第42話 ヒロインは帰る

目を開ければ、目の前には炎々と赤く染まる森が広がっていた。今までいた濃い花香の世界とは違い、木々が燃える匂いが鼻を刺激する。


「ミューちゃん!!!!」

「ミュー!!!」


呆然とその景色を見つめていれば、お父さんとお母さんが私を呼ぶ声がした。ゆっくりとその声の方へと顔を動かせばこちらに向かって走り寄ってくる二人の姿があった。


 そして両親は私を思い切り抱きしめる。


帰ってこられたんだ...

初めて使った瞬間転移だったけれど、どうやら上手くいったみたい。気がつけば家の裏に立っていた。今まで怖くて出来なかったものが今は全く怖くなんかなくて。

ただ、何も考えず森を思い浮かべて強く願っていた。恐怖なんてなかった。だってもう沢山の恐怖と絶望が目の前で起きたのだから。


 私を抱きしめる二人の体が震えている。遠くの方では町民の叫び声が響き渡る。それと、微かに聞こえる水が暴れる音。きっとみんな必死に森を守ろうと火を消してくれているのだろう。


 ほんとは...本当はお父さんとお母さんにずっと抱きしめてもらっていたい。大きな声で泣き叫びたい。悲しいよ辛いよ助けてって言いたい。もう嫌だ!もう嫌だ!もう嫌だ!って何もかもを投げ捨てたい。

だけど...それを必死で飲み込んで二人の腕からするりと抜ける。大丈夫。飲み込めるのはそれだけこの森が大切だから。まだ、救える私の大切な場所。それを見失うほど私はまだ愚かにはなってはいない。


「ただいま!お父さん、お母さん!遅くなってごめんね。ここは私一人で大丈夫だから町の人たちを安全なところまで避難させてくれる?大丈夫!すぐ終わるから」


うまく笑えているだろうか。


「でも、ミューちゃん...」


心配そうな顔で私を見つめるお母さん。

あの場所で憎かった愛というものが、ここでは、その絶対的なものに胸がいっぱいになっている。愛されるって幸せだ。だからこそ、失って心にぽっかりと大きな穴が開いた。


「ミューちゃん!?あなたその腕どうしたの!?」


 突然お母さんが口を両手で覆い大きな声をだした。唐突な声に肩が跳ねる。

一拍置いて、頭の中で言葉が並べられ、ようやく内容が理解できた。


「あぁ、ちょっとドジしちゃって」


苦笑いしつつ、腕をさりげなく自身の体の後ろに隠す。


「さぁ、もう行って。早く町の人たちを助けないと!本当に大丈夫だから。エルフに任せなさい」


私はそう言うと得意げな顔で胸を叩いた。

お母さんは今にも泣き出しそうな顔をして、お父さんは難しい顔で私を見つめている。


「大丈夫だから」


 私も両親を見つめ返した。お願い。私に強がらせてよ。ここで、優しく包み込んでしまわないで。まだ、一人で立っていられるって思いたいの。


そんな私に「でも...」というお母さんの肩を抱いたお父さんは"任せたぞ"と言い残し、お母さんを連れてみんなの元へと向かっていった。

 心配で仕方がないのに、いつも私の決意を後押ししてくれるお父さん。その逞しい背中を眺めて届かないであろう、ありがとうをそっと呟いた。二人を追いたい気持ちをぐっと押し込め、滲む視界を振り払って森へと視線を戻す。


 急がないと。

おじいちゃん!みんな!森の生き物達は?


自身の力と精霊達を繋ぐと森で起こる様々な出来事が脳内で再生されていく。

もう火はかなり奥までまわっているらしい。一部ではすでに壁際の木まで燃えている場所があるみたいだ。火が壁の向こうを通り抜けないのはこれが自然の火ではなく、他者の力が混じったモノだからだろう。魔力だけでなく神の力まで通さないなんて、ほんとにすごい壁。

 この壁があって良かった。お陰で魔の森が燃えることはないのだから。今までは、この壁さえなければなんて思ってたのに...

なんて自嘲の笑みがこぼれおちた。


だめだ、しっかりしなきゃ

 自身の頬を両手で叩き喝を入れる。

こんな状況の時でさえも、完全に忘れる事の出来ない彼との思い出に心を奪われてしまう。私だってあの人達の事言えないな。確かに私も恋に溺れて何も見えていないのだから。


《ミュー、動物たちは火から遠ざけたがそれも時間の問題だ。出来るか?》


大丈夫だよ。


 地面に両手をついて、地の鼓動を感じる。地脈、水脈、地を流れる神聖な力。全ての流れと自身を繋げば、この森に生きとし生けるもの全ての鼓動を感じる。

 生きている。その全てが愛おしくてたまらない。私の弱さが招いてしまった。私は愚かだ。その愚かさがみんなを巻き込んでしまった。ごめん、ごめんね。すぐに、治してあげるからね。すぐ楽になるから。

 この森だけは絶対に渡さない。私を育ててくれた大切な場所なの。


 精霊の森と私が一つになる。地についた手から蔓が巻き付きやがて私自身を包み込んで花を咲かせた。

その時、その横で重厚感のある、軽やかな足音が聞こえた。そして背後から優しい温もりがさらに私を包み込む。


「リリ、ただいま」


 そう言えば、ワフッといつものようにお帰りの挨拶を返してくれる。


 ああ、やっぱりこの場所が愛おしい。


さぁ...


『返して』


 森が輝きを放ち出す。深緑の光が赤を呑み込み、さらに輝きを強くする。緑が還ってくる。枯れた枝からは新たな芽が顔を出し空に向かってその新緑を目一杯のばしていく。花が咲き、朝露が跳ねて鳥が舞う。森が輝きを取り戻していく。



「よかったぁ」


その光景を眺めながら安堵していると、いつの間にか太陽が顔を出し始めていた。傷ついてしまった木々はあるけれど、みんな元気そうに朝日を浴びて輝いている。

 自身を巻いていた蔓が解けると、立ち上がって湿った緑の濃い空気を思いっきり吸い込んだ。


 守れたんだ。


沢山の大切なものを巻き込んでしまった。弱いままの私じゃダメだもっともっと強くならなくちゃ。

 そう思うのに、だんだんと頭の中に靄がかかったような感覚に陥り上手く思考が働かず、瞼が重くなってくる。

力を使いすぎちゃったかなぁ。はじめてこんなに使ったもんなぁ。王城でも色々やっちゃったし、後でアリーにいっぱいおこられるんだろうなぁやだなぁ.....


なんて回らない頭で次の恐怖に怯えながら私は目を閉じた。

 意識を手放す間際で微かに感じた温もりと石けんの香りは私の願望がみせた幻だろうか。







「君がここまでお転婆だとは知らなかったよ」


 その呟きは私の耳には届かなかった。

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