変化3.二人の変化

 寝取られ。


 交際している女性が、誰かほかの男に身体を使って取られてしまうことを指す。どう身体を使うのは具体的な言及はここでは避ける。


 ちなみにアルファベットでNTRとも表現する。


 ここ最近で出てきた新しいジャンルのように見えるけど、実はかなり歴史の古いジャンルであるらしい。


 好きな人は好きだけど、人を選ぶジャンルである。


 僕は正直、苦手なジャンルだ。苦手というより、幸せな展開から一転するというのが現実を反映しているみたいで嫌なのだ。


 せめて創作の中では幸せでありたいと思うのは、不自然なことだろうか?


 いや、そんな風に寝取られについて詳細に考えている場合じゃない。気が動転し過ぎている。


 僕の心配を他所に、佐久間さんは僕の腕を強く抱きしめながら一緒に歩く。


 昔は手を繋ぐのが精いっぱいだったのに、こんなに密着するのは初めてじゃないだろうか? 非常に柔らかいものが腕に当たっている。


「佐久間さん……」


「キーリーカー」


「へ?」


 彼女は再びふくれっ面で、僕を非難するような視線を上目遣いで送ってくる。


「さっきも言ったけど、苗字とか他人行儀すぎ! キリカって呼んでくれないと、返事しないからね?」


「……えぇー?」


 小首を傾げながら、佐久間さんは可愛いことを言う。言い方は異なるけれども、これは割と昔から言われてきたことだ。


渋木しぶき君、私達って付き合って二年以上経つんだし、そろそろお互いに名前呼びしない?』


『え……僕が佐久間さんを名前で呼ぶの……?』


『うん。試しに呼んでみてよ。霧華って。呼び捨てで』


『き……きり……き……きり……きり……きり……』


『なんで最後の一文字が言えないの?! なんか義手とか錆びた歯車が回ってる音みたいになってるんだけど?!』


 ヘタレな我が身が恨めしかったあの頃の思い出だ。黒歴史と言ってもいいかもしれない。


 だけど彼女は優しく、慣れるまでは苗字呼びで良いよって言ってくれたんだっけ。結局、最後まで苗字呼びだったけど……。


 しかし、今の僕はあの頃とは違う。成長した姿を見せるチャンスだ。


「キリ……キリ……キリ……」


「プッ……アハハッ! タケシったらまだ呼べないの? まーたなんか機械音みたいになってるんだけど、ウケるー!!」


 おおい僕!! 笑われてるぞ!! これじゃああの時の二の舞だ。せめて……せめて名前呼びを成功させろ!! 僕ならできる!!


「……霧華……さん」


「お、言えたねー。さん付けなのは気になるけどまぁいいか。なーにー、タケシ?」


 ゆっくりと彼女の名前を口にすると、彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべた。その笑顔は、あの頃と何一つ変わらない笑顔で……。


 今の佐久間さんの姿に、当時の佐久間さんの姿がダブって見えるようだった。


「霧華さん……久しぶりに会えて嬉しいよ。会えない間、凄い寂しかったよ。だから毎日声が聞きたくて連絡してたんだけど……迷惑じゃ無かったかな?」


「迷惑なんてあるわけないじゃーん! 相変わらず真面目だなぁタケシは」


「それならよかったよ……。離れている間、僕は本当に君が……霧華さんが好きなんだと自覚させられたよ。だから僕も色々と頑張れたんだ」


「もー……そんなに好きだなんて言われたら照れるじゃーん!」


「君の姿を思い浮かべるたびに、何でも頑張れる気がしたんだよ。だから大学では友人もできたんだ。もちろん、男の友人がほとんどだよ。女友達も……いないわけじゃないけどさ……でもあくまで友達で女性と二人きりで会うとか絶対にして無いし、そもそも女性として見れるのは君だけ……」


「ちょちょちょっっと!! タケシ!! ストップストップ!!」


 慌てた佐久間さんの言葉に、僕はふと我に返った。


 しまった、会えたことに感極まりすぎて天下の往来だというのに思いのたけをぶちまけてしまっていた。これは恥ずかしい。


 だけど恥ずかしい思いをしたのは僕だけじゃなく、佐久間さんもそのようで……。


「あーもー……顔あっつ……!! 何なのタケシ!! そんなに積極的になっちゃって!! 随分変わったねぇ……」


 両手で頬を抑えながらその小麦色の肌を朱に染めていた。耳まで真っ赤である。


 ていうか僕が変わったって……それを佐久間さんが言う? 僕はそんなに変わった自覚は無いんだけど……。


 変わったのは佐久間さんの方では?


 そこでちょっとだけ、僕は心臓が締め付けられるような感覚になる。そうだ、佐久間さんは変わった。


 それの原因を……さり気なく聞くチャンスなのではないだろうか?


「……ぼ……僕よりも佐久間さんの方が変わったでしょ? 色々と……さ……」


「あ、分かるー? 今日はネイルの色ちょっと変えてみたんだぁ! 可愛い?」


「あ、うん……可愛いよ」


 違う違う違う! 普段のネイルの色そもそも知らないよ!


 そこじゃないよ、もっとでっかい変化があるでしょうが!! あからさまに変わってる所があるでしょうが?!


 え?! そこに触れないの?!


「いや、そこじゃなくて……その……」


「んー? 何かな? 何かなー? 霧華ちゃん可愛いって言ってくるの?」


 彼女は人差し指を唇に当てて、わざと僕の答えを待つように焦らしているようだった。


 聞きたい……。なのに聞けない。二律背反する想いが僕の中でグルグルと渦巻く。


 そんな風に僕がまごついて聞けず、どうやって聞こうかと考えている間に……僕のアパートまで到着してしまったのだった。

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