第47話 ヒロインは目覚める

誰かが泣いている...

目を開けると見た事のない華やかな天井があった。枕はフカフカで布団は柔らかくて、両手はとても温かい。

 喉がカラカラでうまく声を出せそうにないし頭のなかは、まだぼーっとしてよく分からない。ここはどこだろうか?首を動ごかして辺りを見ようにも体が鉛の様に重く頭さえも動かせなかった。仕方なく視線だけで右手の温もりを辿っていけば慣れ親しんだ鮮やかな髪が揺れた。


「...アリー?」


掠れた声はちゃんと名前を呼べただろうか


 けれど、その心配は要らなかった様で私の手を握る手がビクッと大きく揺れた。

そして俯いていた顔をゆっくり上げたアリーはその猫の様に愛らしい瞳を見開いた。


「ミュー!ミュー起きたのね。良かった。ほんとぉに良かった」


 アリーが泣いている。心配かけちゃったなぁごめんねアリー。

 うまく言葉を話せそうになくてただその手を微かに握り返すことしか出来ない。

その瞬間、アリーと繋いでいる手とは反対の温かい手が大きく揺れ、強く握られたと思ったらなんだか水が掛かったように濡れてきた。そちらの方へと視線を動かすとそこにはメイド服ではなく黒いジャケットのお仕着せを着た水色の髪の少女がいた。


「...リコル?」


とうとう声は掠れて空気を吐き出しただけになってしまった。


「はい!ミューリアさま...ミューリアさまぁぁぁぁあ」


リコルはちゃんと聞き取ってくれたみたい。けれど、返事をしてくれたあとは泣き崩れてしまった。


アリーもリコルも無事で良かった。

それにしても、どうしようか。ハンカチどこかにないかな?視線を動かして探してみるけれど、体が動かせない以上どうしようもない。困ってしまった。どうしよう...


「リコル様。どうぞお使いになって」


そんな心配は無用だったようで、アリーがハンカチをリコルに手渡してくれた。アリーもハンカチで自身の目頭を抑えているから、2枚持っていた事になる。さすがアリー。抜かりがない。

それを受け取ったリコルは凄い勢いで目頭にハンカチを押し当てた。そしていよいよ本格的に泣き始めてしまってまた困ってしまう。

 声は出ないし、体も怠くて起こせない。二人は泣いているし、そもそもここは何処だろう?家ではない事は確かで、それでも私は西の森に居たはずで...何がどうなっているのか分からない。


「っう、っう、あのっ、こ、これお水ですぅ」


 嗚咽混じりの声の方へ視線を向ければ、いつの間にかリコルがお水を用意してくれていた。コップの中の水は持っている本人の動きに合わせて小刻みに振動している。


「ありがとう」


 声が出ないけれど、掠れた空気だけの音で感謝を伝えた。私が今どんな状況なのかは分からない。けれど、きっとこの二人の温もりは確かだ。

 さて、このお水どう受け取ろうか。

そう思ったと同時に上半身が何か大きな温かいものに支えられて起き上がっていく。

肩に触れられた手から心地の良い魔力が流れ込み体が軽くなっていった。


...いつの間に来ていたんだろう。


この香り。近くで感じる雰囲気。顔を見なくても分かる。それほど、私は彼が好きだった。だから振り向くのが怖い。こんなに肩から伝わる熱は温かくて優しいのに、彼は私を憎んでいるかもしれない。


 今もまだ受け取れないでいる水を急かすことなくリコルは持ってくれている。その隣にいつの間にかアリーが移動していた。

 とにかくずっと水をリコルに持たせておくのは申し訳ない。

横になっていた時よりも遥かに軽い腕を持ち上げてリコルからコップを受け取った。


そして、リコルは泣き顔を綻ばせて、アリーは私のおでこにキスを落として、部屋を出て行ってしまった。


自身の部屋よりも遥かに広い部屋での沈黙はやけに不安を掻き立てる。未だに彼の方を向けない私と、一言も話さない彼。

 けれど、ずっとこのままじゃあいけない。ちゃんとネムと話さなきゃ。ちゃんと向き合わなければいけないから。

リコルが渡してくれた水を一口勇気と一緒に飲み込んだ。久しぶりの飲み物は口の中を潤して爽やかな冷たさが全身を巡る。頭が一気に冴えていくようだった。


話さなきゃ。


彼女に関わった人達が、彼女へ恋慕し、私を敵視していようが今まではどうでもよかった。けれど、ネムは...ネムだけはちゃんと向き合って話がしたかった。例え、ネムがあの人のことを好きだったとしても。


「あ、あのね...」


 勢いよく吐き出した音は、先程の掠れが嘘かのように真っ直ぐ言葉を紡いだ。けれど、見切り発車もいいとこで話しかけたはいいものの、何から話していいのか分からなくなってしまった。

次の言葉が見つからず視線を落として掛け布団を握りしめる自身の手を見つめた。何か言いたいし、聞きたいけれど、何から言えば...まずは、勝手にキスしてごめんなさい?...いやいや、いきなりは私の精神が保たない。私なんであんな事しちゃったんだろう。

私が一番聞きたいこと、話したいことは...


ーーーネムは今誰を好きですか?


 そうだ。それが全てだ。聞くのは怖い。怖いけれど、勇気を出して聞くの。もしかしたら私ではない名前が出てきてしまうかもしれない。けれど...


こうやって今肩に触れている温かさに少しくらい期待してもいいでしょうか?


「ねぇ」


がんばれ、私。

私、がんばれ!



「ねぇ!」

「は、はい!!」


 こちらから話すつもりが急に向こうから呼びかけられて、肩が跳ね上がった。背筋はのびて思わず声の方へと顔を向けてしまったではないか。


そこにはやっぱりネムが居て...


「っひ」


 お、お、怒ってらっしゃる!!これは確実に怒っている顔だ。ど、ど、どうしよう。なんで怒ってるの?!


「な、な、ななんでしょう?」


病み上がりの体にこの顔は酷じゃありませんか、ネムさん?


「さよならって何?」

「へ?」


さよならって何と言われても...


「別れ際の挨拶の言葉?」


ネムは皇帝陛下だから、"ご機嫌よう"しか別れ際の挨拶知らないんだなぁきっと



「ふーん。じゃあ、君は僕とは別れるつもりだったんだね」

「え?」


ネムの言葉で頭の中が大混乱である。

急いで昨日の記憶を辿れば確かに私は最後に"さよなら"と告げていた。サーっと血の気が引いていくのが分かる。だって、あの日、あの時ネムはサブリナ様の隣にいたではないか。サブリナ様に"妬いてしまう"なんて愛を囁いて、私から彼女を庇っていて...だから最後だと思ったの。あれが最初で最後のキスでネムの瞳に私が映るのも最後で、触れることも最後で、もう会うことも無いのだと。あの時私はこれが本当に最後なんだと思った。だから私はさよならを言ったのだ。


「だって...ネムはサブリナ様のこと好きになったんじゃないの?」


蚊の鳴くような声で弱虫が呟く。目を見ていられなくなって顔を下に向けて俯いた。

誰が好き?って素直に聞きたかったのに出てきた言葉は拗ねた子供みたいで、嫌味を吐く大人みたいな、なんとも言えない嫌な言い方だった。


頭上から大きなため息が聞こえ、思わず肩が跳ね上がる。心臓が痛いほどドキドキしているのは、返答への不安とため息への恐怖からだろう。さらに顔をあげれなくなってしまった私と、ベッドの横の椅子にどかりと座ったネム。


「はぁぁ。本当、君の自己解釈は斜め上を全力疾走してるね」

「??」


 首を傾げてネムの言葉を頭の中で繰り返し、自分で噛み砕いてみる。

自己解釈が斜め上って事は的外れという事?




「もしかして私、勘違いしてる?」


 恐る恐る伺ってみれば、頭が痛そうに額を抑えながら"そうだよ"と、呆れた返事が返ってくる。それじゃあ...もしかして、


「ネムはサブリナ様のこと好きになったわけじゃあないの?」

「僕がデワイス嬢へ好意を持った瞬間なんて一度も無いよ」


なんだ...そっか。


「そっか...よかったぁ」


鼻がツンと痛くなる。

頬を伝った涙がコップの中へ落ち水面を揺らした。ネムも、サブリナ様の元に行ってしまうと思っていた。だって今までもそうだったし、彼女には人を惹く力があったから。だからネムも行ってしまうと思っていた。勘違いしていたことに気が付いて嬉しい事ってあるんだなぁーーーあれ?ちょっと待って...


「ねぇ...ネム」

「なに?」


私、勘違いしてとんでもないことをしたんじゃないだろうか?

涙も勢いよく引っ込んで体に緊張が走る。冷や汗もかいて暑いんだか、寒いんだか分からない。とりあえず、持っていたコップをベッドの脇にあるチェストの上に置き、両手を胸に当てて深呼吸をひとつ。


「私、勘違いで大暴れしちゃったぁああ。どうしよう。私、反逆者だああああ。せっかくネムがここに居てくれるのにもう、一緒に居られないよぉ」


今度は別の意味で涙が出てくる。

あの時、今まで耐えてきたものがネムが離れていくという悲しみで決壊し、もうどうでもいいと怒りと悲しみに任せて庭園で大暴れしてしまったのだ。自棄になっていたのも確かだけど、別に理性が無かった訳じゃない。もし今ここにネムが居なくてサブリナ様のところへ行ってしまっていたのなら、目が覚めた今でも後悔はしていないだろう。けれど、今私の隣にはネムがいる。来てくれた。だから私は後悔の中にいる。いや、大後悔中だ。そう、まさに後悔の大波に揉まれる大航海中。いや、言葉で遊んでる場合じゃないよぉ。どうしよう。

枕を抱えてぎゅっと抱きしめた。泣いているせいでひっくひっくと、しゃっくりがでる。

こうしてネムと同じ空間に居られるのは後どれくらいだろうか。もしかしたら、もうすぐにでも牢屋へと入れられてしまうかもしれない。


「ネムぅ...出来たら面会に来てね...」

「は?」


ネムから素っ頓狂な声が帰ってきた。顔を抱えている枕に埋めているせいでネムの表情は見えないけれどきっと私に呆れているに違いない。もしかして、そもそも面会とかいう制度も無いのかな?うわぁ、無かったらどうしよう。もう、お母さんとお父さんにも会えないんじゃあ...せめて、自分の口で親不孝な娘でごめんなさいって言いたかったなぁ。


「ねぇ、また自己解釈が斜め方向を凄い速さで駆け抜けてない?」

「そんな事ない。ネムも見たでしょう?私王様のお庭で沢山の人を巻き込んであんなに暴れたんだよ?重罪だよ。私は牢屋行きだよぉ」


せっかくまたネムと過ごせるかもしれないのに牢屋行きなんて...悲しすぎる

そんな盛大に泣く私の横で今日一番の盛大なため息が吐き出された。

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