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 面接のことについて、僕はもう、あまり思い出したくはない。

 あれは、地獄以外の何物でもなかった。確かに、当日は緊張していた。何もかも頭から抜けていた。直前までスマホで確認していた想定質問やら、メモアプリに書き込んだ志望動機やら、何もかもだ。それこそ、当日楽しみにしていたはずの胡蝶舞さんに結局は会えなかったことにさえ、その日中には思い至らなかったほどに。


「じゃあ、次。あなたの長所は、なんですか」


「あ、僕の長所ですか。ええ、まあ、あまり深く考えないことですかね」


 よく覚えていないが、キツネ目君の問答はとにかくあっという間に終わっていたように思う。何しろ、僕は自分が用意した一切合切が頭のどこを探しても真っ白になっていてパニックに陥っており、ただ貧乏ゆすりの足を止めるために頭の中で羊の数を数えようとして、思い浮かべるべき羊の頭にツノを生やすかどうか、むしろ、羊の頭にはそもそもツノが有ったのかどうかを真剣に思い出そうとして、全ての神経をそこに注ぎ込んでいた。

 その刹那にいきなり長所を聞かれて、思わず答えたのが、先ほどの回答だ。

 無理もない、とは思う。そうは思うが、僕の回答を受けたおじさんはすぐに四角い眼鏡の奥から鋭い眼光で僕を睨み返してきた。


「深く考えられないようなことが長所だと、君は本当に、そう思っているの」


 何だかまずい答えをしてしまったのだと感じて、思わず「え、いや、ああ、違いますかね。やっぱり」などと言い澱んでしまった。その煮え切らない態度が、どうもおじさんのスイッチを入れてしまったらしい。


「私は、君自身が発言したことについて、そう思っているのか、いないのか。どちらなのかと問うている! はっきりしなさいっ!」


「はい! 違うと思います!」


「何が?!」


「ええっ?」


 本当に、一瞬、意味がわからなかった。意味がわからなすぎて、素でハテナ顔を晒してしまった。

 ここで、おじさんは両手を振り上げて、長机を思い切りぶっ叩いた。鼓膜がはちきれそうなほどの悲鳴をあげて、机がその場で躍り上がった。


「長所が何かと聞かれてっ! 『深く考えられないこと』、などと頓珍漢な回答をほざきっ! さらには、”それ”は違うなどと不明瞭な撤回をして、”それ”、が何かと聞かれても、まともに回答出来ないっ!」


 文節ごとに机をぶっ叩きながら、おじさんは最後にぽつり、「……なめているのかね」と言った。

 ここまで来ると、僕はもう心底震え上がってしまって、拳に力も入らず、貧乏ゆすりも止まらず、口をパクパクとさせるしかなかった。


「社会人を、なめているのかねぇぇえええ!!」


 それ以降は、もはやまともな受け答えを、僕はすることが出来なかった。

 志望動機を聞かれて「電車が好きだった」と答えると、「それなら乗り物図鑑でも眺めていれば良かろう」と言われ、どんな職種に着きたいか問われて「とりあえず、リモートで仕事したい」と言うと、「君の知能に見合うリモート仕事など無い」と一蹴され、何か質問はあるか、と最後に言われたので素直に「僕、受かりますか?」と聞いたところ、「ぷっ!」とおじさんは意味不明にも吹き出し、すぐにゴホンゴホンと咳払いを利かせて、結局、そのままそそくさと面接を切り上げられてしまった。

 実際はもっといろいろあった気もするが、覚えているのはこんなところだ。何だかずっとおじさんに怒られているだけで、僕の初めての面接は終わってしまった。


「災難だったね。山崎君」


 面接部屋を出てからのキツネ目君の慰めの言葉が、心に沁みた。

 ビルのジメジメとした階段を降りる道すがら、僕は結構ネガティブな面接の感想をぐちぐちと彼に送って、いちいちそれらに丁寧な励ましをもらったあと、最後に彼から手渡されたものがあった。


「これ、良かったらあげるよ。何かの憂さ晴らしになるかも知れないし」


 見ると、飾りっ気のないDVDケースに入った何も書かれていないDVDのようで、彼が言うには、知り合いが作ったゲームが入っているのだそうだ。

 それを受け取った時、正直、僕にはそんなゲームなど、どうでも良いと思った。と言うより、世界中の全てが、もうどうでも良かった。自分は、何てチンケで無価値な人間なんだろうと言う感想が頭の中を埋め尽くしていて、つい、彼に名前を聞くことも、連絡先を交換するようなこともしなかった。

 キツネ目君とは、そのままビルの出口で別れてしまって、それっきりだった。

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