第43話 皇帝陛下 前編

絶望した。


自身の口元を手の甲で拭えばそこは小さな赤に染まる。口の中では鉄の味がじんわりと広がりなんとも言えない微妙な気持ちになった。


「下手すぎるでしょ」


 僕だってだれかと口づけなんて初めてだけど、絶対彼女より上手く出来る自信がある。

これから口づけする度に血を流すのはごめんだからね、一緒に練習しないと。

 それにしても、どうやら彼女は自己完結してしまう所があるらしい。今だって何を勘違いしたのか、泣きそうな顔で僕にさよならと、別れの挨拶をして行ってしまった。ぶつかった唇から感じたのは僕に対する絶望。

 可哀想なミューリア。君がどんな感情を僕に抱こうがもう関係ない。君のさよならに意味なんてないんだよ。僕なんかを好きなんて言うからもう離してあげられない。これから君と僕はずっと一緒に生きていくんだ。

 はやく彼女を迎えに行きたいな



 彼女が姿を消した瞬間に暴れていた植物達は、何事もなかったかのように元の庭園を美しく彩る姿へと戻っていた。拘束されていた騎士や魔法士達は解放され、一階は再び慌ただしくなってきたようだ。濃い花の香りがだんだんと薄れてきて少し名残惜しい。空を見上げてっふ、と息を吐いた。


その時バルコニーの扉が開いた。

 後ろを振り返ると、そこには先程までミューリアに拘束されていたフォレスティア王が騎士に支えられながら立っていた。


「おお、これはフォレスティア王よ。無事で何りですぞ。して、これは一体どういう事ですかな?」



 事の次第をバルコニーで眺めていた王達は戻ってきたフォレスティア王に不信感を抱いているようだった。それもそうだろう。わざわざ隣国の王を招いた祝いの席で、捕縛劇などあり得ない。それでも、実行したのはこの女から都合の良いことを吹き込まれたせいなのだろうけど。

 フォレスティア王が隣国の王達に述べる言い訳にまったく興味がなく、床に座り込んだ女性へと視線を移した。目に涙を浮かべてこちらを見上げる隣国の王子の婚約者。その何かを訴えてくるような視線に思わずため息がこぼれ落ちた。




ーーー気持ち悪い。




 彼女が泣いていたから、仕方なく参加したこの婚約式。

 この式の主役である二人が以前ミューリアが話していた人物なのだろう。彼女が泣くほど嫌な原因の二人。けれど、そのことはどうでもよかった。彼女を苦しめていたのは僕と出会う以前の問題だから、僕がどうこう言ったって所詮過去のこと。無意味だ。それに、その事があって彼女と僕が出会えたのだから、感謝していると言ってもいい。僕と出会ってから起こることは別だけど。


 けれど形式だとはいえ、いざデワイス嬢と踊るとなると話は変わってくる。意図せずとも感じてしまう相手の感情。それを感じた時の嫌悪感は凄まじいものだった。初対面の相手から寄せられる、恋慕を通り越した執着。得体の知れない何かにここまで嫌悪を感じるのは初めてかもしれない。だけど、少しだけ興味が湧いた。なぜここまで僕に思いを寄せるのか。



そして、僕は彼女の記憶を全て読み取った。この世界とは別の世界で描かれる、この世界を舞台にした別の世界の物語。なんて、馬鹿馬鹿しい。この世界とそっくりなその物語は確かに僕の事に関しても描いていることは正しい。けれど、表面だけを切り取ったハリボテをそれだけで全てを分かったような気でいるこの人は滑稽だ。

 自分の記憶が全てだと思っているデワイス嬢は僕に記憶を覗かれているとも知らずに熱を宿した瞳でこちらを眺めながら踊っている。意識せずとも受け取ってしまう相手の感情に思わず顔が歪みそうになるのを必死で耐えた。感情も自分の意思でどうにかできればいいのに。

 相手の全てを読みとる力は誰にも明かした事がないし、極力使いたくもない。興味もないし、見たくないものまで見えるのはごめんだ。だから、リコルはよく泣いている。優しい心を持ったまま、それに耐えている彼女は僕なんかよりよっぽど強い。


 それにしてもこの人の記憶は不愉快だ。ミューリアと同じ容姿の人物が様々な男と逢瀬を繰り返す場面、それに沿って過ごした学園生活でのミューリアの傷ついていく表情。そして、これから起きるであろう出来事の計画。この女は救いようがないな。

さぁ、どうしてやろうか。

 今すぐにここで首を刎ねてもいいくらいだけど、それではつまらない。少しリカルに聞いてみようか。



「大暴れされますよ、彼女」

「...そう」


 目の前でケラケラ楽しそうに笑う従僕に苛立ちが凪いでいく。


「じゃあ、少しお手並み拝見といこうかな」

「はい。宰相もきっと大喜びです」

「それはよかった。じゃあ、僕は彼女と踊ってくるよ」

「はい、いってらっしゃいませ」


まるで友人かのように手を振る従僕に苦笑しつつ、その場を後にし彼女を呼び出した。

 王族を前に大猫を被った彼女を見て思わず笑いが吹き出そうになったけど、それをなんとか耐えられたのは彼女がとても綺麗だったからだろう。けれど、ワンピースを着た彼女の方が僕は好きだ。


 踊り出して会話を進めていくにつれて、いつものようになった彼女と過ごす時間はとても楽しかった。初めて触れた手は小さく滑らかで、僕を思う彼女の心が愛おしい。好きではない社交の場も彼女と一緒に過ごせるなら悪くないのかもしれない。 

 ダンスを終えて彼女と別れるのは名残惜しかった。これから向かえるであろう出来事に悲しむ彼女を思うと心が痛む。細い首を彩る花の中で一つだけ異質な花。色を変えたそれを眺めながら強く願う。はやく、僕だけのものになればいい。





「私以外の人を思うなんて妬けてしまうな」


 分かっていても気に食わない。こんなものは感情など読み取らずとも彼女のものだと分かってしまう。

 いつものように森で眠ていたある日、目を覚ますといつの間にかクッキーが置かれていた。それを食べた時、こんなにも感情が読み取れないものは初めてだった。けれどその味は素朴で優しい味がして、それを作った人物に興味を持った。

 そして彼女と出会った。美しい見た目とは裏腹に、"普通"の彼女。僕が、僕自身が"普通"でいられる存在。...だからそうで無くなることが怖くて彼女の勘違いを訂正しなかった。

それ以降貰うものは全て感情が読み取れるものばかりだった。それはこっちが照れてしまいそうなほど僕自身に対するモノばかりで...けれど、いつの間にかそれを喜んでいる自分がいた。


だから、僕は自分が想像していたよりも遥かに腹が立っている。彼女が僕だけの為に作ってくれていたものが、別の男の為に作られ、しかもこの女の感情が上書きされている。それに、何より彼女がくれた大切な言葉。それさえも自分のもののように発するこの人物がどこまでも気に食わない。


 テラスの奥の方で誰かが走り去っていく音がした。本当は追いかけて連れ去ってしまいたいけれどその衝動をぐっと堪える。やっと彼女に触れることが出来る場所にいるのにそれが出来ないなんて、なんて苦痛だろうか。




ーーそして、クリス王子が倒れた。


 さて、彼はどんな選択をするのだろうか。


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