4
失意の面接から数日、何もやる気が起きずに家で寝っ転がっていた。
相変わらず、頭の側面部分の奥の方がジワジワとして、軽く吐き気すら感じる。それでも、腹は減る。こんな時のために、電気ケトルにお湯は常備してある。枕元近くの食糧カゴからキツネうどんを取り出し、ちゃっちゃと粉を散らしてお湯を注ぐ。
それらの行動が、全て布団にくるまったまま出来る様に、僕の枕元はデザインされていた。この才能を、どこかの企業は活かしてはくれないものだろうか。
そんな根拠なき楽天的な考えが浮かぶほどには、うどんを食べ終わる頃には回復していた。どうやら、少し調子の良い日のようだ。そこで都合よく、例のゲームのことを思い出した。
(せっかくもらったものをやらないと言うのは、人として、ダメな気がする)
人生に気晴らしが必要なことは自明なので、僕は毛布を体にくるんだままで起き上がり、パソコンの電源を入れた。これまた枕元近くに放ってあるカバンを探し、キツネ目君からもらったDVDを取り出すと、改めて眺めてみた。
(まあ、どこからどう見ても、ただのDVD-Rだな)
予めゲームなのだと言われない限りは中身の想像が一切つかないほど何も書かれていないケースと、DVDの本体。とりあえず一通り眺めてから、本体をパソコンのDVDドライブに放り込んだ。
驚いたのは、しばらくの読み込みが発生した後、すぐにパソコンの画面上にインストール画面が表示されたことだ。普通に売っているゲームならば当然そうなるが、個人で適当に作成したゲームアプリにインストール画面が備えられていることは稀だ。
どうやら、キツネ目君の知り合いと言うのはなかなかのマニアらしい。これは多少は期待出来るかも知れない、と思った。
早速起動してみると、真っ黒な画面にシンプルなフォントの白字で『FOX HOUSE presents』と一度表示されて、あとは字面のドットがランダムに消えて、元の真っ黒な画面に戻った。
やがて、ファミコン風の荒いドット絵で『環状線ゲーム』と読める、やたら血生臭い色を散りばめて書かれた趣味の悪いタイトル画面が迫り上がってきた。背景に、目が完全に落ちくぼんでいるゾンビの女がこちらを引きずり込もうとするような絵が配されている。
(うわあ……ホラーもの、なのかな)
正直、面倒くさいと感じてアプリの画面を閉じてしまおうかとも思ったが、タイトル画面で『press start』という細かな字が一秒間隔で点滅する度に、シャキーンっと場違いな効果音が鳴って
『世はまさに、大リモート時代…
人々にはまだ知られていないが、あの環状線も、すでにリモートでの運行が可能だった…
そんな、ある日…』
(『大リモート時代』って、なんだよ……まあ、この作者の黒歴史を紐解いていることは、間違いなさそうだ)
ジワジワと浮き上がるストーリーらしき字面に、恐らくは首都環状線と思われる車内。女性と思われる小さなキャラクターが、たった一人で端っこの座席に座って目をつむり、ガタンゴトンと揺れる車内の振動に合わせて、コクリコクリと首ーー小さいキャラなので顔全体だがーーを上下させていた。
相変わらずのレトロなドット絵調だ。
意外とストーリーシーンは長く、その間、全く代わり映えのしない車内が表示されている。
無駄に壮大な語り口調で中身スカスカなストーリーを僕が要約すると、まあ、環状線の中によくいるムカつく奴らに、都合良く開発されたリモートコントロールシステムでイタズラしちゃおうぜ、みたいな感じだった。僕はたったこれだけのくだらない内容を、十分近くも見せつけられた。もちろん、ムービースキップなどは一切出来ず、何とウインドウの最小化すら出来ない。
『ミッション1 熱々カップルを溶ろけさせてしまえ!』
僕はミッション選択なる画面でこの第一のミッションを拝見した時、どうしても変な寒気が背中を駆け巡ってしまい、思わずこの画面から顔を背けてしまった。
だって、そうだろう。この独特の寒気は、恐らくこのエアコンもついていない真冬の部屋のせい、だけではあるまい。
よく見ると、ミッション選択画面の枠は全部で四つあって、ミッション2以降にはまだ何も表示されていなかった。どうやら、ミッションクリア型のゲームで、全四面程度のボリュームしか無いらしい。
(何かの憂さ晴らしになる……)
キツネ目君がそう言っていたことを思い出すと、同時に、面接でのおじさんの盛大な机ドラムの悪夢が甦ってきた。
(くそっ。やってやる、やってやるよ)
カターンっとエンターキーを叩くと、画面は暗転した。
が、そこから一分近く待たされた。どういう作りなのかは知らないが、わざとらしい○○ connectionなる文字列が二十個近く、上から順に並んだ画面が映り、それぞれの列の右端に表示されたステータスと思われる表示がまるで映画のように『None』から『OK』へと順番に変化していくと言う、どう考えてもこのゲームに必要とは思えない演出が入っているのだ。特に、これはゲームを繰り返すことで判明した最悪の仕様なのだが、 『HQ host connection』とか言う下から三番目にある列の待機時間が一番長く、加えて信じられないことに、時々『NG』と出ることがあった。そうなると、二度と次の画面には移行せず、アプリを強制終了してから再起動するしか復旧の手段がなく、また『大リモート時代』なる黒歴史を見せられるところから始めなくてはならなかった。これが、世に言う苦行の類だろう。キツネ目君には申し訳無いが、頭に”クソ”を付けて呼ばれるべきゲームであることは、しばらくプレイした僕の正直な感想である。
ともあれ、ミッション1はスタートした。
画面は見慣れたドット絵の車内で、吊り輪に掴まる人間がいるほど混雑はしていたが、全て埋まった画面中央の座席のちょうど中程に、ターゲットと思しきカップルが座っていた。
だが、別にイライラするほどイチャイチャしている訳でもなく、礼儀正しそうに静かにドット絵のキャラが並んで座っている様子にしか、僕には見えない。
画面の右上には、大きな文字で『28.5℃』と表示され、その下の空間には、上下にそれぞれに向いた二つの三角形が配置されていた。ちょうど、エレベーターを呼ぶ時に押すボタンのような感じだ。試しにキーボードの矢印キーを押してみると、上下それぞれの操作に合わせて、温度の表示が変化した。
(ははあ。どうやら、適当に温度を上げて、このカップルにイタズラしろってことか)
特に何の説明も無い画面だが、それくらいのことは分かる。が、どう考えてもつまらないゲームとしか思えない。
はじめから期待などはしていなかったが、それに輪をかけて、だいぶ肩透かしを喰らった感のある僕は、また布団の上で横になりながら、適当にキーボードの上ボタンに指を置いて、余った方の手でスマホをいじっていた。
しばらくすると、パソコンの画面からピーチクピーチクとキーの高い効果音が流れ始めた。スマホから視線を移すと、小さなキャラたちが騒いでいるようで、何やら画面内の車内をひたすら行ったり来たりしている。温度を確認すると、『60.0℃』と真っ赤な文字で表示されていた。僕の印象としては、大して高くも無い数値にガッカリしたが、面白かったのはキャラに表示される吹き出しで、『アツ、アッツ、ナンダコレ』『ドウナッテンダ、シャショー、シャショー』など、恐らくはキャラの声のトーンを再現して大きさを変化させているのか、ギザギザとした様々な大きさの吹き出しが、所狭しと画面全体に次々と表示され、それが妙にドット絵のチビキャラの滑稽な動きとリンクしており、笑いを誘った。
そのうち、画面上で右往左往していたチビキャラは、全員どこかへ行ってしまった。どうも一画面分が電車一車両分を表しているようで、別の車両へ逃げてしまったと見える。車両の両端から、『ヤベー、マジヤベー』などと言う小さな吹き出しが、時々表示されていた。
しばらく眺めていると、画面中央に『Mission Completed!』と無機質なゴシック文字が表示され、画面は暗転し、何故かタイトル画面へと戻った。
いつの間にかあぐらをかいた状態で布団の上に座っていた僕は、一旦飲み物を取りに、玄関脇のコンロ台の下に格納された冷蔵庫へ向かった。雑誌墓場を通り抜けて、冷蔵庫のフタを開ける。扉と言うより、そんな表現がぴったりな大きさの冷蔵庫には、まだビッシリと買い溜めた発泡酒が残っている。と言っても、五本程度ではあるが。
つまらないゲームと言うのも、見事に飲酒を促すイベントなのだと僕は感じていた。
パキっとあまり景気のよく無い音をあげて缶のプルタブをひっくり返してから、チビチビとやりつつ、黒歴史を再生させ、ミッション画面から次のミッション欄を見ると、
『ミッション2 タイミングよく痴漢を追い出せ!』
と言う、何のひねりも無いタイトルが現れていたので、僕は相変わらず寝転んだ姿勢をとって、無感動にキーボードを叩いてそのミッションを選択した。
例の『HQがNG』する謎の不具合をここで初めて経験した後、二本目の発泡酒を飲みながら、画面を見ると、やはりミッション1と同じように電車の車内が表示された。
今度の画面では、車内の様子以外は何の表示も無かった。だから、何をすれば良いのか、全くわからない。
画面中央付近の乗車口を見ると、左側の扉へ寄りかかるように、バーコードハゲのサラリーマンが突っ立っている。その右側には、いささか茶色い肌をした女子高生風のキャラがスマホらしきものをいじっているようだった。
てっきりこの二人が『痴漢』の当事者なのだろうと思い、しばらく妙な期待をして様子を眺めていたが、結局、何も起こらなかった。
そのうち、車内の揺れが止まる演出がなされ、何と乗車口が開いた。そして、先ほどのサラリーマン風のキャラは普通に電車を降りてしまい、プシュッとその扉が閉まると、画面全体はゆっくりと赤い色に染まり、レクイエム調の荘厳な曲が突然フェードインしてきて、中央には無駄におどろおどろしいドット絵で『You Dead』と表示された。
「何でじゃっ!」
思わず地の言葉が飛び出すほどの出来事だったが、何しろ、この演出だけ音楽や字面がやたらと凝っており、作者の力の入れ具合には大いに疑問を感じざるを得なかった。そして、シャキーンっ音の響くタイトル画面から見事にやり直しとなり、また黒歴史を見させられる羽目となった。
合計四本目の発泡酒を飲みながら、二度目のミッションチャレンジをしたところで、画面右上にクネクネと踊る『縦棒』に気がついた。踊ると言っても、縦棒の頭と足の部分は固定されている。つまり、中央の腹の部分が微妙な速さ、まるで毛虫くらいの速さで、左右に行ったり来たり、クネクネとするのだ。そこで、ピンっと来た。
(これは、何かのタイミングを表わしているんだ。つまり、この縦棒をヒントにして、キーボードのキーを上手いタイミングで叩くと、クリアとなるのでは……)
当然、左右に揺れる縦棒がタイミングのヒントなのだから、それがピッタリ上から下まで一直線になるタイミングだと思った。
車内の乗車口には、先ほどとは全く違うデザインのサラリーマンと女性キャラが比較的混み合った車内で隣同士、肩を並べてじっとしている。どうでも良いことかもしれないが、じんわりと頭に来るのは、このゲームの車内の様子が、毎度全然異なるようにプログラミングされていることだ。女性キャラは初めて見るOLキャラになっているし、それどころか、車内に配置されているキャラクター全てが毎度全く違うキャラクターに見える。このことだけについては、物凄い労力だ。だが、その割りには、あまりにチープなゲーム性で、かつ『痴漢』行為も全然再現されておらず、やはり作者のセンスが、僕にとっては謎過ぎる。
そのうち、クネクネ縦棒が一直線になったので、適当にエンターキーを僕は叩いた。
すると、グバっと気持ちの悪い効果音が鳴り、中央の乗車口の扉が勢いよく開いた。側にいた男女のキャラクターは、『ウワ、ナンダヨ、マジデ』『キャー、イヤー』と立て続けに大きな吹き出しを出現させて、他の乗客と共にその場からサーっと散っていった。
そして結局、画面には『You Dead』と表示された。
僕は、閉口して、一旦、発泡酒の補給のため外に出ることにした。
五本目の発泡酒は、近所のコンビニに向かう途中で飲み干した。
外はかなりの寒さで、商店街に入ってすぐのコンビニに人はもう、まばらだった。
発泡酒は散々迷って、結局六本入りのものを一つだけ、買った。田舎の母親からは、酒量に注意するよう言われている。
何事も、ほどほどにせねばならんよ。
あのつまらないゲームを、もう二時間以上も熱中していることを考えると、確かに、少しいい加減にした方が良いのかも知れない。これが彼女でもできれば、或いは少し違ったのだろうか。友人たちの中には、すでに就職を決めた者もいれば、この人生最大のモラトリアムを、最愛と盲信しあう者同士でさんざっぱら謳歌せしめようと言うやつもいる。そして、僕にはいずれの道も結局最後まで用意されてはおらず、脳裏には、あの『You Dead』の文字が浮かぶだけだ。
六本目の発泡酒を我慢しながら、帰路につく僕の頭上には、月も見えず、星もきらめかない都会の夜空が広がっている。その夜空が都会の灯を反射してぼんやりと明るく見えるのは、それだけこの世の闇を人々が恐れてきたことの証明なのだろう。
むしろ。そう、むしろ、とことんまで、この夜空が真っ暗になってしまえば良いのに。そうすれば、少なくとも自分の未来に広がるモヤモヤと気味の悪い夜空を見比べて、こんな気持ちに、ならずに済んだのに。
しんみりとアパートの布団の上に戻り、かたわらに発泡酒を並べてパソコンの前に戻って来ると、一つのインスピレーションが浮かんだ。
ミッション2のあのクネクネ縦棒は、『電車の進行方向に対する曲がり具合』を現しているのではないか。ピンと直線になっている時は電車がまっすぐ進んでいるのだ、と考えれば、カーブの際の遠心力も働かず、結果として扉が急に開いても外に人が飛び出さず、つまりは『痴漢』役の男性キャラクターが外に飛び出さず、それが『痴漢を追い出せ!』と言うミッションの目的を達することが出来ていなかった理由なのではないか。
早速、パソコンのゲーム画面に戻る。黒歴史を再生し、六本目の発泡酒をあけ、しばし待つ。
もちろん、不安はある。扉前には、いつも男性と女性がセットで配置されている。だから、都合よく『痴漢』だけを追い出すことは、かなり難しいと思う。それこそ、かなりシビアなタイミングを必要としそうだ。
だが、考えてばかりでは仕方がない。やるしかない。人生は全て、トライアンドエラーなのだから。
ようやくミッション2に戻ると、今回はだいぶ混んだ車内が再現されており、扉付近の男女の密着度合いもかなりのものだった。男性はスマートな長身タイプのチャラくさいキャラクターで、女性側は少し小太りで長い黒髪の陰気なキャラクターが描写されている。
(いや、これ、何だ?)
混雑した状況のため、チャラ男キャラは扉側を向いていた。むしろ、その背後に密着する形で小太り女が上下にピョコピョコしながら、ぐいぐいとチャラ男を追い詰めていた。
どうやら、こう言うタイプの『痴漢』もあるらしい。
車内に表示される吹き出しは、全ての乗客の声を再現して表示されているようではあるが、明らかに小太り女の周囲だけ、『フフー、ブフー、フグシュー』など、小さくはあるが周囲の雑音吹き出しより余程大きな吹き出しが、絶えず生成されていた。
画面の行為より感じる独特の嫌悪感、それに酒が舌を滑り落ちる際の苦味が加わって共に嚥下された結果として、実に甘美な旨味へと昇華されていくのを感じている間、僕は例のクネクネ縦棒に十分な注意を払った。
上手く、この小太り女だけ、外に追い出したい。
(……今だっ!)
パカーンっと乾いたエンターキーの押下音が室内に響き、同時に、中央の乗車口が開く。
画面右上の縦棒は、見事な『く』の字を描いている。これ以上ないくらい、完璧なタイミングだと僕は思った。
小太り女は、見事に乗車口の外の闇に吸い込まれて行った。そして、チャラ男も一緒に飛んで行ってしまった。
僕はその瞬間、慌ててもう一度キーを叩いたのだが間に合わず、無情にも乗車口は、追い出されてしまった二人の乗客に一片の情も残さずに閉まってしまった。
後に残ったのは、ザワザワと困惑する声や悲鳴を現した吹き出し、それと、『クッソ、エ、ウッソ』と言う不自然に大きな、恐らくはチャラ男の最後の言葉と思われる吹き出しだけだった。
痴漢の対象も追い出してしまったので、僕も「くっそ!」と思わず呟いたが、画面上にすぐ『Mission Completed!』と表示されたため、「え、うっそ」などと、奇しくもチャラ男と同じセリフを続けて吐く羽目になったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます