第48話 ヒロインは皇帝陛下と戯れる

「つまり、私は無実でいいの?」

「そういうこと」

「....よかったぁ」


大きな大きなため息を長く長く吐いてホッと胸を撫で下ろした。どうやら、私は罪に問われないらしい。詳しくは、ネムがめんどくさがって教えてくれなかったけれど、とにかく今回の事でお咎めは無いし、第二王子殿下へ薬を盛った件も学園での出来事も全て冤罪だったと明らかになったとの事だ。

婚約式での出来事が無実になって本当に良かったし、学園での事も潔白を証明してもらえてなんだかおまけを貰った気分だ。

....でも、学園でサブリナ様への嫌がらせを行なっていたと思われていた私が無実であるならば、当然サブリナ様自身がそれらの行動を自ら行っていたということも明らかになる訳で。彼女は一体、今.....


「ねぇ、サブリナ様はどうなったの?」

「さあね、第二王子とよろしくしてるんじゃない?」

「.....そうなんだ」


彼女はいったい誰を愛していたのだろうか。数多の男性と逢瀬を繰り返し、彼らを魅了して殿下と婚約した彼女。きっとネムまでもをそちら側へと連れて行こうとしていた。一体彼女の目的はなんだったんだろう?誰かを愛していたのか、それとも誰も愛していなかったか...私の理解の範疇にその答えは見つからなかった。


「それで?」

「え?」


 突然投げられた主語のない問いかけに裏返った声が出る。首を傾げてネムの方を見れば、先程より幾分か柔らかくなった表情で瞳に熱を灯し、こちらを見つめていた。

私はごくりと生唾を呑んでネムを見つめ返す。先程手放した水が少し恋しい。


「ミューリアは、一度僕にさよならを告げて消え去ってしまったけれど、君の勘違いが分かった今、それでも僕とさよならするの?」


少し拗ねたような口調に頬が緩みそうになるのを耐えるのに必死だ。そっか...さよならしなくていいんだ。どうやら私は勘違いする癖があるらしいからちゃんと言葉で思いを伝えなきゃ。ちゃんと言葉で私の考えを、想いを大好きな彼に。


「私、ネムとさよならしたくない、ずっと一緒に居たい居て欲しい。私ネムが大好きだよ。本当に、ほんとぉに大好き。だから私とずっと居てくれる?おじいちゃんとおばあちゃんになるまでずっと!」






「...もちろん。僕も同じ気持ちだよ」



なんて、頬を赤くしながら少年のようにはにかむものだから、私はまたネムを好きになってしまう。布団の上に置いていた手にネムの大きな手が重なった。私の手の方が温かいのに、この重なる手はそれ以上にあたたかく感じる。

同じ思いを抱いてくれた。彼の瞳に私が映っている。そのことがこんなにも嬉しい。ここにきてやっと彼女の呪縛から解き放たれた気がした。

 もう何があっても、自分から諦めるのはやめよう。やっと触れられたこの手を自らの意思で離したりしない。もし離れそうになった時はちゃんと言葉にして離れないでと言おう。言葉を伝えよう。これは私の人生だ。私の意思で、私の言葉で自分の幸せを掴んでいくんだ。大好きな人と、大好きな人達と共に生きる為に。



「ねぇ、僕と結婚してくれる?」

「っえ!?け、け、結婚!?」

「してくれないの?」


あ、あざとい。いつもは絶対しない上目遣いとおねだり顔でこちらを見つめてくるネム。ずるい!でも、ずっと一緒にいるってつまりそういうことで...


「いいよ...私、ネムと結婚したい」


断る理由なんて、無いわけで....






「よし、言質はとった。宰相」


急に真顔に戻ったネムが指をパチンッとならす。すると直ぐに扉がノックされ一人の見知らぬ赤茶色の髪の知的な青年が部屋へと入ってきた。

因みに、私の目は点である。


「お初にお目にかかります。私、リストピア帝国で宰相を務めております、リクトル・ベア・ノイジーと申します。この度はご婚約おめでとうございます。未来の皇后陛下ミューリア・エルフィ・ルナール様。こちらが正式な婚約の書類となっております」


男性は丁寧な礼をとって私に挨拶をしてくれる。そして手に持っていた高級そうな紙をこちらへと差し出した。私もベッドの上で出来る範囲での礼をして、それを反射的に受け取った。けど、ちょっと待って....


「初めまして.....あのぉ、すみません。私礼儀作法があまり分からなくて...こんな格好ですみません。で、皇后陛下って...?」

「僕が皇帝なんだから、結婚したら君が皇后になるに決まってるでしょ」


すぐ横からさっきの甘さなど一欠片もない呆れた声が飛んでくる。私は錆びたネジを回した時のようなぎこちなさでギギギとネムの方へと顔を向けた。


そうだった...


 そんな子憎たらしい言い方でも、言っていることはごもっともで、隣にいる彼が隣国の皇帝だった最新情報をすっかり忘れていた落ち度は私にある。故に何も言い返せないのだけど...あまりの衝撃と困惑で空いた口が塞がらない。顎が外れそう


そんな心情を読み取ってか、私の顔を見たネムはニヤリと笑ってこう言い放つ。


「ようこそ貴族の世界へ」




「い、、、



いやぁぁぁぁぁあああああああ!!!」



カタカタと震える私を一人はくすくすともう一人はニヤニヤと笑う。こわい!なんかこわい!いや、忘れていた私が悪いし、嬉しさに舞い上がっていた私が悪いし、何にしろ私が悪いのだけれど、というか、どうして最初から皇帝と教えてくれなかったのかと論点をずらして八つ当たりしたい気持ちを誰か察して欲しい。


はっ!もしかして、これも自己解釈が斜めに暴走した勘違いだったの?...気がつきたくなかった。たしかにネムは隣の長の息子と言っていた。私の隣町の村長の息子さんという問いかけに肯定もしていなかった。...私、本当一回自分の性格を見つめ直した方がいいかもしれない。でも、違っていたなら否定して欲しかったなんて八つ当たりをやっぱり心のどこかでしてしまうけど許して欲しい。それだけ私にとってこの事実は大きすぎる!!


でも...最初から皇帝と知っていてもそれがネムならばきっと好きになっていたと思う。

っていうのは少し置いておいて、





「あ、あのぉ〜」


震える体を自分で抱いて二人の目み麗しい青年に問いかける。


「なに?」

「何でしょうか?」


ふたりの笑顔がこわい。


「やっぱりちょっと考え直そうかなぁなんて...あはは」


そんな私の発言を聞いてネムはそれでも笑って余裕の表情だ。宰相様は目を見開いたあと、クスクスと笑い始める。


「ミューリア様は冗談がお上手ですね。すでにその胸元に綺麗なフレイヤが咲き誇っているというのに」 


胸元?フレイヤ?自分の胸元をみてもよく分からない。何のことかと首を傾げていれば、隣から、はい。と手鏡を渡された。これどこから出したんだろうという疑問は一旦置いておいて、宰相様が言っていたことを先に確認しなければ。フレイヤってネムがくれた珍しい花のことだよね?婚約式の時は確かにつけていたけれど...

自身の首を触ってみたけれど、首にしていた花のチョーカーはやはり外されている。一体どこにフレイヤが...

手鏡を顔の位置まで上げて顔から胸にかけて確認してみる。




な、な、なんてこった。




髪ボサボサだ

こんな髪で喋っていたなんて。とりあえず手櫛で急いで前髪を整えなければ。


「ねぇ、ネム。髪の毛くしゃくしゃなの教えてよぉ」


声を潜めて言うとネムはクスリと笑って私の頭に手を乗せて優しく髪を撫でていく。


「別に気にならないけど?それより、そっちじゃなくてこっちを気にしてよ」


頭の上を撫でていた手は徐々に下へと降りて耳を撫で首筋を通り鎖骨で動きを止めた。そして何か眩しいものを見る様に目を細めたネムは何やら機嫌が良さそうだ。

そんな仕草にドキドキしているのを悟られてしまわないか心配しつつ鏡を覗き込みネムが指さした先を確認した。


「ん?これ...なぁに?」


ネムが指をさした先、鎖骨の下の位置にフレイヤの花が描かれていた。鏡を左右に動かしてみたり、遠ざけたり近づけたり、色々な角度からその控えめに咲いている小さく繊細で美しい花を見つめる。見事に描かれたそれは

、触ってみても素肌に触れた時の感触と変わりなく、少し擦ってみても消えることも滲むこともない。これはなに?


「フレイヤは実在する花ではなく、代々のネストリダリウムが花嫁に贈る契約なんだよ。自身の力を具現化して相手にも自身の力を注いでもらう。そうすれば、契約は成立して二人の体にその印を刻む。ほら、僕にもね?」


 頭にはてながいっぱいで説明してくれたのに理解が追いつかなくて、ただ、胸元を私に見せる為にタイを緩める仕草がかっこいいとか、今まで見たことなかった首筋を見て妙にドキドキしてしまったりだとか、そんなことで頭がいっぱいで。

見せてくれた場所にはたしかに一緒のフレイアが描かれていて、私は忙しなく自分の胸元が写る鏡とネムの胸元を交互に確認した。

そして、何度見ても一緒のそれに納得して一人考える。

ネムとお揃いの花。それは壁に隔たれた私達の繋がりを確かなものにしてくれているみたいで、何だか嬉しいようなちょっぴり恥ずかしいようなくすぐったい気持ちになる。ネムが私にこの花を送ってくれたことが何より嬉しい。本当にこれから先私と一緒に生きていこうと思ってくれてるのだ。別にネムの言葉を疑っていたわけじゃないけれど、その言葉を素直に受け入れるには私はあまりにも臆病だった。けれど、これからはそんな臆病をこの胸の花が慰めて背中を押してくれるだろう。胸のフレイヤに手を当ててそっと目を閉じたーーーーーーちょっと待って。これ、もう逃げられないのでは?いつの間にか契約しちゃってたってことなのでは!?....やられた!!!



「でも、ほら!お父さんとお母さんにもお付き合いしてることも言ってないし、まずはそれを伝えなきゃなぁ...って。ね、あはは」


冷や汗が止まらない。笑っているはずの口角がぴくぴくしているのが分かる。


「その心配はいらないよ。君が眠っている間にご挨拶に行って来たから」

「え!うそ!?お父さんとお母さんなんて言ってた?」

「お母様は笑って許可をくださったよ。お父様は腕相撲で勝ったら許してくださった。だから、安心していいよ」

「リストピアの名産品を手土産にお渡ししたところ、大層気に入って頂きました。また必要でしたら、いつでもお申し付けください」

「そ、そうですか...」


両親という断り文句の盾が、思ってた以上に脆くて、涙がでそうだ。一人娘だよ?私...。


「あのね、ネム...私貴族好きじゃないの。怖くてこわくてたまらないの」

「うん」


 本当は両親に文句なんてない。良いよって言ってくれたことが本当は嬉しい。ネムとだってずっと一緒に居たい。お嫁さんにって私を選んでくれた事が夢みたいで私は今誰よりも幸せ者だなって思う。

だけど、ダメなの。あの世界に飛び込んでいく勇気が、戦える自信がないの。

婚約式で初めてみた皇帝としてのネム。真っ直ぐ伸びた背筋に威厳を感じさせる佇まい。その横に並べる自信がない。


俯いた私は自身の手を見つめた。やっぱり器は先祖返りでも、中身はただの田舎娘で、そんな自分が嫌になる。私がもっとしっかりしていたら、喜んで隣に並べるのに。

こうして俯いて黙り込んでしまった私に気分を害してしまったのか、宰相様は出て行ってしまった。 


こうして再び二人っきりになった。何も話さなくなった私の頭を、ネムが優しく撫でてくれる。


「僕も嫌いだよ。皇族も貴族も。何なら世の中の全てが嫌いだった。気を許せるのは側にいてくれる従者とほんの少しの人間だけ。後は毎日が窮屈だった。そんな日々が嫌で、逃げ出したくて、時間が出来れば魔の森で一人で過ごしていた。そんな時出会ったのが君だよミューリア。君は僕の救いだった。君が隣にいれくれたら僕は先祖返りでも皇帝でもなく、ただのネムとしていられる。だから、畏まらなくていい。世界に染まらなくていい。ただのミューリアとして僕の隣にいてよ」


ずるい...。


そんなこと言われたら私の憂いが全部消えていってしまうではないか。

心がじんわりと熱をもつ。そう、なんやかんや理由を言いつつ本当はネムとずっと一緒にいる未来以外は望んでないくせに。私はほんとにずるい。



「私、ネムが好き」

「うん」

「大好き」

「うん」

「ずっと一緒にいてくれる?」

「うん」

「私、礼儀作法も貴族社会のルールもあまり分からないの。それでもいい?」

「ううん」




「...え?」


目に溜まる涙が一気に引いていく。あれ?この流れいいよって言ってくれる流れでは?

恐る恐る顔を上げてネムを見てみれば大変機嫌が良さそうな顔をしている。冷や汗再び。


「皇妃になるならやっぱり教養はどうしても必要なんだ。申し訳ないけど、勉強は頑張ってもらうよ。安心してミューリア。いい講師見つけたから!もう入っていいよ」


そう扉に向かって促せば間も無くして部屋の扉がノックされゆっくりと開かれる。それと同時に私の目は飛び出すのではないかというほど、大きく見開かれた。



「この度皇帝陛下のご婚約者様の講師の任を賜りましたアリーナ・デラーレでございます。よろしくお願い致します。ミューリア様」


猫のように愛らしいその御令嬢はこれまた愛らしく微笑んだ。けれど...


「い.....」

「い?」


「いやぁぁぁぁあああああああ」


私には鬼にしか見えなかった。


震えが止まらない。眠っている間に一体何をどうしたらこんなことに...


「まぁ、ミューリア様ったらお顔が真っ青ですわ。いけませんわ。淑女たるもの微笑みを絶やしてはなりませんと、あれほどお教えいたしましたのに...」


 私は思わずネムの袖を掴んで引き寄せ、腕にしがみついた。震える私とは別の意味でプルプル震えるネムを見上げる。


「さてはネム、笑ってるな?たのしんでるでしょぉ!!アリー怖いんだから!鬼なんだから!」

「あら、ミューリア様何か仰いまして?」

「いや!何にも!あ.!いえ、何でもごさいませんのよ!おほほほほ」


ネムがずっと楽しそうに笑ってる。こんな恐怖を目の前にしてもその笑顔を見てるとどうしようもなく嬉しくなってしまうのだから私はもうこの人から離れられないかもしれない。


 アリーに喝を入れられ、ネムに笑われ、なんやかんやとわちゃわちゃしていると次々と人が入ってきた。


「ミューリアさまぁ」

「リコル!」

「あ、そうだ。今日から君の侍女になったリコルだよ」

「よろしくお願いします。っうっう。嬉しいですぅ」

「はい。リコル様ハンカチどうぞ」

「アリーナ様ぁ。ありがとうございます」


え?何のこと?侍女?リコルが?ところで、ネムとリコルって知り合いだったの?


「失礼致します。ミューリア様お久しぶりでございますねぇ」

「え?あ..はい?ーーーあ!アクセサリー屋のお兄さん!どうしてここに?!」

「兄ですぅ。すんっすん」

「え!?リコルのお兄さんなの?」


リコルのお兄さんがアクセサリー屋のお兄さん?どういうこと?



「おい!ミュー!お前!俺を置いて行きやがって!お説教だ!」

「ぐぅちゃん!!」

「こらこら、グレン。レディの部屋でいきなり怒鳴るなんてナンセンスだよ」

「エヴァンさん!」


二人とも無事だったんだ。良かった。でもぐぅちゃんのお説教長いんだよなぁ。うへぇ



「ミューリア様お待たせいたしました。こちら我が国の資料でございます。ぜひお役立てください」

「あ、宰相様。おかえりなさい。え、分厚い....」


呆れて出て行ってしまったと思っていた宰相様がとんでもなく分厚い本を持って帰ってきた。これもしかして、読まなければいけないやつなのでは?



新たな恐怖が見え、さらに彼の腕にしがみついた私にネムがそっと耳打ちをする。




「すごく賑やかになったね。どう?これから嫌いな世界に飛び込んでいくにしては、楽しくなりそうじゃない?」


ぽかんとする私にネムは悪戯っ子のような笑顔で問いかけてくる。混乱し過ぎたあたまでもネムが笑ってるのを見ると嬉しい気持ちが込み上げて来ることだけは鮮明で。



そっか...私一人じゃないんだ。


どんな未来が待っているんだろう。

不安が無いわけじゃない。だけど、もうこの手を離さないと決めた。周りに呑み込まれた弱虫な私はもうさよならだ。どんな困難にも抗って大切な人たちと生きていく。


「うん」



今日で泣くのは暫くお預けだ。



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