も丁寧に事件の経過を説明してくれた。


「君ももうすでに知っていると思うけれど、東国鉄の首都管区だけは、将来の遠隔操作時代に対応するための機能が極秘裏に開発されていた。と、言っても、もちろん国交省や運輸局は承知の上でね。今月に入って、東国鉄ではごく一部の最新車両だけを対象にして、各機能をテストするため、一時的に中央指令管制サーバー上に各種遠隔機能をアップロードしていたんだ。それが今回、何者かの手によって不正利用され、多くの死傷者を出す事件を引き起こしてしまった。実は、今回の事件は、一般には、ただの車両故障の上の事故、ということで片付けられている。当然だね。車両の遠隔操作事業は、東国鉄が主導とは言え、実質上は国家事業に等しいプロジェクトだった。それがあろうことか不正侵入を許し、最悪なことに死者まで出してしまった。今、お偉さん方の間じゃ、この車両遠隔操作プロジェクトの存在自体を抹殺するために、てんやわんやの大騒ぎだよ。おそらく、中には一生軟禁状態で残りの生涯を暮らす人も出てくるだろうね。いや、君がそのゲームとやらを遊んでいたという事件の当日、当然、複数のメディアがそれを『事故』として大きく報道していたんだ。それを君は、知らなかった。勘違いしないでほしいけれど、これは素晴らしい幸運、と呼ぶべきだよ。もし、そのことを知って、君が自分勝手に、例えばSNSなんかで騒ぎ出してしまっていたとしたら、これはもう、どうしようも無かっただろうね。そうなっていたら、今頃、僕はここでこんな悠長な説明を君にしてはいなかっただろうし、もちろん、君は完全なる実行犯として徹底的に糾弾されて、あまつさえ天才ハッカーだとまで持ち上げられて、例の車両遠隔操作プロジェクトは、『不正侵入されたのは、相手が天才ハッカーだったので、文字通り天災だったのだ』という理屈で難を逃れつつ、全ての諸悪の根元を君だということにして、ひっそりとプロジェクトは継続される形で幕引きされていたはずさ。いや、今回、君が逮捕された理由も、とりあえずは実行犯であることは間違いないものとして現場が令状請求したからに他ならないけれど、客観的に見て、災難であったことは、僕の個人的な感情としては否めない。さっき僕が『災難』と言った言葉の意味は、そう言った事情を勘案してのことだよ」


 一連の説明の中で、僕は出来る限り神妙な顔で、菱田検事の机の前に置かれたパイプ椅子に座っていた。

 正直なところ、ただの落ちこぼれ気味な大学生にとっては、もはや雲を掴むような話だった。まるで現実感が無く、僕はポカンと口が開いてしまいそうなのを、視線を泳がせながら堪えていた。

 さて、と一呼吸置いて、伏見警部補は続けた。


「私の所属する本庁サイバー犯罪取締課での調査によれば、君が操作していたパソコンには、どうやら外部から進入されていた痕跡が見つかってね。手口としては、恐らくは標的型メール攻撃に代表されるようなものだと思うけれど、いわゆるバックドアが仕込まれていた」


「バックドア?」菱田検事が丸い眼鏡を上げて、首を傾げた。


「意図せずに外部と通信するプログラムをインストールされてしまっていた、ということですよ。今回の場合、彼のパソコンは、日本国内の合計四箇所に設置された公開プロキシ・サーバーを通じて東国鉄の中央指令管制サーバーへアクセスを試みていたことが分かっています。調査中のため詳細は不明ですが、東国鉄側にもバックドアは仕込まれていたと仮定するならば、山崎さんのパソコンに仕込まれた悪意あるプログラムは、先ほどの各公開プロキシ・サーバーを経由することで送信元アドレスを偽装しながら、東国鉄側の中央指令管制サーバーへアクセス可能な何らかのルートを経由して、不正操作につながるパケットを送信していた、ということでしょうね」


「すみません。質問しても、よろしいでしょうか」


 僕の発言を、伏見警部補はこころよく許してくれた。


「僕がよくわからないのは、あのゲームは、どう見ても、”ゲームにしか見えなかった”と言うことです。キャラは全てドット絵で表現されていましたし、セリフも全て文字でした。僕の操作がそのまま車両に反映されていたのだとしたら、多分、表示される画面も、ある程度はリンクしていないといけないと思うんです。そうで無かったら、僕は」そこまで言って不意に、鼻の奥がツーンとしてきた。


「……すみません。もし、表示される画面と現実に大きな解離があれば、僕は、操作をどこかで止めることができた、かも知れないんです。つまり、このことは、真犯人にとっての不確定要素になるのではないでしょうか」


 几帳面な立ち姿で腕を組んでいた伏見警部補は、人差し指をピンと立てて、「良い指摘ですね」と言いながら、慎重に言葉を選ぶようにゆっくりと部屋の窓際付近を歩き出した。


「これについては、私の方で仮説があります。先ほど、君のパソコンにはバックドアが仕込まれていた、と言いましたね。そもそも、バックドアは外部から侵入するためのものです。今回のように君が直接プログラムを操作する場合、普通は君の操作する情報、つまりはパケットが、東国鉄方面へ向かうだけの一方向通信だけで、事は足りるはずです。その場合、君のパソコンのバックドアは使わないのですから、不要なのです。ですが、それでは、君の言うとおり、『ゲームに見せかけて車両を任意に操作させる』と言う事は、現実には難しいでしょう。君が言うとおり、ゲームは最新の状況がわからなければ、正しく操作はできない。だから、最新の状況、つまりは車両内の監視カメラ映像などが、どこかから君のパソコンのバックドア経由で流れ込んでいた、と考えるのが妥当でしょう」


「でも、それでは……」


 僕の不安を援うように、伏見警部補は優しく、僕の発言を制した。


「そうです。実際にゲームの画面で見えていたのは、ドット絵や文字などの”ゲームらしい表現”であって、生々しい監視カメラ映像ではなかった。もし、本当の監視カメラ映像やセリフが出るゲームであったなら、山崎さんはきっと、そのゲームで遊びなどはしなかったでしょう」


 その通りだ。僕が無責任にもそんな危険なゲームを遊んでしまったのは、そもそも『無責任に遊ぶこと』が当然の、現実とは無関係なゲームだと信じたからだ。

 僕は逮捕されてから、今日この部屋に来るまで、ずっと、自分はなんて罪深いことをしてしまったんだと、そんな思いだけに深く囚われていた。でも、伏見警部補の説明を聞いていると、僕を貶めるためのとんでもなく用意周到な計画の片鱗が見えてきて、狡猾な真犯人、恐らくはあの男の顔がチラついて、僕の胸の奥には沸ふつとたぎるものがあった。


「山崎さん、これは、あくまで私の仮説です。実際のところ、監視カメラの映像から人の映像だけをデフォルメされたドット絵に変換することや、その映像の中にある人間の音声を文字に変換する技術は、すでに存在します。それらの映像・音声変換処理とそれら情報をリアルタイムに送信する仕事を担うサーバをネット上に配置して、君のパソコンと東国鉄の中央指令管制サーバとの間で三角形に通信を確立させることが出来れば、理論上、この犯罪は不可能ではありません」


 伏見警部補はさらに、その方式のメリットをいくつか教えてくれた。

 一つ、仮にゲームのプログラムを怪しまれても、それ単体ではまともに動作せず、不具合だらけの手作りゲームに偽装する事が可能なこと。

 二つ、バックドアを仕込む標的型メールを巧みに利用することで、確実にゲームを遊んでくれそうな人間に手渡す計画が立案可能なこと。

 三つ、バックドアを仕込んだ対象のパソコンからの通信偽装をあえて国内のプロキシ・サーバー経由にするなど、あえて容易に通信元を割り出せる工作をすることで、捜査の撹乱を狙えること。


 この時点で、僕が受信したあの東国鉄の面接日程メールのリンクを開いてしまったことが、全ての元凶だったことが知れた。そうと分かると、本当に、涙が出てくるほど悔しかった。

 何が、胡蝶舞、だ。あの浮かれていた当時の僕を、時を遡ってぶん殴ってやりたい。


「僕は、あいつに、完全にめられた。そう言うことですよね……」


 時々、湧き出る怒りで腕が震えて、ガチャリ、と僕の手錠が冷たい音を響かせた。


「『あいつ』とは、この供述にある『キツネ目の若者』のことですかね」


 のんびりとした口調で、菱田検事が資料に老眼鏡を向ける。


「そうです! そいつは、僕にこの悪魔のゲームをくれた真犯人です」


「うん、うん。まあ、でも、君のこの供述調書によれば、そのキツネ目の男については名前も年齢も現時点では判明しておらず、外見的な特徴についても、マスクをつけていて前髪も長かったから、うっすら目元しかわからない、と言うんじゃ、少なくとも、時間はかかりそうですなあ」


「菱田検事。それについては、我々本庁も全力で事に当たりますよ。少なくとも、上はそのつもりです」


 おどけた様子で肩をすくめて見せてくれた伏見警部補の目元は、とても優しかった。


「はい、はい。それじゃあ、そんなところで、そろそろ私から、山崎さんの取調べを始めさせていただきますかね」


 そうして、今までになく和やかな雰囲気のまま取調べは終わり、S区警察署に戻った僕は、すぐに釈放された。

 僕の持ち物を返してくれた拘置所の担当官は、処分保留のまま、こんな短期間で釈放になるのは珍しい、と何度も言っていた。

 硬く口止めされたので言わなかったが、やっぱり例の車両遠隔操作プロジェクトの失態が関係しているのだろうか。

 外に出ると、時間は十九時を回っており、あたりはすっかり暗くなっていた。

 近くを通る首都高からのオレンジ色のライトが目の前の道路を照らしていたが、その道路は首都高と交差しており、僕が駅に向かう方面は、ひどく薄暗かった。

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