第45話 皇帝陛下 後編
2人が去り、取り巻きもその後を追っていった。デラーレ嬢もどこまでも完璧な礼をして帰って行き、バルコニーに残るのは僕と宰相とケント王子だけとなった。
「さぁ、僕もそろそろ迎えに行こうかな」
彼女は今、燃えている森を救おうと必死になっているだろう。あの程度の鬼火なら彼女の力でどうとでもなるだろうけど、ただただ心配だった。普段なら部下達の実力にあった仕事を任せ、帰ってくるまで思い出すことはあっても気にかける事なんてしない。そんな時間があるのなら他の仕事をしているほうが効率がいいからだ。ただ、帰還した者達の報告を聞く。もしくは、中間報告で状態が思わしくなければそれに対応した指示を出すだけだった。
それなのに、彼女の実力は理解しているくせに心配ですぐに連れ戻したい衝動に駆られている。恋だの愛だのはなんて要領の悪いものだろうか。
他者の感情を読み取って分かった気でいたけれど、僕はまだまだ未熟でこれからたくさんの感情を知る必要があるらしい。自分に対してもそれ以外に対してもあまりに敏感に感じ取ってしまうものだから、感情の変動をあまり好ましく思っていなかったけれど、今はそれを知るのが少し楽しみな気もする。きっとそれに悩まされる日もまた訪れるのだろうけど、もうこの感情は手放せそうにない。
「陛下、どちらへ?」
ケント王子が僕へ問う。
そういえば、彼にはまだ断りと改めて返事をしていなかったことを思い出した。状況は変わったのだ。
「そうだ、ケント殿。以前仰っていた話、受けてもいいですよ」
僕の言葉を聞いたケント王子の目が見開かれる。それと同時に焦った声が隣から飛んできた。
「いいのですか?陛下」
「陛下!急に何を仰っているのですか!?」
声が重なった二人と違う温度の違う熱量に苦笑した。
「良いんだよ、宰相。あの時と状況は変わったんだ。フォレスティアはこちらに手を出した。こちらが介入する理由が出来たんだよ。だから、ケント殿」
「はい」
「貴方が王に即位するまでこちらは貴方の後ろ盾となりましょう。たしかに、貴方の言う通りだった。この国の現状を憂う気持ちお察しします。ただし、条件があります」
彼の瞳が喜びと警戒の色を宿し、僅かに揺れている。
「条件とは?」
「まずは、ケント殿が必ず王位に就くこと。もう一つは、これからのサブリナ・デワイスへの処遇にこちらも介入させていただく」
「デワイス嬢のですか?」
「えぇ」
思ってもみない返答だったのか次第に彼の瞳は困惑に染まっていく。それも、そうだろう。彼は今、まだこの状況を理解していないのだから。
何故か弟の婚約者であるデワイス嬢が弟に毒を盛った。予めそれを読み取りクリス王子に遣いを出して伝えたことにより、彼の意思で毒を飲む事は避けられたけれど...その事実を知った上でそれでも紳士的に振る舞う弟の姿を見て彼はきっとさらに分からなくなっただろう。けれど、王族である以上それを賓客の前で顔に出す事はなかった。先ずは現場が優先だからと、周りに指示を出し続けた彼も何故か無関係の僕が首を突っ込んでくるものだからさすがに感情が顔に表れている。
ま、そんな彼よりも乱れている人物がすぐ隣に...
「陛下。私は陛下を敬愛し、我が王としてお慕いしております。ですが、政治的な独断の発言は許容できません。お控え頂きたい」
静かに淡々と話す時はかなり怒っている時の彼の癖だ。そんな彼の肩をぽんぽんと叩けば、さらに肩が上がりお小言が零れ落ちそうになる。けれど、それを収める言葉を知っているほどには僕は彼との付き合いは長い。
「フォレスティアがこちらに手を出したと言っただろ?」
「それが分かりません。フォレスティア王国が我が国に一体何をしたと言うのですか?」
「ねぇ、宰相。森の姫はどうだった?」
「...森の姫?あぁルナール様ですか。彼女の力は本当に素晴らしかった。今思い出してもその強大な力に惚れ惚れしてーーー陛下、今はその話をする時ではありません」
「彼女は僕の恋人だ」
「なんと」
「彼女が皇妃ってどう?」
「素晴らしい」
「彼女冤罪かけられた上に怪我してたけど」
「それは許せません」
「じゃあ、まずは彼女の無実を証明しないと」
「もちろんです」
「どう、納得してくれた?」
「はい。なんなりとお申し付けくださいませ我が王」
胸に手を当て最敬礼をする彼の、このどこまでも己の信念に素直なところは好ましく思っている。
「じゃあ、ケント殿、そういうことなんで」
「どういうことですか!?!?!?」
先程までの王族としての装いが外れ、ただの青年の顔になった彼が可笑しい。
彼は優秀な王太子だと周りから聞いていた。現に、自国に不穏な動きがあり、それを正したいと協力を仰いで来た時の彼からも、その優秀さと誠実さを感じ取れた。今日の立ち振る舞いでもそうだった。けれど、いくら優秀な彼でも今起こっている出来事は処理しきれなかったらしい。困惑した表情はきっと本来の彼そのものなのだろう。
僕と関わってきた人物はいつも表に笑顔の仮面を貼りつけて腹では欲望をチラつかせていた。親しみを持って近づいてきた者たちは皆心で僕を裏切った。だから、親しい者なんていらない。僕自身に個なんて必要などなかった。皆の理想が形作った虚像に僕を重ねて生きればいい。自身はそれだけの存在なのだと言い聞かせてきた。
けれど、何も知らない彼女が何も持たない僕自身を見つけてしまった。ずっと押し込めて忘れていた己を彼女が無邪気に呼び起こしたりするから...全部彼女のせいだ。だから、友人というものに憧れていたまだ何も知らない幼い時の自分の心が動きだしてしまった。
「あ、あの陛下。話が全く...そのどういうことでしょうか?」
言葉すらも困惑を隠しきれなくなったケント王子は首を傾げながらこちらに尋ねてくる。そんな彼の裏のない表情に可笑しさとちょっとした嬉しさで笑ってしまう自分にあきれた。
「申し訳ありませんが今はゆっくり説明している時間がありません。明日、時の裁判の後これからのことも含めて話し合いましょう」
「時の裁判...ですか?それは一体」
「時の裁判!!!!!!」
ケント王子の言葉を興奮の声が被さる。そちらに視線を移せば、自身の右腕と言っても過言ではない側近が少年の様に目を輝かせていた。普段仕事に抜かりは無く外交の礼儀にも厳しい彼はこの手の話にだけは自我を保ってられないのだ。
「あぁ。二人には準備をしてもらっている」
「なんということでしょう...久しぶりに彼らの力を見ることができるのですね。あぁ、今日はなんて良い日なんでしょうか」
「興奮もほどほどにね。君も準備を手伝ってきてくれるかい?」
「はい!行きます!失礼致します」
宰相はそのまま目にも止まらぬ速さでその場を去って行った。もちろん僕とケント王子に礼を忘れることは無かったけれど、ぽかんとしている彼の目に見えたかはまた別の話だ。
「陛下、時の裁判とは一体なんでしょうか?」
我に返ったケント王子が先程聞きそびれた質問をもう一度投げ掛けてくる。
「時の裁判は.....まぁ、明日のお楽しみかな」
「えぇー.....」
生真面目な彼を揶揄ってみたい衝動に従ってみたけれど、癖になってしまいそうで少しこわい。ワクワクしている自分に気が付いてなんだかくすぐったい気持ちになった。
やっぱり彼女のせいだ。彼女のせいで、彼女のおかげで僕は今僕として生きている気がする。
「じゃあ、僕は恋人を迎えに行ってきますね」
「あの、ルナール嬢と恋人というのは本当なのですか?」
「えぇ、本当ですよ」
「.....羨ましい」
・・・・。
「.....彼女に声かけてみたらどうです?」
「えっ!?」
「さっき。あの時、あの瞬間から彼女のこと気になって仕方なかったんじゃないですか?」
「えっ、え!?なにを!?」
「デラー「うわぁぁあ」
慌てる彼に今度こそ声をあげて笑った。
「事が落ち着いたら一緒に酒でもどうですか?ケント殿?」
「ゼェハァ...は、はぃぜひ...」
さぁ、空が闇を押し上げ朝が生まれようとしている。早く迎えに行かなければ。
そうして僕は自身の魔力の結晶を身につけた愛しい人を思い浮かべその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます