再建23.黒い獣

 緑で一面覆われた森の中に、黒い色が広がっていた。いつの間に現れたのか、僕等は複数の獣に囲まれている。


 絶望的な光景に思わず身が硬直する。


 神話の時代に神相手に暴れに暴れたと言われる神獣フェンリル、それと同じ名前を関された魔物。


 いまだ生態が解明されておらず、目撃例も多くない魔物の一種。それがこんなに大量にいるなんて……。


「学者さんが見たら歓喜する光景かな? それとも絶望するかな……」


 身の硬直が少しでも解けるよう、自分を落ち着かせるようにそんな軽口を叩くけど冷や汗は止まらない。


 視線を一つしか感じなかったから一体だと思っていた……。


 いや、今も僕等への視線は一つしか感じない。


 群れの中でもとりわけ大きな一匹の個体、それが僕等をジッと見ている。


 きっとあれが群れのボスなのだろう。


 身体から出る色は毛並みと同じ漆黒で……その色からは何も感じ取れない。敵意、悪意、殺気と言ったものは何もない。


 僕等を取るに足らない相手として敵とすら見てないのか、それともそれらを感じ取れないほどに実力差が開いてるのか……。


「アニサ、僕の後ろに」


「……ダメだよ、ロニ。私も一緒」


 いざという時はアニサだけでも逃がそうと思っていたのだけど、彼女は僕のその考えを見透かし、否定するように隣に立つ。


 僕はなるべく彼等を刺激しないよう、剣はまだ抜かなかった。


 少しでも活路があるとしたら逃げることだ。だからこそ、下手に剣を抜いたらそれを合図に一斉に襲い掛かってくる可能性もある。


 ゆっくりと目線だけで周囲を見渡すが、ダメだ、隙間なく埋められていて逃げられそうもない……。


 僕等の動きに対して、彼等は何もしてこない。ただそこに居るだけだ。


 逃げるためにどうすればいいか。せめて一人分だけでも活路をと、覚悟を決めて戦うかと剣を抜こうとしたところで、ゾイックさんの声が聞こえてきた。


「あらあらァ、こんなにいっぱいでご挨拶に来るなんて……予想外ねェ」


 ゾイックさんは囲まれたことを気にした様子もなく、魔物達の元へと無造作に歩み寄っていく。


 下手に大声を出して刺激しては彼女が危険なため、僕はなるべく冷静に、大声は出さずに彼女に声をかける。


「ゾイックさん、危ないですよ」


「冷静ねェロニ君。音で刺激しないために大声を出さない……やっぱり君良いわァ。でも大丈夫よォ」


 何が大丈夫なのかと、せめて彼女をこちらにと思い駆けだそうとした時、ちょうどゾイックさんは群れのボスらしき個体の基に辿り着いていた。


 そして……そのボスらしき個体はゾイックさんに頭を垂れる様に頭を下げる。


「え?」


「久しぶりねェ……元気だった?」


 まるで普通の犬に対してするように、その毛を撫でていく。撫でられたその大きなフェンリルは気持ちよさそうに目を細めていた。


 僕とアニサがその光景を眺めていると、途端に頭の中に声が響く。


『お久しぶりです主』


 地の底から響く様な、聞いてるだけで気絶してしまいそうな恐ろしいその声に僕とアニサの肌が粟立つ。


「何年ぶりかしら? 突然来てごめんなさいねェ?」


『勿体ないお言葉です。しかし主には残念なことかもしれませぬが、お変わりなく安堵しております』


「変わったって言われて喜ぶのは若い女くらいよォ。ま、私もまだまだ若い小娘だけどねェ」


『……ご冗談を。主が小娘なら我々は赤ん坊となってしまいます』


 その恐ろしい声の主に、ゾイックさんはまるで僕等と話すときみたいな気安さだ。


 それからしばらくの間、一人と一匹の会話は続き僕等はそれをただ眺めていた。


『しかし、主の気配を感じましたのでご挨拶に伺ったのですが……我らが巣を荒らしている彼等は主の従僕で?』


「ん? あぁ、あの子達は私の従僕じゃあないわよォ」


『そうですか。であれば、速やかに排除いたしますのでしばらくお待ちを』


 その瞬間、息もできない程の殺気が僕等に注がれる。


 戦うなんてとんでもない、剣なんて抜こうとすら思わない、今すぐここから逃げだしたいのに足が全く動いてくれない。


 だけど逃げるわけにはいかない、せめてアニサだけでも!!


 フェンリルのボスが僕等に飛び掛かってくる、その動きを……僕は何とか見ることができた。


 自身を鼓舞するように大声を張り上げ、硬直する身体を無理矢理に動かす。


 剣を抜き、突進してくるフェンリルの身体へと叩きつける。ほんの少しだけ軌道をずらしたことで、フェンリルは僕等の後方へと着地した。


『私に傷を付けるとは……舐めすぎていたか。……次はもう少し本気で行くぞ』


 完全にまぐれだけど、それが火を付けたのか更に殺気が膨れ上がったかと思うと……さらに大きな殺気が場を支配した。


「こーらァ、早とちりするんじゃないわよォ? 殺気を収めなさい」


 いつの間にか僕とフェンリルの間にゾイックさんが立ち、ゾイックさんはフェンリルの殺気が可愛いと思えるほどの殺気で周囲を埋めていた。


『主……申し訳ありません。従僕ではないとお聞きしたので侵入者かと』


 その言葉に、フェンリルはその場に降参するかのように伏せをした。


「話は最後まで聞くものよォ? 彼等は私の従僕じゃなくて……」


 ゾイックさんは僕等の所にそのままゆっくりと歩いてくる。そして、僕とアニサの方にポンと手を置くと、微笑みながらフェンリルに告げた。


「私の新しい主なんだからァ。おいたしちゃダメよォ?」


 その瞬間、目の前のフェンリルの目が点になるのが僕にも分かった。


『……は?』


 先ほどまでの殺気が嘘のように、フェンリルは非常に間の抜けた声をあげていた。

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