6   

 玄関の呼び鈴が鳴った。


 近くに転がっている目覚まし時計を見ると、まだ十時を少し回ったところだった。

 正直なところ、勘弁して欲しい、と思う。

 頭がガンガンするのだが、不思議と、すぐに立ち上がることが出来た。

 とりあえず鼻をつまみながらトイレで用を足し、鏡を見る。幸い、コンビニで買い物をしたままの格好のようだ。

 そのまま、玄関に向い、覗き穴を確認する。


『N放送協会 おさふね』


 今日は土曜だったのか、と思い、僕は名状し難い臭気を帯びた息を真下の空間に吐き捨てた。


(いや、待てよ。そう言えば、テレビはもう片付けたんだったな。と、すれば……)


 この時、ほんの少しの間でも有頂天になってしまっている僕を、誰か助けてほしい。

 二日酔いの延長で頭がどうかしていたことを差し引いても、余りに救われない流れだと思う。


「お生憎だったな! あのテレビは、捨ててやった……ぜ?」


 勢い良く玄関扉を開けざま、僕の目に映ったのは、三人の男だった。

 もちろん一人は、おさふね殿。そしてその両脇には、いかにもなロングのトレンチコートを羽織った、屈強そうな男二人だった。


「おい。お前、もういい加減、そこどけよ。オラ」


「あ、アン。あ、はい。スミマテぇン……」


 左側にいたラグビー全日本代表のような男に肩を小突かれて、長身をナヨナヨくゆらせながらオカマみたいな挙動を一瞬披露したおさふね殿は、スミマテぇンを連呼しながら、男たちを大回りに避けて、そのままアパートの階段を駆け下りて行った。

 何なんだ、あの野郎は。気持ちわりいな、ずっとドアの前から動かなかったぞ。

 屈強な男二人組みは怪訝な表情でブチブチと文句を言いながら、階段から響く音の方をしばらく睨んでいた。

 が、その矛先はすぐに、僕の方を向く。


「おい。アンタ、山崎蓮か」


 右側の男が鋭く質問を投げてきた。少し小柄だが、逆にカミソリのように触れた側から切り裂かれてしまうような印象を持つ、左のラガー代表とはまた違った種類のヤバさを感じさせてくる人間だ。


「はい、そう、ですが」


「よし。S区警察のモンだけどよ、ちょっと、一緒に来てもらうぜ」


 とても逆らえるような雰囲気ではなかった。いつの間にかアパートの下に停めてあったパトカーで、すぐに僕は連行された。

 車中では重苦しい沈黙のまま、僕は両脇を先ほどの屈強な二人に挟まれて、妙に目だけがギョロギョロと動いていることが自覚されるような有様だった。

 一度、右に座ったカミソリ殿から、「あんた。その貧乏ゆすり、何とかならんの」と声で威圧された時は、本当に心臓が止まるかと思った。羊の数を数えるので待ってほしいと言うと、何故か彼はもう何も言わずに前だけに視線を向けて、もう二度とこちらを向くことは無かった。


 僕はそのまま両脇をガッチリ固められた状態で、S区警察署の入り口を通過し、まっすぐ正面奥のエレベーターへ連れて行かれ、そのまま四階へと連れて行かれた。

 迷路のような、それでも透明のパーティションで区切られたフロアを複雑に縫って、取り調べ室5と書かれた部屋に通された。と言うより、無理やり座らされた。

 そこは大と小のデスクがギリギリおける程度のスペースで、僕が座らされた側と、カミソリ殿が座った向かい側との間には、それらデスクがギリギリに詰まっており、それが為にお互いの入り口が異なっているほどの、ひどく窮屈で異質な空間だった。

 まるで、僕を絶対に逃さない、とでも宣言されているようで、また、正面に座ったカミソリ殿と、その後ろで壁によりかかるように立っているラガー代表殿の、有無を一切言わさぬ視線の圧は、僕をひどく怯えさせるに十分だった。


「お前。昨晩は、どこで何をしていた」正面のカミソリ殿が分厚いノートパソコンをひらきながら、重い声の塊をぶつけてくる。


「え。いや、家、で、その。ゲーム、していました」


「一人でか」


「え、あ! あ、えっと」


「アリバイゲームとかじゃねえんだから、さっさと正直に答えろ。もう大体、こっちは『わかって』んだから」


「はい、一人でした……」


 一つひとつの質問に答えていく度に、カミソリ殿はパソコンに何かをカタカタと打ち込んでいく。

 『わかって』いるとは、一体、何を『わかって』いるのだろう。


 それからいくつかの基本的な事柄——学校名やら、実家の住所やら——を聞かれた後、唐突に聞かれた。


「んで、アンタ。昨日、何人、殺したんだ?」


「ヒュっ!」っと、僕にはそんな、吸気音しか発せられなかった。本当に驚いた時、人は単語一つ、喋れなどしないものらしい。

 自分がどんな表情をしていたのかはわからないが、そんな僕の表情を舐めるようにしばらく見つめ回したカミソリ殿は、右手で指をパチンと一度鳴らして、後ろを振り返った。

 あれ、持ってきて、と後ろに控えているラガー代表殿に指示する辺り、彼は比較的権威ある立場の人なのかも知れない。そんな、この場ではどうでも良い考えが、浮かんではすぐに消えていく。

 人を、殺す。僕が、コロス?

 全くもって、事態を飲み込めない。貧乏ゆすりを止めることも出来ず、僕はギョロギョロと泳ぎ回る眼球運動の痛みに耐えながら、ひたすら俯いて灰色のデスクのヘリに積もったほこりや汚れを追いかけていることしか出来なかった。

 やがて、カミソリ殿は俯く僕の頭の向こうから、何かを読み上げ始めた。


「昨日、東国鉄株式会社首都圏管区しゅとけんかんく中央指令管制サーバへ、何者かが複数回に渡って不正アクセスを行った。不正アクセスの明確な痕跡はサ犯課により調査中だが、東国鉄同管区で起きた下記の重大事故との発生時刻、及び同事故の発生原因が、東国鉄により開発中だった遠隔運転機能の暴走によるものだったことから鑑みるに、昨日起こった一連の重大事故は、全て同一人物の不正アクセスによって引き起こされたと推定されるべきものと認める」


「ひとつ。『首都環状線車両空調不正操作を主原因とする車内異常高温による無差別傷害事件』」


 それは、胸の深いところを、鋭利なもので突き刺されたような衝撃だった。


(む、無差別傷害事件……?)


 僕の脳裏には、寝転がりながらキーボードの上矢印キーに指を押し付けて、スマホを触っていた怠惰な自分の姿が浮かぶ。同時に、ピーチクピーチクと鳴り響いていた効果音、無数の吹き出しに刻まれた悲鳴と共に、乗客のキャラクターたちが右往左往苦しむ光景が目の前に甦ってくる。


「……発生時刻、およそ二十一時二十分から同三十分。火傷・裂傷などの軽傷者、二十三名」


 二十三名。その言葉が僕の鼓膜を震わせると、にわかにドット絵で表現されていた昨日のゲームの光景が、一瞬で阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図へと変化した。


「うう、ああ……」情けない声にもならない音が僕の口から漏れ出たが、カミソリ殿は一切気にする様子もなく、先を続けた。


「ふたつ。『首都環状線車両扉開閉装置不正操作による無差別殺人事件』」

 

 殺人。その単語は、僕の正常な意識を刈り取るのに十分と思えるほど、残酷で、容赦のない言葉だった。恐ろしくて、目を、閉じることが出来ない。でも、目から入ってくるこの取調室の冷たい蛍光灯の光は、むしろあのゲームでの光景を現実のものへと変換する触媒のような役割を以て、僕の精神を蝕んでくる。


「……発生時刻、二十三時五分、及び同五十三分。死者、二名」


(し、死んだ。しんだ、あの、チャラ男と、子デブ……へ、変な女……は、死んだ)


 グワっと扉が開いて、あの二人は、外の闇へ、ヒュっと吸い込まれた。その先は、一体、どうなったのだろう。

 僕の足の震えは、もはや貧乏ゆすりなどではなかった。どころか、全身が、寒い。思わず両腕を抱いて、身を守るように、机へ突っ伏す。が、一向に震えは、止みそうもなかった。


「みっつ。『首都環状線回送車両統合型電子制御減速機不正操作による乗務員殺人事件』」


 今になって思えば、確かに不自然だった。ミッション3の最後の場面は。

 唐突に映像が途切れたのは、そもそも、その車両が行き止まりに激突して、グチャグチャに壊れてしまった、からなのか。いや、それなら、あのドット絵の画像は、何なんだ……。


「……発生時刻、およそ零時三十四分から同三十七分。死者、一名。っと」


 カミソリ殿はそこまで話してから、一旦、沈黙した。僕は、ずっと机に突っ伏したまま、上体を起こせずにいた。


「山崎さんよ、弁護士に、知り合いはいるかい?」


 唐突にそう声をかけられ、僕は恐るおそる顔をあげて、かぶりを振った。そんな知り合いなど、もちろん学生の僕にいるわけがない。それにいたところで、もう手遅れな気がする。

 すると、カミソリ殿はニッコリと今までのことが嘘だったような笑顔を見せながら、「俺は、刑事の諌山いさやまだからね」と言いつつ、ちょっと待ってろよ、うーん、などと呟きつつ、また、ノートパソコンを叩き始めた。なぜ今さら自己紹介をしてきたのか、定かでは無かったが、ともかくも口調が柔らかくなったことに、僕は少し安心した。


「あ、そうだ。あんたんとこのアパート、鍵空いてたからさ、ちょっと中、見せてもらったよぅん」


「え、どういうことですか?」


「だって、パソコンにアレ、入ってるんでしょ〜?」


 やたらと優しい口調なので多少気味が悪かったが、確かに、もう警察は全てを知っているのだ。あれだけ具体的な事件の話を聞かされたのでは、もはや、疑いようが無い。

 僕は、ゲームで人を、殺したのだ。そう。これは、救いようもないほどの、そして、一切逃れようもない、残酷なまでの真実なのだ。


「ちょっとこっちでパソコン預かってるけど、まあ、良いよねえ?」


 ずっとノートパソコンをカタカタとしながら、諌山刑事は時々、話しかけてくる。

 僕は適当に相槌を返しながら、この大きすぎる罪の意識と、目の前で繰り広げられている、ただ座っておじさんと会話しているだけのゆるい現実とを、彷徨い歩く。

 今後迫りくる、僕への罰とは、一体、どのようなものなのだろう。いや、このゆるい現実すら息苦しく感じるほどの恐怖が、これ自体、罰と呼ぶべきものなのだろうか。

 わからない。僕には、ただ、何もわからない、という選択肢しか、自分を守るべき術が、残されていないように思える。


「じゃあさ、山崎さん。改めて、昨日の夜、具体的には二十一時くらいから夜中の一時くらいまで、何をやっていたのか、答えてくれる?」


「……ゲームです」


「あ?」


 一瞬、諌山刑事の目が光った。たった一息の声が、これほど人に恐怖心を植え付けるものだとは、知らなかった。

 何が、気に入らなかったのだろう。

 それでも、本当なのだから、仕方ない。僕は、もう一度、震える声で答えた。


「パ、パソコンで、ゲームを、していました」


「ああ、はいはい。パソコンね、はいよ。続けて」


 急に潮目が変わった気がしたが、なぜかはわからない。僕は引き続き、ゲームの内容や途中、コンビニに行ったことなど、出来る限り詳しく話した。


「これで、全部?」


「あ、はい。そうです」


「分かった。ちょっと待っててねえ」


 何を考えているかはちょっと想像もつかないが、諌山刑事は小さなプリンターをノートパソコンにつなげて、何かをカタカタと印刷し始めた。

 やがて、ペラペラな紙をひらりと中空に踊らせてから、彼はそれをしげしげと眺めた。


「じゃ、一緒に確認していくよ。もし、何か違うところがあったら、言ってください。良いね?」


「あ、ハイ」僕には、是非もない。


「えー。『私、山崎 蓮は、某月某日、右記住所たる自身の借部屋において、終日一人で過ごしていました。その前日も部屋におり、夜更かしをしたので、某月某日は二十時過ぎに起床し、パソコンを起動しました。パソコンには、私が用意した特別なプログラムがあり、それで、東国鉄株式会社の中央司令管制サーバへアクセスを試みました』」


(いや、用意……まあ、確かに、人からもらって自分の意思で遊んだのだから、用意、か。でも、その先が……)


 思わず、すみません、と小さく手をあげながら発言しようとすると、諌山刑事から「ああ? 何だ?」という声が飛んできた。

 また恐ろしくなってどうしても彼と目を合わせられなかったが、これだけは伝えた。


「あの、その。僕は、東国鉄の、その何とかサーバというところへのアクセスについては、全然意識していませんでした」


「はいはい。じゃあ、『結果的に』とか、入れておけば良いのか? 『結果的に、そうなってしまいましたあ』的な。あ?」


 街角にいたら絶対に声をかけたくない類の目の剥き方をして、諌山刑事は僕のことを睨んできた。


「は、はい。じゃあ、それで」というのが、僕には精一杯だった。


 諌山刑事は一度舌打ちをして、続きを読み上げていった。


「『……以上の通り、各事件につながる不正操作をパソコン上から私一人で実行しました。翌日、午前十時十七分、担当の刑事さんが私を尋ねてきたので、任意の聴取と家財の取り調べに応じ、今に至るものであります。以上の事実に、一切相違ございません』っと」


 ペラり、と一度、読み上げられた薄い紙は僕の目前で翻って、そのまま、目の前の机上に置かれた。諌山刑事がそそくさと、紙の横にグレーの丸い朱肉のようなものを置いて、「内容確認出来たら、右手でも左手でも良いから、人差し指でそれ付けて押印してな。こう、グルっといく」と言って、自分の人差し指の先っぽの側面から反対側にかけてをクルリと押し付ける仕草を見せた。

 僕は絶望感に打ち拉がれながらも、これも罰なのだ、と思い、一生懸命に全ての文面を読み返した。

 ところ。

 一点だけ、どうしても追記してもらいたい箇所に思い至った。それは、まるで天啓のように、雷鳴の如く僕の胸の内に大きな轟きと共に勃興した、忘れかけていた真実だった。


「すみません、ちょっと、ここ、なんですけど」


 指で、該当箇所を指し示す。するとすぐに、諌山刑事は噛みついてきた。


「ああ? どこよ? ん、だからそこは、もうここに『結果として』って入れたでしょうよ! あ?」


 猛烈な嵐のように僕の心の防波堤に打ち付けるその罵声を乗り越えて、僕は精神力の全てを総動員して、何とか声を振り絞った。


「『私が用意したプログラム』という箇所は、『ある人から譲り受けたプログラム』だと、書き直してください!」

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